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「作品を破損しないで鑑賞するマインドはどうしたら育つか」美術鑑賞歴16年の16歳に聞いてみた。そして大人が出来ること。


こういうのは当事者と同世代に聞くのが一番だと思うのです。


昨日の悲しいニュース、各方面で皆様がいろいろな意見を発信しておられます。
ここではニュースのみをシェアします。


子連れ美術鑑賞歴16年なので6月6日の時点でnote書きました。多くの人に読んで頂いているようで嬉しいです。


そして私自身、子連れ鑑賞歴16年なので「子供と美術鑑賞」は絶対にやめてほしくない!と思っています。それは作家さんも同じだと思うので、渡辺おさむさんのコメントはとても嬉しかった。

渡辺おさむさんの作品はマジで美味しそうなのでオススメです!



私は子供と美術館に行くことで人生を救ってもらった感があります。


なので、この事件をきっかけに日本で子供の鑑賞の機会が自粛するようにという流れになったら本気で泣きます。鑑賞マナーの徹底と青少年の鑑賞の制限を同列に考えることはなんとしてでも阻止しなくてはいけません。

そこで、このような鑑賞マナーに関して当事者と同世代に聞いてみることにしました。それはうちの息子さんです。
彼は16歳ですが美術鑑賞歴16年目、鑑賞した国は日本、香港、シンガポール、マレーシア、ベトナム、インドネシア、タイ、ドイツ、オーストラリア等。日本の現代美術鑑賞に関してのブログはお読み頂いた方も多いと思います。


正直若手のギャラリースタッフより鑑賞歴は長いです。本人も独特の感性が育っていると思います。
日本を代表する現代芸術家会田誠さんに「現代アート鑑賞に関しては帝王学を学んだ少年」とも言われております←本当にありがとうございます。


そんな彼ですが、クワクボさんの作品大好きです。幼少の頃に何度か拝見しています。


なので、今回の破損に関してとてもショックを受けてました。なので「自分にできることはないか」ということで

「なぜ「自分は作品鑑賞を落ち着いて出来る」ようになったのか」

経験談を整理してもらいました。16年という年月を反映するのは厳しいと思いますが、これから鑑賞教育を絶やさないために少しでもお役に立てたら嬉しいです。
本人曰く、大きく分けて3点だそうです。それは

1:作品に触れる経験を積む
2:作品がそこにある経緯を知る
3:作家さんの存在を知る

では掘り下げてみましょう。

1:作品に触れる経験を積む

流石に16年のキャリアを今から!というのは厳しいですが、確かに経験がある、はとても重要だと思います。そこで意識せなあかんのは「子供が楽しかった!」と思える経験を積むことです。本人は美術鑑賞は楽しかった!と言ってくれています。それは鑑賞そのものだけでなく、帰り食べたケーキやグッズショップで買ったおもちゃが楽しかったというのもあると思います。同時に一緒に連れて行った大人の私が美術館に行く際に「全部見なきゃ」とか「勉強しなきゃ」とかいう概念を捨てたのも大きいです。とにかく楽しかった!これを最優先にした経験を周囲の大人がセットしてほしいと思います。

最近日本でアート関係で楽しかった経験って何?と聞いたらこれだそうです。強烈だね🤣。


2:作品がそこにある経緯を知る

美術作品って別に絵画やブロンズの彫刻に限ったものではありません。表現って本当に色々です。これって・・・・?と思うようなものも多い。それを表現と認識するにはどうしたらいいか。息子さんに聞くと「展覧会に入る前に事前に施設をぐるぐるまわったり、ポスターを読んだりするとそこの歴史を感じてたかもしれない」とのこと。うちは鑑賞前に(私が緊張しちゃうタイプなので)トイレに行ったりチラシを読んだりすることが多いのですが、それが「鑑賞前のそこにある経緯を感じる」に一役買っていたのかもしれません。(そう思うと学校教育での鑑賞引率って時間との戦い感がありますよね。。)特に現在はコロナ禍明けということで、事前学習に時間を設けることも掘り下げることも厳しかったのかも。このような「場を知る」という発信は美術館側で発信すると横展開出来そうです。


3:作家さんの存在を知る

息子さん曰く「「作家さんに実際に会ってる」って大きい。実際に作った人に会うと「触っちゃいけない」って思うようになった」。そうです、うちの場合はめっちゃ作家さんに会ってるというのはあります。作った人の存在を見てると「触っちゃあかん」と感じる要素は増えます。

