見出し画像

Mr.Children『人生に彩りを与え続けるクリエイター』人生を変えるJ-POP[第12回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

J-POPという言葉は1988年に出現しました。その後、1990年代はCD全盛期で、その時代の象徴的存在の一つにミスチルがあります。今年30周年を迎えたバンド「Mr.Children」(以降ミスチル)は、1992年にデビューして以来、数々の記録と多くの賞を獲得し続けてきました。今回はそのミスチルの中心的メンバーである桜井和寿を中心に彼らの音楽について書いていきたいと思います。

モンスター並の記録を次々と打ち立てた

ミスチルはボーカル・ギターの桜井和寿、ギターの田原健一、ベースの中川敬輔、ドラムスの鈴木英哉の4人から構成されているロックバンドです。

関東高等学校(現・聖徳学園)で一緒だった桜井、田原、中川の3人が初めてバンドを組んだ時は「Beatnik」というバンド名で、その後、「THE WALLS」に改名し、鈴木英哉が加わって現在の形になりました。

1989年、彼らはバンド名を「Mr.Children」に変えて、ライブハウスなどで精力的に活動を行い、1992年にレコード会社トイズファクトリーからミニアルバム『Everything』でメジャーデビューしました。

彼らが1993年発売した4枚目シングル『CROSS ROAD』はロングヒットでさらにミリオンセラーとなり一気にブレイクを果たしました。また、1994年発売の5枚目シングル『innocent world』では初のオリコンチャート1位、その後、6枚目シングル『Tomorrow never knows』、1996年の10枚目シングル『名もなき詩』はダブルミリオンとなるなど、シングル10作品でミリオンセラーという輝かしい記録を打ち立てています。

さらにアルバムでは、4thアルバム『Atomic Heart』(1994)と6thアルバム『BOLERO』(1997)がトリプルミリオン、5thアルバム『深海』(1996)とベスト・アルバム『Mr.Children 1992-1995』(2001) がダブルミリオンを取るなど、アルバム14作品でもミリオンセラーを達成するという偉業を成し遂げています。

このようにCD全盛期にモンスター並みの記録を次々と打ち立てたミスチルは、まさに、この時代のJ-POPの象徴的存在とも言えるでしょう。

プロデューサー小林武史の存在

彼らの記録を書き出せば留まるところを知らないほど、数々の記録を打ち立ててきたグループですが、この理由の一つにプロデューサーの小林武史の存在があります。

ミスチルは、楽曲のほぼ全ての曲と歌詞を桜井和寿が手がけていますが、それをプロデュースしてきたのが小林武史で、2015年までの楽曲のアレンジはほぼ全て担当しています(2015年以降はバンドメンバーによるセルフプロデュース)。

厚みのあるサウンドや奥行きのある音の広がり、また力強いサウンドなど、バンド演奏に於けるアレンジはそのグループのサウンドの色を決めると言っても過言ではありません。

これが小林のプロデュースとメンバー達のセッションによってサウンドを作り上げてきたミスチルの世界と言えるかもしれません。

たとえば、ブレイクする前の3rdアルバム『Versus』(1993年9月発売)では2枚目のアルバムの路線を踏襲しようとした桜井に対し、今後のミスチルの方向性についての小林氏のアドバイスによって、グラウンドな匂いのするアルバムになりました。

また、5枚目シングル『innocent world』(1994)の制作過程で、最初単純なラブストーリーの歌詞だったものを、小林氏は「誰もが歌えるラブソングではなく、桜井和寿という24歳の1人の男が日本で生活している中でしか歌えない歌詞を書くように」とアドバイス。

それを受けて桜井は、作者の顔が見えない方がリスナーの感動を得られるはずだというそれまでの考えを変え、それによって1つの転換点となる作品になりました。

音楽の時間にも歌わなかった少年が…

このようにミスチルの中心的存在であり、ボーカル担当の桜井和寿は、どのようにして音楽の世界に入っていったのでしょうか。

彼は、「何か一つ、みんなより自信を持てるものを身につけろ」という両親の教育方針のもと、運動が得意だった小学校時代はスポーツに打ち込むスポーツ少年でした。また、彼は小学校時代、音楽は女がやるものだと思い込んでいて、音楽の時間も絶対に歌わないという姿勢を貫き、どんなに先生から叱られても歌わなかったというエピソードの持ち主です。

中学に入り、「目立ちたい」という単純な気持ちから不良グループに一時所属していたこともありますが、浜田省吾や甲斐バンドの音楽に触れ、「音楽ってかっこいいなぁ」と気持ちが変わり、高校は軽音楽部のある学校をわざわざ選んで入学したほどです。また入学直後に現メンバーの中川や田原とバンドを結成しています。

結成当初からプロを目指してオーディションを受けていたという彼は、最初から彼自身で曲を作り、それをライブの機会があるごとに必ず2、3曲、演奏していたと言います。

また、メジャーデビュー前には、自分達の音楽をもう一度見つめ直すために音楽活動を3ヶ月休養したというほど、音楽というものに真剣に向き合っていました。

活動休養中に森高千里の「私がオバさんになっても」の楽曲に触れ、ある種の衝撃を受け、それまで拘ってきたロックテイストからカッコつけるのをやめて、外見よりも心の中の本質というものに重きを置いていきます。

これがその後のミスチル世界の始まりと言えるかもしれません。

ミスチルの音楽には、ロックバンドとして培ったサウンドの力強さや厚みとは裏腹に、何気ない日常を切り取った歌が多かったりもします。

2007年に発売された『彩り』は、誰もが過ごす日常のほんの小さなワンシーンを切り取り、その景色に色を与えている世界です。誰もが経験する日常生活の断片は、リスナーがその楽曲を聴いた年齢に合わせて、印象を変えていくものでもあります。

それぞれのリスナーが人生のどの地点にいたのかによって、胸を過ぎる思いが異なり、新たな感動を生んでいくのです。

例えば、独身の時、結婚直後、親になった時、そして子育てが終わり自分の人生を見つめ直し始めた時…etc.

