見出し画像

自己紹介

基本「聞き役」で、ゆえに気づきませんでした。

ホームページにすら自己紹介をのせてないことに。

はじめまして。ますだこうたといいます。

元病院勤務の作業療法士で、2020年から巣鴨で整体をしています。平成8年埼玉生まれ、血液型はA型、兄と妹がいます。好きな食べ物は牛肉とマグロと和菓子とみかん、苦手な食べ物はマヨネーズです。

以上です。さようなら











嘘です。もう少し自分の事やいまの仕事について続けます。

回復期病院にて脳卒中/骨折後リハビリに従事。
その後、巣鴨で整体院を開業。

整体、といっても、売っているのは

「気持ちのいいマッサージ」
「痛いところのもみほぐし」

ではありません。

むしろ“それ”に悩まされた方がお越しになります。

実際、当院のお客様が抱えていたのは

・週2計40回治療に通うも変わらない腰痛
・寝られない/歩けないほどの坐骨神経痛
・保険治療を7年続けても残る顔面の激痛
・どんな検査でも“異常なし”のスネの攣り
・リハで改善せず手術を勧められた臀部痛
・手術をして半年後に再発した脚のしびれ

などです。こういった状態から、復職されたり、趣味のテニスやゴルフや手芸などを再開できる程度に回復されています。

みなさん共通して、生活に支障がでるレベルの治療してもぶり返す」痛みを抱えていました。

お客様の声

そんな方々に痛み知らずの生活や痛みを自分でコントロールする技術を手にしていただくためのサポートをしています。

院を開いて、あっという間に3年目に入りました。いつもご利用頂いたり、大切なご家族・ご友人を紹介してくださる方は本当にありがとうございます。

全校生徒の前でカラオケできるタイプ

自分の性格は一言でいうなら「協調性低めの楽観主義者」です。

中高とバレー部だったので、チームの大切さのようなものは理解しているつもりでいます。がどちらかといえば、1人で何かをするのが好きです。

病院を辞めて独立した時点で、明確な勝算めいたものはなく「まあ、なんとかなるだろう」という楽観性だけありました。

さて、この世には2種類の人間がいます。

全校生徒の前でソロで歌を歌える人間と、歌えない人間と。

あなたは学生時代、文化祭でやるようなカラオケ大会に出れる生徒でしたか?僕はあれに出ました。

人前に出るのは好きではないですが、そこまで苦手でもありません。1クラス2人選出する時にウダウダとして決まらなかったので、歌は上手くないけどやりました。

ファーストペンギンになりがち、決めごとで口火を切りがちで、出る会議はすぐに終わります。そういう方向の「協調性低めの楽観主義者」です。

近くにいる人からは「メンタルが強い」と評されます。自分としては普通です。

ひとは思ったより他人のことをみていません。が、その割に自分は見られていると思っている自意識過剰なひとは多いと思います。そんなひとからみれば相対的に「強い」のだろうと。

また昔からひとの気持ちを理解することはあまり得意でなく、感情はおそらく薄いほうです。極端な話、精神疾患や認知症の方と接することにもフラストレーションが溜まりません。何時間でも話せます。だからこそ壮絶な経験をされているお客様の生活を変えるお手伝いが出来るのかもしれません。

バカは風邪ひかない

と言いますし気づいていないのかもしれませんが、物心ついてからのなにかを休むほどの体調不良は2回です(小学校の時インフルエンザに、国家試験前に地元の友だち山田くんと食中毒になった)。

独立前は17時半まで神奈川で勤務し、それからチラシを持って都内へ移動し、貸し会議室にベッドを持ち込み施術して、夜中に1000枚チラシを撒いて、帰って寝て出勤して、といったいま思えば肉体的にまあまあハードな「週末開業」生活をしていました。

20キロくらいの荷物を3階まで運ぶのが大変だった。あとチラシは意外と重い

その間も含めてここ15年は風邪知らず・皆勤賞・無欠勤です。コロナとも縁がなく終わってしまいました。アレ、なんだったんでしょうね。

まわりをみると同世代でもちょこちょこ風邪をひいたり、体調を崩して欠勤したりしているので、自分が風邪をひかないのはなにが要因か考えることがあります。で思いつくのは「薄着」「食事」「睡眠」です。

