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暗記のテストはなんのために?

最近学校の期末テストで、「学者の言ったことを当てろ暗記クイズ」が実施されていたことに衝撃を受けた。
友人は、「ボアズは文化相対主義を唱えた人」、「レヴィ=ストロースは構造主義」とAIに聞けばすぐ答えてもらえる内容を頑張って暗記していたのだ。

暗記のテストとは何のためにするのだろうか?

ある学者の言ったことの要点を丸暗記したところで本当に理解したと言えるのか?
先生が使った授業スライドに乗ってある言葉一つ一つ暗記することに意味はあるのか?
執筆された時代背景、筆者が用いた言葉やレトリック、論の立て方や展開方法など、実際読んで見ないと理解できないことは多々ある。
だが、実際読んだとしても全く理解できないことも多い。というかほとんどそう。そのため作者ではない、別の人が解釈し、まとめ、批評し、話題を広げ、また別の人が読み考え、自分なりに文章を織りなす。これこそが人類が積み上げてきた思想の世界であり歴史のはずなのに、なぜ思考を停止させる様な暗記のテストを実施するのだろうか。
さらに、その暗記力の結果が学力を評価するGPAになり、一定の評価を取れないと様々な利益(奨学金や留学権利)を享受することができないのも不思議だ。

私は人類学者たちの考え方に感動したし、それを理解した上で自分で考え答えを導き出すことが初めて楽しいと思えた。初めて学ぶことが楽しいと思えた。だからこそ、苦痛を覚えながら暗記をする友人たちを見ると余計悔しいのだ。

暗記をしても感動は生まれない。
感動した時に人は初めて脳内に誰かの言葉が焼きつく。それこそが真の「暗記」なのではないだろうか。
何のためのテストで、何のための暗記なのだろうか。ぜひ考えてみてほしい

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