このようにリスナーの人生の局面に合わせて曲の色彩が変わっていくのが、まさしく『彩り』と言えるのではないでしょうか。

ミスチルの戦略 楽曲の手法

ミスチルがこれほど多くのリスナーに支持された背景の一つに、効果的な戦略があったことは否めません。彼らの音楽は、当時、それほど多くなかったタイアップという手法を意識的に使うことで、広く多くのリスナーに届きました。

「最初から100万枚売ることを目標にしている」と言う桜井の確かな自信が戦略に大いに現れ、功を奏したと言えるでしょう。

彼は、楽曲を作るとき、先にメロディーから作るタイプです。そして浮かんだメロディーに鼻歌や適当な英語の言葉をつけていき、最終的にそのメロディーの波形(メロディーラインともいう)にあった言葉を当てはめていく、という手法を取っています。

そこには最初に感じた怒りや叫びなどの感情までも鼻歌のメモに書き留めて、音から生まれる自然な感情を映し取るようにしているのです。

これらの楽曲が多くできる場所は、バスルームだったり、トイレの中だったり、サウナやジョギング中など、自分の意識が音から離れた空間にいるとき、そして、無意識という解放されたリラックスな状態にいるときに、ふと頭の中に浮かんでくると言います。

心身共に緊張が緩んだ状態で生まれるメロディーだからこそ、ナチュラルで多くの人の心を掴むのではないでしょうか。

非整数次倍音の響きの幅が、心を打つ

また、ミスチルの楽曲の大きな魅力に、桜井の歌声があります。

彼の歌声はやや響きの混濁したバリトンの歌声で、高くもなく低くもありません。多くの人が一番落ち着く中音域の歌声をしています。

また響きがやや混濁していて、幅のある声は、非整数次倍音を持つ歌声と言えるでしょう。

ここで少し脱線しますが、この倍音というものに関して、簡単に説明したいと思います。

私たちの耳に聞こえる音は、実は1つの音のように聞こえているようで、実は複数の音が鳴っている場合がほとんどです。特に機械的に作られた音ではなく、人間が発する声には、必ず同時にいくつもの音が鳴っている場合が多いです。

一つの音のように聞こえるのは、それが基音と言って、中心的な音で、主体的に聞こえるからで、実は、基音の周囲には必ずいくつもの派生する音が存在します。これらを倍音と言いますが、その倍音の高さが、基音に対して、どのくらいの距離、音程を持ったものなのかによって、倍音の種類が分かれるのです。

整数次倍音の場合は、一般的に綺麗に共鳴している音、例えば、1オクターブ上や長3度、完全5度のように、綺麗なハーモニーの響きを作る距離感のあるものが鳴っています。

これに対し、非整数次倍音は、それ以外の距離の音、いわゆる不協和音に近いような距離感を持つ音が鳴っている場合を言うのです。

多くの歌手は、非整数次倍音を持っていて、整数次倍音を持っている歌手は少ないとされています。これらは声の特徴であって、どちらが優れているとか優れていないとかではありません。多くは、持って生まれた声の特徴というものになります(歌ではテクニックとして訓練によって倍音を身につけることは可能です)。

整数次倍音を持つ代表的な歌手は、美空ひばり、徳永英明、郷ひろみ、三浦大知など、それほど多くはいません。

これに対し、非整数次倍音を持つ歌手は多くいます。代表的なのは、桑田佳祐、宇多田ヒカル、元EXILEのATSUSHIなど、いわゆる息が漏れるような歌声、ウィスパーボイスなどもその一つと言えます。

これらの倍音はいわゆる歌声の響きというもので、これらが多くの人の耳に心地よく響いてそれぞれのリスナーの心の琴線に触れることで感動を呼ぶのです。

一定の周波数を持って脳波にリラックスした影響を与える歌声をヒーリングボイス、または「1/fの揺らぎ」を持つ歌声と言い、その歌声によって、心身が癒されたり、泣いていた赤ん坊が泣き止んだりと、理屈では説明出来ない効果を生んだりします。

ミスチルの桜井和寿の歌声もこの倍音を持っています。彼の場合は、非整数次倍音の歌手と言えるでしょう。少し混濁した響きが常に歌声にあり、その響きの幅によってパワフルな歌声が力強く響き、ロックでは人々に活力を与え、またバラードの場合は優しく切なく心に響いてくるのです。

このように、倍音の種類によって歌声は大きく違い、その違いが同じ楽曲を歌っても印象を変えることになっているのです。

色褪せない人生の応援歌として

また、どんなに年数が経っても、その楽曲が発表された時と同じキーの高さ、すなわち、オリジナルキーで彼は歌い続けています。

これが多くのリスナー達に、その楽曲を聞いた当時のことをリアルに思い起こさせ、走馬灯のように自分の人生を振り返らせることで、新たな感動を生むのです。

人生の応援歌でもあるミスチルの楽曲は、この先、40周年、50周年と色褪せることなく多くのリスナー達の人生をあと押しし、共に過ごしていくことになるのでしょう。

久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