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【中年の危機を生き延びる】(15)自分と他人を比較しない

他人との比較。人間の苦しみの多くは、ここから生まれている気がします。

「自分は自分。他人と比較するのをやめよう」

口で言うのは簡単ですが、それができれば苦労はありません。「比較しちゃダメだと思ってるのに、どうしても比較してしまう」。そこに、社会的動物としての人間の悲しさがあるのかもしれません。

「今日は子どもと一緒に公園へピクニックに行ってきました!」

知り合いがSNSにアップする幸せそうな画像。それを見た自分の心に、暗い影が落ちる。素直に祝福したいのに、それができない自分を、また自分で責めてしまう。

「どうして、自分にはできなかったんだろう」。家庭であれ、仕事であれ、人間関係であれ、生き方そのものであれ、そんな心の呪縛から、人は逃れられない宿命なのかもしれません。

ところで、「シリコンバレーの生きる伝説」と言われるナヴァル・ラヴィカントをご存知でしょうか。彼はインドの貧しい家庭で生まれながらも、実業家・投資家として大成功を収めた人物。また同時に、資本主義社会で幸福に生きるための「合理的仏教」を提唱する思想家でもあり、さまざまな分野で注目されています。

私からすれば雲上人ですが、そんな彼でさえ、嫉妬に苦しめられたことがあるというのです。それを一体どのようにして克服したのでしょうか。彼は次のように言います。

そこでこう考えてみた。私はその人の反応や欲望、家族、幸福レベル、人生展望、自己イメージといったすべてをひっくるめた存在になりたいのか、と。その人と完全に、四六時中、100%入れ替わる覚悟がない限り、ねたんでも仕方がない。これに気づいたことで、ねたみは消えた。私は自分以外の誰にもなりたくなかった。自分でいることに完全に満足している。

(エリック・ジョーゲンソン著、櫻井裕子訳『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』サンマーク出版)

確かに、私たちが誰かに嫉妬するとき、実は「部分的に」嫉妬しているのではないでしょうか。たとえば、あの人みたいに「お金持ちだったら……」「仕事ができたら……」「子どもがいたら……」「素敵なパートナーがいたら……」「ルックスが良かったら……」というように。

けれども、その人が持つその要素は、それを取り巻く「あらゆる要素」と切り離しては考えられません。

だとすれば、「あの人みたいになりたい」のであれば、自分がうらやましいと思う「部分」だけでなく、その他も含めた「全て」をひっくるめて入れ替わるのでなければなりません。性格も、見た目も、それまで生きてきたプロセスも、人間関係も、考え方も、全てです。

「その上で、その人と完全に入れ替わりたいのか?」と、ナヴァル・ラヴィカントは問うたのでしょう。

この問いを自分自身に投げかけてみたとき、私も「入れ替わりたくない」と思いました。もし完全に入れ替わったとして、それはもう私の人生ではなくなっているからです。しかも、私がいま大切だと思っている人も、モノも、考え方も、全て失われてしまう。そんなことは考えられません。

「そう思えるのは、結局あなたが恵まれているからでしょう」と言われれば、その通りかもしれません。けれども、このナヴァルの考え方を通して見れば、私を存在させているあらゆる要素が、かけがえのない固有の関係の中で成立していることに気付かされます。この人生を担うのは自分しかおらず、そうである以上、比較のしようなどないのです。

さて、ナヴァル・ラヴィカントの後にご紹介するのも気が引けますが、実は私も「嫉妬」や「比較」の克服法を考えたことがあります。一種の思考実験のようなものですが、その考え方は次のようなものです。

要するに、「他人」といえばふつう「自分以外の人々」のことですが、それを「他人とは、いろんな自分のことだ」と思ってみるのです。

ただひとくちに「他人」といっても、やさしい人、怒りっぽい人、真面目な人、ちょっといじわるな人など、当然いろんな人がいます。でも、その人たちが持っているやさしさも、怒りっぽさも、真面目さも、いじわるさも、程度の違いこそあれ、自分の中にもいくらかは存在するものです。

それらを様々な割合で持っている「いろんな自分」が世の中にはたくさんいて、それが「他人」なんだと想像してみるのです。そうすると、不思議と赤の他人にも親近感が湧いてきます。

これまでは「あんな人もいるんだなぁ」と思っていたのが、「あんな自分もいるんだなぁ」になると、世界は一変します。

嫉妬の対象でしかなかったあの人も、「いろんな自分」の一人なんだと思えば、「私の代わりに、私にはできないことをやってくれているんだ!」と応援したくなってくるものです。他人という存在が、競い合う相手ではなく、補い合う相手へと変わるのです。

そしてこういう発想をマスターすれば、自分が何もできていない時も、「悪いけど、私のぶんもみんなヨロシク!」と思えなくもありません。

ナヴァルの深遠な思想の後で蛇足感が否めませんが(笑)、ちょっと試してもらえるとうれしいです。

他人との比較は、「中年の危機」を生み出す大きな要因のひとつだと思います。それを完全に克服することはできなくても、「そういえば、あんな考え方もあったな」と、ちょっと視点を変えるだけで、人はけっこう生きやすくなるのではないでしょうか。

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