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待つことの大切さを実感した話

2歳の息子をお風呂に入れるのは、だいたい私の役目だ。その間、妻はご飯を作ってくれている。

平日なら仕事終わり。土日でも…今はこの暑さである。一日散歩したり掃除したり遊んだりして、夕方になると私はもう汗でべとべと。一刻も早くビールが飲みたくなる時間である。

だが、当然だが息子はそんなことはお構いなしだ。ガチャっと回転させるとシャワーが出てくる仕組みが気になって仕方ない。手に絡めるとぬるぬるするボディソープの正体が気になって仕方ない。

シャワーを出したり止めたり、手を洗っては、またボディソープを出して手に塗りたくったり。延々とそんなことを試している。

一刻も早くお風呂から出て、ビールを飲みたい私。全身泡だらけの息子に「シャワーでジャーするよ」と話しかけても、「やーやー(いやだ」と聞いてくれない。今は遊ぶのに夢中なのである。

ある日のこと。それならば…と思って、「はいっ、じゃあ流すよ〜」と、半ば無理やりシャワーを奪って、息子の体を流したことがある。小さい息子の体からは一瞬で泡が流されるのだが、息子の反応は「んぎゃー!!!!!」であった。

まだ「ジャージャー」「わんわん」のような言葉しか話せない息子の言うことが完璧に理解できるわけではないが…おそらく。反応を見るに、その時は手についたボディソープのぬるぬるに夢中だったようである。それを、前触れなく、跡形もなく流されたせいで、怒ったようであった。

ふと考えてみれば、育児に関しては、時間のコントロールは親の一存で決めることが多い。もうテレビやめるよ。そろそろ保育園行くよ。もうすぐご飯だよ。お風呂もう出るよ。おもちゃお片付けするよ。そろそろ寝るよ。

しかし、それは親にとって、そうするのが都合が良いだけであって、子供にとって、自分の興味のあること、やりたいことが必ずしも満たされているとは限らないはずだ。

こんなこともあった。息子が、ずっと「ぎゅーぎゅー」と言いながらおにぎりを握る動作をして遊んでいた。晩御飯の時間になって、「ご飯だよ」と呼びかけても、こちらを振り向きもせず、一心不乱におにぎり作り(のまね。

その日は妻の仕事が遅く、私が1人で食事を準備しており、正直に言うと余裕がなかった。いい加減にしなさい、と思って無理やりテーブルに連れて行こうと思った次の瞬間、息子は「できた!」という満足げな顔で、私に「ん!」と何やら手渡すまね。どうやら、息子は私のためにおにぎりを大量に作る(まね)という大仕事をしていたようなのだ。

できた!どうじょ!と言いながら手渡す動作をする息子の、満足げなキラキラした笑顔。私は胸がいっぱいになった。

と同時に、気持ち余裕のない育児は危険だと思った。どうせ、小さな子供が遊ぶ時間など、たかだか10分や長くても20分くらいなもの。それも、息子の頭の中では色々な世界観が広がっていて、意味もなく親に反抗したり、イヤイヤしているわけではなかった。それぐらいの時間、私だってスマホでゲームしたり漫画を読んだり、Twitterしたりしているじゃないか。なぜそれが息子になった途端、苛立ってしまうのか。

それから私は、息子のやることなすこと、できるだけ最後まで待つように心がけることにした。もちろん、待ちきれない時もある。朝、保育園に送っていく時なんかはその最たる例だ。送った後、家に戻って9:00にはPCの前にいなければならない。夕方にお迎えをした後、帰宅して在宅の残業をしなければいけない時もある。でも、そう意識してみたのだ。

実際、待たずに無理やり連れて行ったり、遊びを終わらせたからといって、1時間も2時間も削減できるということはないのだ。たかだか10分や20分。その時間があれば、ご飯とおかずをチンするくらいはできるだろう。だが、もともと子供の言動は毎日変わる。寝る時間など大幅に変動する。その時間を急いだからといって、どれほどのメリットになるのか。


意識して待つようにしてから、なんとなく、息子の反応が変わったような気がする。

息子が何か夢中でやっている時は、無理やり止めさせることはしない。できるだけ。じれったいが、待つ。

全身アワアワの息子をシャワーで流したい時も、夢中で遊んでいたら、シャワーを出して、「流すよ〜」と話しかけ、自分から手や体を出して流しに来るまで待つ。無理やり流すことはしない。

すると、しばらく遊んだ後、息子は自分からこちらに来るのだ。しばらくといっても、せいぜい、30秒や1分である。それを長いとみるか、短いとみるかは人によるだろうが、私は、大した時間じゃないと感じるようになった。

絵本を読んでいて、そろそろ終わりにしたい時。
おもちゃで遊んでいて、そろそろご飯を食べたい時。
テレビを見ていて、そろそろお風呂に行きたい時。

ちょっとの時間でいい。地道に待っていると、息子は「終わったよ〜」と、満足した顔でこちらに来る。

言わずもがな、その状態で生活できたら、子供もそんなにギャーギャー怒ることはないし、親のストレスもあまりない。子供がやりたいこともさせてあげられる。

これが大人だったら。スマホゲームをしている時、「終わりだよ〜」と、スパーンとスマホを取り上げられたら。Youtubeを見ている時、無慈悲に通信を切られたら。Twitterをやっている時、「終わりでしょ?」と睨まれたら。「今止めなくても!」と思うだろう。

子供には子供のペース、時間の流れ方、考えている事がある。やりたいこと、興味のあることがある。もちろん、親には親のペースがあるが、それらが一致しないからと言って、「こうしなさいと言っているだろう」と親のペースを無理強いするのは、親のエゴではなかろうか。

誰しも、幼い頃に経験があったのではないだろうか。蛇口から出る水。川の流れ。空を移動していく雲。風になびく葉っぱ。同じ積み木を同じところから同じところに延々と落としたり。その時は、それに夢中なのだ。

「同じことをしたら同じ結果になる」ことに気がつけたとしたら、それは素晴らしいことだと思う。また、「同じことをしたつもりでも、異なる結果になることもある」ことに気がつけたならば、それはもう一段上の段階を理解したと思う。

そういう思考も、こういった幼い頃の経験が元になったりはしないだろうか。だとしたら、できるだけ、やりたいことはやらせてあげたいではないか。

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