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『冬の赤城千本桜』

例年になく日だまりの多い冬がそこにある。
桜の時期ともなれば長い渋滞を編み目のようにつくりだしていた赤城千本桜。冬なればこそ、人知れずひっっそりとした公園と成している。
枯れ葉は道脇に避けられて、ちいさな盛り上がった山がいくつかあった。もう、此処は関東平野とは言いづらい坂のある桜並木の公園だ。縁だ。
赤城山の縁であり、関東平野の縁。そのラインは関東平野をぐるりとはいかないまでも、囲う。

つまり、縁とは始まりと終わりの事でもある。赤城おろしの大本はシベリア辺りかもしれないが、シベリアの者たちは、かぜに名前をつける余裕はないかもしれない。事ここに至って、赤城山を北からのぼり、大沼で暴れ吹きまわり、赤城南面をくだる途中で『赤城おろし』と言うたいそうな名前をもらう。
つらくもあるが、『赤城おろし』を憎めない上州者(群馬県民)の愛しさのあらわれだ。私は勝手に、この辺りまでは絶対的に『赤城おろし』と呼びたい。赤城千本桜あたりは『からっかぜ』ではない。私の情緒的にはできるだけ『赤城おろし』の寿命をのばしたい派だ。
私の暮らす町の商店街では『かかあ天下とからっかぜ』を、推しだしているので、誠に忍びないが、私は『赤城おろし』推しなのだ。

子どもの頃は『からっかぜ』と呼んでいた。学校の校庭で埃を巻き上げながら吹くかぜは、いかにも『からっかぜ』だった。湿度がぜんぶ砂塵に吸い上げられるようなかぜだった。
いつから私は『赤城おろし』派になったのだろうか。バイクに跨がり、行動範囲が飛躍的に延びてからだろう。関東平野の縁に出会ってからだ。縁には色彩があり、始まりと終わりがあったからだ。『から(っぽ)』ではなかったからだ。

利根川を越えるまでは『赤城おろし』でいい。埼玉県民に『赤城おろし』を強要してはいけない。利根川が『赤城おろし』と『からっかぜ』のラインでいいのではないか。そう、思う。
シベリアにはシベリアのかぜの名前がいい。埼玉には埼玉のかぜの名前がいいだろう。あるのかな?

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