学校で誰ともしゃべれなくてもなんとかなるから大丈夫。

わたしは、中学生のころ一人で廊下を歩いていた。

移動教室も昼休みも一人で廊下を歩いていた。

用事も目的地もなかったけど、一人で廊下を歩いていた。

ひとりぼっちなんかじゃなくて、待ち合わせの人がいるんだ。

そんな雰囲気を出しながら一人で彷徨っていた。

本当は誰かと歩きたかったけど、なんとなく声をかけることができない。

別に悪口を言われていた訳でもなかったけど一緒に過ごす友達は居なかった。

部活では完全にシカトされてたけど。

あの時、大人に慰められてもきっと傷は癒えなかっただろう。

傷つけられるときは大勢の同級生の中で私一人になったとき。その時大人はいないから。本当のピンチは大人は助けてくれないと知ってたから。

担任が言った。「あなたは人を好きになりなさい。情緒を持ちなさい」

話しかけても無視されて、ペアを作りなさいと言われれば残された私に情緒を持つ余裕はなかった。あっても傷つくだけだから。

家について、「ただいま」というと思い出す。「いってきます」が一つ前の私の声だったと。

私は約2年間こんな生活をおくっていた。一日だけずる休みした。それ以外は学校に行った。親にハブられていることを知られたくなかったから。隠すために学校へ行っていた。

卒業式の日、最後の号令が終わると親を引きずってすぐに校舎を後にした。

嬉しくてうれしくてたまらなかった。解放だった。すぐにでも教室から飛び出したいそんな気持ちだった。

高校は、できるだけ同じ中学の子が来ない学校を選んだ。

ひとりで廊下を歩いても、読書をしてもボッチと囃し立てられない最高の環境だった。

私は何も変わらなかったけど、友達ができた。

話しかけられたからしゃべった。ただそれだけなのに会話が増えていった。

土曜日も日曜日も学校の人と学校以外で会う。初めてのことだった。   今でも高校時代の友人と会うと会話の8割は相槌を打つだけだ。それでも呼んでくれる。自分の性格やしゃべれないことが、悪いことじゃなかったんだと気付けた。

卒業時に授業でこれからの目標。というのを書いた。

「笑顔をふやす。」理由;難しい顔してると言われたから。関西に受け入れてもらえるようにもっと笑う。

と書いた。すると隣にいた子から「なんで?充分笑ってるじゃん?」と言われた。

このとき中学時代の担任に言われた「あなたは情緒をもちなさい」という言葉の呪いから放たれた気がした。

学校で私笑えるようになってたんだ!!そして一緒に笑いあう人がいたんだ!!と周りの景色が急に色を取り戻した瞬間だった。

その瞬間は写真のように教室の席も色もその子の表情も鮮明に思い出せる。

高校卒業後は関西に数年間住んでいた。「木戸に立てかけし衣食住」で書いたように関西人の笑わせたる精神と、落ちをつくるおもてなし精神は素晴らしく会話とは何かを考えるきっかけになった。

正論を突くことしかなかった今まで会話にプラスして、テンポ感やあえてボケる面白さ。多少の小言は突っ込みとして受け流す強さそんな種類があったのかと日々刺激的だった。

そんなこんなで社会人になったいま、また休憩時間は一人である。

でも、中学のころと違うのは一人でいる時間を馬鹿にされないことだ。

そして一人でいる自分が恥ずかしいとは微塵も思っていないことだ。さみしいけどね。

大人になっても派閥や人間関係は複雑だけど給料がもらえて趣味に没頭できる。やりたい勉強も好きなだけできる。

なんとかなってる。

正直、自分がいじめられるかどうかは運ゲー。自分らしくを世間が認めるか認めないかは自分だけじゃ決められない。

ただ、世間に認められる必要なんてないから。

ちやほやされたいなら、認められる努力がいるけど。

そうでもなければ、自分の性格を憎む必要はない。そのうち素のままで受け入れてくれる人と出会うから。

これだけ書いていても人間だから承認欲求はあるし、ちやほやされたい。笑

まぁまぁそれなりに楽しく生きていけるから学校で一言もしゃべらず家に帰る日々でも大丈夫。






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