記憶は道に棲みついている-8歳年下男に未練がましいアラサー編-
推しの大学生が社会人になって、私は30歳になった。
最後にあったのはすごく昔のようでまだ4ヶ月しかたっていない。
推しがいなくなって半年も経ってない。驚き。
地元に帰ってしまってから無理やりLINEを続けていたけど、最後にしたのは私の誕生日の後。
私の誕生日だってことは知っていたはずなのに、おめでとうの一言もなくて。
おめでとうをせがんでしまった上に思ったような返事が来なくて、“ほんとは思ってないでしょー!笑”とか心の奥底からめんどくせぇ返事をしてしまってから音沙汰もない。
LINEが来るのは本当に嬉しいけど同じくらい辛いから来なくて悲しいけど安心もしている。
まだ全然好きすぎるんだよ。
来なくて悲しいけど、返事が次こそは来ないかもとか、こんな風に言うってもう嫌いなのかもとか、好きって少しでも思ってくれてたりしないだろうかとかうざい自分が出てきてしまう。
そんな自分に振り回されなくても済む。
でも悲しみのがちょっと深い。
最後に勇気を振り絞って聞いたインスタのアカウント。
ストーリーを上げれば閲覧履歴が残るからそれが唯一推しを感じられる瞬間。
愛おしいアイコンが一覧にいるだけでまだ忘れられてないって思う。
ただそれだけしかできない。
この前とうとう経験人数は100人目に到達した。
推しと最後に歩いた公園を逆流するようにその人と家に向かった。
あの時に桜かな?なんて言っていた木は青々とした緑だし、
その時は誰もいなかった公園は今や夜飲み大学生が湧き出ている。
私はこれからもずっと推しじゃない男とこの道を通る度に呪いみたいに推しのことを思い出す。
今はもう社会人だからそんなわけはないのに、金髪の男の子とか、推しと似た服装と背格好の男の子のことはしっかりと目で追ってしまう。
今日だってどことなく推しに近い雰囲気と身長の男と会う。
偽物が本物に勝つことはないのに。
いつまでこんなに好きなんだろうか。
毎日少しずつ思い出す時間は減るんだろうか。
減らしたいな、でも減らしたくない。
もうとっくに終わってんのにまだ認めたくない。
会いたいなー。
推しがいればもうなにも望まないからさ。
まだ未練しかないよ。
大好きなんだよなあ。
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