見出し画像

『小説空生講徒然雲28』

ひかりの帽子を被ったような苗場山の向こうに我々一行が向かう土地がある。どう行ったっていいのだ。その気になれば電線のない苗場山を飛ぶように走ることも出来る。私の頭上の青猫付き『?』があれば何処へなりとも行けるのだ。『?』を釣針のように使えば、カワサキW650は鉄塊のムササビと変わらない。しかし、この空生講徒然雲|《くそこうツーリング》は急がないと決めていた。この一行が愉快な者たちでもあるのは間違いなかった。それに、冬になればオートバイの御師は暇になるのだ。もう、稲刈りの時期だ。私は電線を伝いながら長野県との県境に近い、新潟の河岸段丘へ向かう。

鬱々不安骸骨のタナカタさんはだいぶ、ふらふらだった。どうやって、骨と骨が組み合い付いて関節として機能しているのか私にはわからない。ひとつの骨がぽろりと外れたならば、それがきっかけになって全部の骨がばらばらになってもおかしくないぐらいのふらつきようなのだ。骨と骨が骨の限界までスライドしていた。ダンスマスターか、崩れる寸前のジェンガのようだ。ジェンガ?、ジェンガとはなんだ。私の口元だけは言葉を覚えていることがある。でも、それは口元の癖のようなもので、外殻だけは卵そっくりなのに白身も黄身もないハリボテの記憶だった。ハリボテ?ハリボテとはなんだ。
「タナカタさんのからだはひとつ間違えばドミノ倒しのようにくずれそう」、シマさんがそうつぶやいた。
私の記憶も千日の間にずいぶんまだらになったものだ。
私には、言葉の懐かしい口触りのようなものがあった。それなのに、姿形がわからないのだ。ドミノ?ドミノとはなんだ。ピザか?なんだ。私は、デリバリーのアルバイトをしていた事があった。それは覚えていた。
3口目に入ったばかりの記憶とはこんなものなのだ。一段階が500日だ。私の御師の役目もあと、『口凹ハ』の千五百日で終わりだ。シマさんは御師にぴったりなライダーではないか。千五百日後に会いたかった。そうすればうまく引き継げたのではないか、そんなことを私は考えていた。

南魚沼に入ると秋の稲穂がこうべを垂れていた。山深い峠を越えてきた私たちは、これから縦横に山と稲穂の風景を電線を伝いくりかえし愛でることができる。「さあ、西へ向かいましょう」、清津峡を越えてさらに西の長野県との県境まで走るのだ。
しかし、鬱々不安骸骨のタカナカさんに目を入れるとは言ったものの、噂でしか聞いたことのない『見玉入れ』の儀式とは、どんなものだったろうか、たしか火渡りをするような儀式だったはずだが。どうだろう。私は全く見当違いの事をしているのではないか。「なぁ、青猫タルトよ。キミはただの青猫ではないだろう?」
「うみやおん」、青猫はどちらとも判断がつかないように啼いた。私自身で考えろということか。いっそカワサキW650と、ヤマハSR400で龍ヶ窪の池に突っ込んで見るか。機械製品に水は大敵だが、すでにこのオートバイはいのちを吹き込まれている。かれらの動力は恥ずかしながら『愛だ』、跨がる者との信頼関係なのだ。それさえあればなんとかなるものなのだ。

考えれば考えるほど私は私を抑えられなくなっていた。飛び込みたくてうずうずしていた。「どぶおーん」と、一気に飛び込む気持ちを私は抑えられそうにない。全部が全員が水浸しになるのだが。見玉不動尊の見玉入れでは炎を使うだろうから、大丈夫という事にしよう。濡れたら乾かせば良い。このことはカワサキW650にだけ伝える事にした。迷いは災いを生むのだ。私はカワサキW650のタンクを撫でた。納得してくれるか。
「ドロドロドロドロドロオーん」、解ってくれたか。相棒よ。
すると、「とんととんと」、青猫タルトが私の頭をつついていた。ばれたか。ばれたのか、聡い青猫だ。私を止めてくれるなよ。撫でてあげよう。もの思う種の世界では、私は猫アレルギーだったはずだ。治っているだろうか。なでなで、どうだ。なでなで、どうだ。

だらん。青猫タルトが『?』から降りて私の頭に『直だらん』している。前足は私の前髪。猫膝は私の耳をグリップ。後ろ足は私の襟足ををホールドしていた。「青猫。聡い奴め‼」私は叫んだ。「みやおおおおおん‼」青猫タルトも叫ぶように啼いた。猫アレルギーは消えていた。
私は振り返り、「シマさん、レッドスターくん、私についてきてくださぁいっ」、そう呼び掛けた。
行くぜ、私。



この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?