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私が理解できない彼の頭の中。


横槍と、議論は違う。横槍はWWEでお願いしたかった。


そうそう、WWEと言えばすごいオンライン観戦環境を構築していた。これ、考えた人は多いけど実行できた人は少ないと思う。お金持ってるだなあ。


近年、時々驚かされることがある。それは「おまいう」案件の著しい増加である。

「おまいう」とは。

「おまいう」とは、「お前が言うな」の略である。自分を棚上げした言動を発する人物に対し、「いや、お前が言うな」というツッコミの意味で使われる。


正直に告白しよう。私は私自身を「生きててごめんなさい」レベルに落ち込んでしまう時がある。そのきっかけは「え、お前がそれを言う???」と思わず立ち上がってしまうようなことを言われた時である。


私が幼少の頃や若かりし頃も「おまいう」案件はあった。しかしそれは子供ど同士の諍いだったり親子関や親戚関係など比較的狭い世界での「おまいう」であった。私は憤りを感じながらも確信していた。


「おまいう」との遭遇は私が成長して社会に出れば終了するはずだ


私が社会に出た遠い昔、一時「おまいう」は私の近辺から消滅した。もちろん全くなくなったわけではない。何だおまえっていう案件がなくなったわけではない。でも、明らかに公共の場ではあああ?って思うような案件には遭遇しなくなった。


ただ、ここ数年「あれ?」と思うことがある。公共人でも個人的にも「公共の場でそう言ったらどう思われるか、あなた考えたことある?わかってる??」と言ういわゆる「おまいう」発言に再び遭遇するようになってきたのだ。数年前から明らかに増えてきた感じがする。


SNSの身軽な発信が言葉の軽さを助長してるとか、身近なやり取りと公共意識の境界線の消滅など、分析は様々である。どれが正解なのか私にはよくわからない。でも明らかに「え、それ言っちゃうの」という発言に遭遇することが増えた。日々びっくりである。


同時にものすごい自己に恐怖を感じる。もしかしたら私が意識しないで発している言葉が他の誰かには激しい「おまいう」案件になっているのではないかと。

これは私が外国で日本語でのやり取りに参加してるから?という仮定があった。よくある仮定の1つ「外国から日本語で日本をみてるからじゃね」である。確かにその部分はあると思う。私自身、日本語マインドと非日本語マインドが混乱してしまう時は多々ある。


しかし、今朝のアメリカの大統領選のディベートをみて確信した。これは日本語だからではない。どの言葉でも「おまいう」輩は存在する。


ネットでの中継を観ていたのだが何度も消したくなった。それくらい聞いてて気持ちのわるいものだった。

東南アジアに転居して7年目。2回目の大統領選挙である。その前は日本dなったけど旦那さんの仕事の関係で外国の方とのやりとりが上昇した時期故、話題の1つとして大統領選挙のディベートはよく見ていた。

東南アジアに転居した後は子供の学校の課題として「大統領選挙のディベートを観ること」があったりしたので子供と一緒に観た。4年前も「おいちょっと待て」的なことあったが今日の衝撃に比べればまだ可愛いレベルだった。

拝聴していて疲れ果てた1時間半だった。そして現役大統領から「おまいう」発言が多すぎた。在留邦人としては国際情勢は滞在に影響を及ぼす場合があるので常にチェックをする必要がある。これでは悲観的な思いしか感じない。頭の中が「おまいう」で溢れかえっている。


司会のクリス・ウォレスさん、家でこんな感じではなかろうか。


一体ここ数年で何が変わってしまったのだろうか。新型肺炎もこの「変化」の一環なのかと恐ろしくなってしまう。今、自分が出来ること、家族と共有できることは


1:人に対して不完全であっても明確で誠実であること
2:人に対して傷つける言葉を投げつけないこと
3:人からおまいう案件を投げつけられても投げ返さないこと


ですかね。ちなみにトランプ大統領があまりに横槍入れるからバイデン候補は説明に「第一に、第二に。。」って言いかけてたけどほぼ言い切れてなかった。人の発言に横槍を入れない。横槍と議論は違うことを深く学んだ9月最後の午前中だった。


追記:トランプ大統領とWWEは綿密な関係があります。正直観てて不愉快になる振る舞いなので私自身はちゃんと観たことはほとんどありません。でも今日、ちょっと思い出して見直してみたら「全然変わってないやん」。


っていうか2000年はじめと今、トランプさんほとんど見た目が変わってない。別の意味ですごい。米国大統領は激務なので4年勤めると大体ものすごく老けるんだけどな。。