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シングルマザーの状態で育てられた母

母の父親・・・私の母方の祖父は、母が生まれて2か月で病気で
亡くなり、祖母は再婚をせずに母を育てた・・・。
母は8番目の子供で末っ子。

戦時中や戦後は日本全体が貧しく大変な時期では
あったが、女手一つで子供を育てていく
祖母は苦労したにちがいない・・。

今回、母の病気が発覚した時、病院の先生が
「よくここまで耐えてきましたね・・。
かなりお辛かったと思います。
もう、これからは我慢しなくてもいいですからね・・」
と言ったとのこと。

母は間質性肺炎という指定難病だというのは
前回書いた通りだが、
母の肺は右がもうない状態で・・・
かろうじて左の肺の3分の2くらいが
機能しているというのが現状らしい・・・。

ずっと咳をしていた母。 
まずい・・と、
そばでいながら私もわかっては
いたが・・病院に行きたがらない母にまかせて、
ここまで放っておいてしまったのだ。

母はとても我慢強いのだと改めて実感した。

母の病気が発覚し、母の意識も変わり、
私の母に対する気持ちや見方も変わると、
不思議と知らなかった母の過去や
母の本音に近い姿を認識できる
ようになりました。

母は子供の頃

よく祖母に言っていたらしい・・・
「どうして私を産んだの?
私なんて産まなければよかったのに。
そうしたらこんなにお母さんが
苦労することはなかっただろうに」

祖母はその度に否定したらしい。
祖母そしてうえの姉や兄に可愛がられ
育った母ではあったが、
仕事にでかける母親の後ろ姿を見ながら

「母親に迷惑をかけないようにしよう。
困らせないようにしよう・・・」と
自分のわがままを主張せず、
我慢することが
自然に身に着いていったのかも
しれない私の母。

今回の母の病気も発症時から苦しかっただろうに、
言えば子供達に迷惑をかけるかもとか、
心配をかけるのでは・・という思いもあり
我慢し続けたのかもしれない・・・。

それに比べて、ちょっと異変があると
すぐに病院へ行って検査する!という父親。

私が父と母のそばに移住してからの数年間
父の病と転倒骨折に伴う入院・通院・介護に
私と母は振り回されていた。

父が弱くてダメ・・ということではないですが、
母の辛抱強さは母自身、幼いころから
培ってきた生きる術であり
癖なのかもしれない。

いつ閉じるかもしれない母の命。

私は母をよく知っているようで、
実はちゃんと
見ていなかったのかもしれないと
最近気づいた。

「お母さんは私のことわかってない!」と
よく感じたものだけど、
私のほうが
母をちゃんと見ていなかったのだ・・・。

光は明るい部屋にいると
光があると気がつかず、
暗闇なって初めて
光の存在に気づくかのように・・

母を失うことが現実に感じられてはじめて、
母がずっと娘である私を
深く愛し続け、
守ろうとしてきたということを
ちゃんと知った・・・。

亡くなる前に
そこに気づけて・・
気持ちを伝えあうことが
できることに
救われている今日この頃。

これは、私が父と母のそばに
移住してすぐの頃の写真。
私の整体ヨガの練習台になって
くれている母。

この時の母はまだ肉付きもよくて
元気だったなぁ・・・。

「親孝行したい時に親はいない」とは
本当によく言ったものですね。
ギリギリ・・ちょっとは間に合ったかも
しれないので、残されている1日1日を
大事に親子という深い縁を、
もう少し掘り下げて観ていきたいと
思っています。

私のライフワーク
女性の癒しと
パーソナル整体ヨガ教室クリヤヨガハウス気楽


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