僕は昔から、クラスに1人は居る「冬でもタンクトップで過ごす奴」でした。

基本的に衣類が、中でも特にスーツと靴下が苦手です。いまも家の中では冬以外は基本的にパンツ一丁で過ごします。

科学的根拠はないと思うのですが、薄着で過ごす習慣により体温調節機能的な(代謝的な)ものが発達したのか、免疫力は高いと思います。平熱は36.7℃です。

食事について、たとえば徒歩圏内にミシュランに載る担々麺屋さんやテレビに出るおにぎり屋さんがあれば一回くらい行きそうなものです。いつか行ってみようと思いつつ、3年たちました。

また親や先輩に何が食べたい?と聞かれれば100%肉と答えます。但しこれはなんでもいいというのが憚られるからで、本音はマジでなんでもいいです。食への関心はそこまで強くありません。

空腹時の食べ始めは美味い。量に反比例し美味くなくなる。食べ過ぎると気持ち悪くなる。大体なんでもこれです。

腹八分目で医者いらずではないですが1日1.5~2食くらいがちょうどいいですよね。これが健康の秘訣、と思っています。(腹五分目くらいからは食べるのにも体力が要ります。回復しているようで疲れる謎の作業です)

先日実家に帰った。普段は食べない朝食(コーヒーとヨーグルトとクロワッサン)を食べた。その日は心なしか若干身体が重かった

睡眠は基本8時間です。一夜漬けみたいな状況はただでさえ良くない頭が更にまわらなくなるので、それは意識的に避け、しっかり寝ます。

面白みゼロですが、まあ健康は引き算ですし、風邪知らずの理由はこのへんにあると思います。

健康というと、僕にとっては【死ぬまで楽しく幸せに過ごす為の条件】です。

健康を脅かす避けるべきものが【食べ過ぎ、飲み過ぎ、動かな過ぎ、寝なさ過ぎ、喫煙、ストレス】です。コレを避ければ人生幸せ。シンプルですね。

いま書いていて「快」か「不快」かをいちいち考えてしまう癖があると気づきました。意外とココが適当なひとは多いと思います。

しょうもないポテチを食べると一瞬「美味しい」と思うけれど、後で「なんか気持ち悪い」となる。想起されるその不快感より「やりたい」が勝てばやる、みたいな。幸せが基準で健康オタクではありません。

というか人間は怠惰だし弱いし我慢し続けることなどできません。愚行権は誰にとっても保障されるべきとも思います。食べたきゃ食べる、のみたきゃのむ、やりたきゃやる、やりたくなきゃやらない、のが健全です。

ただ、だからこそ自分にとっての「丁度いいゾーン」を知る、足るを知ることは、長く幸せに生きていく上では大事だと思います

寝たきりの社長と過ごすとわかりますが、お手伝いさん在中の大豪邸があっても健康は買えません。ああいう状況は中々きつそうです。言っちゃ悪いですが日本は生きる屍の国であり、日本人の死生観は終わってますよね。健康とは、人生とは、一体なんなのでしょう。

限界に気づく

仕事は食いっぱぐれなさそうという理由で、作業療法士を選びました。内容はざっくり言うと「脳卒中の方の社会復帰支援」です。

何となく選びましたが、案外やりがいは大きかったです。当時の患者さんから頂いた快気祝いの旅行のお土産などはいまも大事にしてます。

患者さんから頂いた。一緒に担当した先輩も今は自分で事業をしてる。
学生時代、3回計6ヶ月の実習があり、2回目の時の先生にもらった。
当初は車椅子の方が歩いて旅行へ。そのお土産を下さった。

一方リハビリ職をやってみて、業界の(というか日本医療の)「限界」に気づかされました。いや、気づかされたというか、仮説の検証ができました。

ご存知の通り、脳卒中や脳卒中の誘因となる病気の多くは「生活習慣」(具体的には先に述べた健康を害す【食べ過ぎ、飲み過ぎ、動かな過ぎ、寝なさ過ぎ、喫煙、ストレス】)が原因です。

日本の医療は上記原因をバックボーンとした病に罹患したひとびとのセーフティネットという面も併せ持ちます(じっさいに病院で関わった方はほぼ全員、高脂血症や高血圧症、2型糖尿病などを既往に抱えていました)。

このシステムは、多くの方にとっての「広く、浅い」救済措置にはなります。

が、対象疾患や時間や行為の制約もあり、個人の深い悩みや問題を解決するには足らない部分も多々あります。いまさら改めて言うまでもありませんが。

またそもそも論として、ミクロ(個人の幸せ)マクロ(医療費や高齢化社会)ともに本質的な問題解決には治療ではなく予防が、それには“個人の意識変容”が最も重要です。馬を水辺に連れていけても、水を飲ませる事は出来ません。

いくら病院で寝がえりや歩行練習をしても、麻痺のある手指の機能訓練をしても、着替えや料理動作や金銭計算能力の再獲得を目指しても、そのひとの習慣や意識が抜本的に変わらなければ所詮“付け焼き刃”に過ぎなくね?

