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人の役に立つということ【存在価値】

「人の役に立ちなさい。」

「人の迷惑になってはいけない。」


ぼく達は物心がついた頃から、こんなふうに教わってきましたよね。

これって一見、正しい教えのようにしか聞こえません。

しかし実際はどうでしょう?

人に迷惑をかけてはいけないと他人に気を使いすぎて心身が疲れすぎる人が増え、

誰かの役に立っていないと自分の存在価値がないように感じ、悩む人が明らかに増えました。

整体をしていても、

「人の役に立たないといけない」という考えに縛られることが原因となり、慢性的な痛みや、うつや不安症などのメンタル的な不調につながるケースは少なくありません。

この記事を読んでいる方も、

「周りに気を使って本音とは違う行動をして疲れた」という経験は多かれ少なかれあると思うんですよね。

こういった積み重ねが、無自覚の間に心身を蝕んでいき、やがて心身の不調に繋がるケースは本当に多く経験します。

そういう方々と多く接してきた中で、ぼく自身も色々なことを考えさせられました。

その整体経験の中で現時点思うことは、

「人の役に立つ必要はなく、自分は生まれて死ぬまで人に迷惑をかけ続ける存在だから、例え人から迷惑をかけられたと感じても許すこと」

こんなふうに感じています。

本記事ではここについて、できるだけ詳しくお話します。

(この記事がオススメな方)

・人の役に立っていないと落ち着かなくて自分を犠牲にしてしまう人
・人に迷惑をかけてはいけないと、自分を押し殺して生き辛さを感じる人

こういった悩みで心身が疲れている人にはおすすめの記事です。

東京オリンピックで学んだこと

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先日東京オリンピックが閉会しましたね。

次に始まるパラリンピックもとても楽しみです。

ぼくもアスリートをサポートする仕事の端くれではあるので、

オリンピックの舞台に出ている人がどれほど過酷な日々を送ってきたのかを想像すると、どうしても感情が揺さぶられます。

今回の東京オリンピックでも、良い成果を出せた選手も、惜しくもメダルを逃した選手もいます。

期待通りの成果を挙げた選手も、期待されたのに成果を出せなかった選手もいると思います。

どんな選手であれ、あの舞台に立つまでに一体どれほど過酷な日々を送ってきたのだろうか?

その選手の努力はもちろん、その周りの家族やスタッフ、そして切磋琢磨してきたライバル選手など、本当にたくさんの人たちの想いが、

オリンピアン一人一人の背景にあるのを想像すると、本当にすごいことだなと改めて感じます。

話は逸れますが、

そんなたくさんの人の想いの詰まった金メダルを、他人である名古屋の市長はよくかじれますよね。。

ぼくなら、そんな想いの詰まった重いメダルを素手で触ることもできないですよ。

あの市長には、色々なことを想像する力が欠けているのだろうなと思います。


「誰かの役に立つこと」に潜む落とし穴

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名古屋の市長の話はさておき、、、

人に迷惑をかけず、誰かの役に立って生きることには大きな落とし穴があります。

それは、「誰かの役に立っていないと、自分には価値がない」と感じてしまう落とし穴です。

誰かの役に立つ生き方をしようとするほど、「役に立っていない自分の存在価値はない」ということを強く意識させられてしまいます。

また人に迷惑をかけている自分に存在価値はないと感じる人も多いはずです。

その結果、本来ただ純粋に自分を大切に生きているだけで、どこかで誰かの役に立つ存在であるにもかかわらず、

他人に貢献していないと、自分には存在価値がないと思い込んで生きることになります。

やがては純粋に人の役に立つことが、「自分の存在価値を確認するために誰かの役に立とうとする」行為になってしまう。

そうなるともはや、人のための行為でもなんでもなく、ただ自分の承認欲求を満たすために他人を利用しているに過ぎなくなります。

これが自分自身を最も苦しめ、結果として原因不明の心身の病気につながります。


誰かの役に立つことの本当に意味

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オリンピックにおいてもメディアでは、やはり成果の出した選手にスポットを当てて放映しますし、その選手がメダリストになるまでの過程を取材したりもします。

もちろん、努力の結果良い成果をあげた選手が、次の世代の選手に夢や希望をもたらすことで、どこかで誰かの役に立つということはあります。

しかし一方で、

今回のオリンピックで成果が出なかった選手も、その選手が全く知らないところで、

「あれだけ練習を積んでもメダルには届かないのか。世界の壁はすごいな。自分も挑戦したい!」と誰かを奮い立たせていることもあるはず。


またこんなケースもあるはずです。


期待されていたのに、思いのほか成果が出せなかった選手がいて、当の選手本人は情けない想いで「国に帰れない、、、」と嘆く選手もいるはず。

でも実はこの選手は、このような形で誰かを勇気づけていることがあります。

「自分も緊張で本番に力を出せない。でもあんな世界一流の選手でも本番で自分の力を発揮できないこともあるのか…なんだか勇気づけられた」


実はぼく達は、僕たちの知っている範囲以外のところで、誰かの役に立っている存在でもあります。


ぼく自身が勇気つけられた体験

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ぼくは下手くそですが、月に何度か野球をしています。

真剣に毎日練習しているわけではないので、やっぱり毎回何かしらのミスをします。

ぼくは割とメンタル弱めなので、エラーしたりするとちょい引きずりやすい性格です。

多分「自分はできる!」と思い込んでいるのがそうさせているのでしょう。

そんな時に、プロ野球をテレビで見ていると、同じ選手が立て続けに2度3度と続けてエラーしてしまうシーンもたまに見かけるんですよね。

当の選手は、多分プロ野球選手なのに恥ずかしい…と思っているはずだし、

チーム関係者やファンから厳しい目が向けられるので、落ち込んでいるとは思います。

でも、ぼくの立場からすると、あんなに上手でしかも毎日練習している人でも、連続でエラーすることもあるんだな。と勇気づけられることもあります。

多分、こう感じているアマチュア野球選手もかなり多いはずなんですよね。

つまり本人としてはただ恥ずかしいエラーを続けていることが、その選手の知らないところで、誰かを勇気づけたり、支えになっていたりするんです。

しかし、それは当の本人の耳に届くことはまずないので、本人的にはそんな貢献をしていることは知る由もありませんが、

実感のあるなしに関わらず、誰かしっかりと生かしているんですよね。


「人の役に立っている!」という実感がない役立ち方がほとんど

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先程お話ししたように、本来の人の役に立つこととは、ほとんどの場合でその実感がないことが多いです。

ですが、ぼく達はどうしても実感がほしくなってしまうんですよね。

人から感謝されたりすると、

なんだか気分がいいじゃないですか。w

でも、事実として人の役に立っている実感はほとんどなく、

ぼく達の知らないところで、思いもよらない形で誰かの人生に影響を及ぼしているものです。

これは紛れもない事実ですよね。

つまり、一生懸命に自分の人生を生きていることが、自然と誰かの役に立っているのが当たり前で、

それなのに、わざわざ「誰かの役に立つように生きる」ことは、

誰かの役に立っている実感がないと、自分の存在価値がないように感じ、それが生き苦しい人生になる原因につながります。

そして、自分がやっていることを否定されたりしただけで、

落ち込んだり、誰かに注意されることをストレスに感じ始めます。

このスパイラルをどうすれば、抜け出せるのか?

このポイントについて、解説していきます。

それは、

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