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プレゼンテーションは朗読じゃない

大学の期末課題にプレゼンテーションをすることがある。
今学期久しぶりに大教室でグループプレゼンテーションの時間があったが、正直聞きながら自分がなぜ教室に座っているかを疑問に思ってしまった。
私が発見した発表者のパターンを少しここで伝えたい。

まず、スマホ朗読。
ほとんどの人がスマホの画面に書いてあることを朗読している。
読み上げるのはいいのだが、なぜスマホを凝視して朗読をしているのだろうか。赤ん坊の頃の読み聞かせの方がよっぽど聞き心地がよかった。

次に、無差別ラジオ。
発表者がなにを伝えたいのかが分からないのにも関わらず、観客は強制的に聞かされる。なぜ自分しか理解できてない情報を読み上げ、周りを置いてけぼりにする。自己中心的であり、まるで勝手に流れる壊れたラジオだ。

最後に、内戦国家。
グループの個性を生かせていないグループが多すぎる。チームとして何かを発表するうえで、分担するのはいいのだが、繋がりが見当たらない。これだと1つのプレゼンテーションのはずが何個かの独立したプレゼンテーションがある。

エンパシーという言葉ををご存じだろうか。フレディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでいた時に登場した言葉だ。

"Empathy: the ability to share someone else's feelings or experiences by imagining what it would be like to be in that person's situation"-Cambridge Dictionary"
和訳すると他人の感情や経験を想像する能力のことである。英国ではこの能力を培うために中学生のころからコンセプトとして授業で取り扱うらしい。

このエンパシーは万能である。プレゼンテーション、コミュニケーションや会話全般において応用できる能力だ。プレゼンテーションをするときは必ず観客の立場になってみるといい。相手のニーズを考え、どういう話が聞きたいのか、彼らがどうしたら楽しめるのかを考えるといいだろう。プレゼンテーションは観客と発表者の相互コミュニケーションで成り立つ作品である、どちらの存在もその場には必要不可欠なのだ。

一方的な情報の伝達のように思うかもしれないが、観客の表情や座り方、場の雰囲気など、読み取れる情報は無限にある。その都度自分の伝え方も工夫していく必要があるのだ。

常に自分が発表を通して相手に何を伝えたいのかを考え、それを分かりやすく言葉にする。もちろん難しいスキルだと承知している。だから私はよく好きな先生、ユーチューバーや芸人の真似から始める。なぜこの人が面白いと思うのか、何を魅力に感じるのか、その人が伝える内容よりも内容の伝え方に注目してみると新しい発見がいくらでもあると思う。

最後に自分が信頼する人にプレゼンテーションの練習を見てもらうといい。この人なら自分が傷つくようなフィードバックはしないだろうと思える人。

そんな人たちが全員観客になれば、きっと誰もがのびのびと自信をもって発表できるはずだ。。



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