と臨床実習でひしひしと感じました。臨床に出て、確信しました。

それと、提供する側の視点に立つと、その質を保てている院がはたしてどれだけあるのか、診療報酬を獲得する「流れ作業」になっていないか、など疑問に思うこともありましたし、今もあります(リハビリ病院に限らず、その辺にある整形外科や接骨院なども含め)。

なんとしてでも自分のカラダを良くしたい!と思っている方が居ても、その方にマッチする「受け皿」は中々みつからないのが現実です。

自分としては、頼りにして下さる方の力になれればよくて、そこで色々な制約が煩わしく感じる機会が増えました。

ひとの人生を通して病の重さがわかり、この業界が抱えるいろんな意味での八方塞がり感を身をもって体感出来たのは大きな収穫ですし、作業療法士という仕事は大好きです。が、だんだん自分の進むべき方向性が明確になり、作業療法士は辞める事になります。

そして独立へ

先ほど例として脳卒中を挙げましたが「ある一定のラインを超えるまでに然るべき対処をしないと、その後どれだけ頑張っても良くならない」という意味において、脊椎疾患や関節疾患やそれに伴う腰痛など「カラダの痛み」にも同じことが言えます。

しかも往々にして予防は治療よりずっと容易です。ラインを超えると、報われるかわからない上にコストも嵩みます。

そこで、入院している方(“治療フェーズ”)ではなく、地域の“予防フェーズ”にいる方を対象としてスキルを活かすことが仮に出来れば自分も対象者も幸せだなと思い、独立に至りました。(これは療法士あるあるですね)

繰り返し当然の事をあえて言いますが、病気も慢性痛も、芽を摘んでおく方が圧倒的にラクですただこの事実は、一度地獄をみないと中々わからないのが厄介です。

ある日突然、要支援にも要介護にも寝たきりにもなりません。

「老化は足から」「水滴石穿すいてきせきせん」といいますが、要支援化の主な原因「関節疾患」は、不調を放置した末に起こります。

はじまりはいつも関節疾患
出典:厚労省 2019 年 国民生活基礎調査の概況

ひとは刺激がなくなれば、あっというまにボケます。ある期間までは慰め以外もできますが、いくとこまでいけば慰めしかできません。できることは減っていき永遠に慰める日々です。

https://twitter.com/sui_gb20/status/1661208406433361921?s=46&t=fOnVVx8z7X4db7bFmdO4WAより引用

自分や親の将来の健康を案じたり、介護の心配をするなら、ぜひ今できることをやりましょう。

肩コリ、背中の重ダルさ、腰痛、太もも・すね・ふくらはぎの張り、膝の違和感エトセトラを放置せずに、あたりまえのこととせずに、なくすための行動をとりましょうそれが「ラク」だからです。

なにをいっているかよく分からないかもしれませんが、“痛み”は、慢性化するほど庇う癖がついたりして「複雑化」し、こんがらがったひもを解くような作業になります。これがめっちゃ大変です。

挫折しやすくも、悪循環に陥りやすくもなります。単に「痛い」だけの問題でもなくなるのです。

痛みが悪化する過程を表した「恐怖回避モデル」松平浩:産業医学ジャーナル

これはポジショントークですが、当院である程度カラダの使い方や手入れの仕方を定着・習慣化させた方は、誇張ではなく「痛み知らずの生活」「痛みを自分でコントロールする技術」が手に入るので、寝たきりになる可能性は恐らく減ります。

とはいえ価値観は人それぞれですし、他人を変える事は誰にも出来ません。なので僕は「求めて下さる方」のお役に立てるよう、これからも精進します。

ストレス過多で座り過ぎで、飽食で、誤魔化し方だけ上達させ、寿命ばかりが伸び、寝たきり大国と化している日本

そこに住む我々だからこそ、病気とも、腰痛とも、先手を打って上手く付き合って行きたいものですね。よろしくお願いします。


ホームページ⬇︎

ご馳走さまです!