コロナ禍で集団でのリアル学びが激減したことで「人が作ったもの対する敬意」を実体験する機会の激減も忘れてはいけない点です。美術や図画工作などの授業中に中学生のクラスで「同級生が作った作品をいきなり破損」という事態はそうそうないと思うのです(ないよね?ないよね?)。それはリアルだから。そのリアルの機会が激減したことで「人が作ったものに敬意を持てない」。特に「日常品を使った作品を作品と認識できない」という事態は十分想像できます。(ここでクワクボさんの作品の動画を再度ご紹介します。これ、実際見るとマジで日常品で構成された作品であると同時にガチで心奪われるのがお分かり頂けると思います、息子は幼稚園時に作品拝見した際、家でプラレールで自分で作品模写してました!)


作品を作った作家さんを知る機会を鑑賞前に作りたい、でも引率鑑賞の度に作家さんが登場するのはもちろん無理なお話😅。なので事前に「作家さんのトークを見る」等の作家さんの存在を人として認識するを引率鑑賞の前に組み込むなどをしたいですね。これは美術館側だけじゃなく作家さんがSNSとかで発信しているので、作家さんのSNSを見るってのも良きですね。



4:青少年の鑑賞機会を自粛しないために私たちが出来ること

私自身は「青少年こそ現代アートを見るべきだ」と強く、強く語らせて頂いています。これは子供が幼少時も、青少年時になった時も変わっていません。

幼年期、青少年期に体感することで人生が変わる!というような体験もあると思うのです、それを「破損の可能性があるので機会を無くそう」「他の鑑賞者のために自粛しよう」の方向に行くのは本当に、本当に悲しいと思うのです。

私たち大人がこれ以上、子供から体験の機会を奪うことは次世代の心を殺しているのと同然だと私は思います。じゃあどうすべきなのか。それは前のnoteでも、Twitterでも何度も言ってますが

「私たちはコロナ禍を経て変わってしまった」ことを再認識する。その上で行動をどうするか、改めて見直す

ここだと思うんです。オミクロン軽症ーさあ行動行動!というのももちろんアリなのですが、その前に「俺もお前も以前と違う」をもっと深く認識しなきゃいけないと思うのです。

ここで同時に強く言いたいのは「いくら青少年が抑圧されてるからと言って破壊活動を容認してるわけじゃないよ」ってことです。壊すことがいいわけない。ダメです。ダメに決まってます。でも、だからと言って「壊す可能性があるから青少年の鑑賞は自粛で」と一緒にしてはダメです。壊す可能性があるのなら、壊す可能性を1つ1つ潰す具体的対策を実行すべきです。

それはなぜか。このような「感情の変化」は別に青少年に限ったことではないからです。今回の事件は「コロナ禍前と同じような対策では集団行動で事件がおこる、そして事前対策をより強くしないと事態は悪化一直線」となりました。

この事態、大人だって十分起こす可能性があります。感情が圧迫されたのは青少年だけはないからです。大人ならわかるでしょ?って?感情が暴走してしまったら青少年だろうが大人だって止まらないですよ。むしろ大人の方が止められない可能性が高い。



コロナのパンデミックにおいて、強めのロックダウンをしない状態で感染のピークを乗り越えた日本は「変わってしまった」認識が強く感じられないのかもしれません。私はコロナ禍の時代、マレーシアで監禁生活を送りました。(興味のある人はこちらをどうぞ、長いぞ!)


厳しいロックダウンを経験するとエンデミックになったと聞いた時、実際に多くの変化があります。その変化で「ああ、終わった」と感じることが多いです。(でもロックダウンは経験しないほうがいいよマジで。同時に「日本だって非常事態宣言あった!」という人にはロックダウンマウンティングかまさせて頂きます)


日本は厳しい行動制限をしていないので事態の変化に関してなあなあになってしまってる。その割には同調圧力が強い。その結果、各自に「認識しないストレス」が溜まってるのではないでしょうか。今回の事件は「コロナ禍前と同じ準備はしたけど、それでは人の配置もマインド的な準備も足りなかったことを大人も中学生も認識できてなかった」故起きた悲しい事件だと私は考えます。



なので今回のこの破損事件を「これだから中学生は」と一部しか見ないでいる人がいることに強い危険を感じます。
イベントを行う側、参加する側、関わる側全てが「コロナ禍前とは違う」を認識して余裕と余白を持ってイベントを実行しないとより大きなイベントで大きなトラブルが起きるのではないでしょうか。中学生に限った話ではないです。


やっとコロナ禍おわた!さあイベントだ!という気持ちもすごく理解できます。失われた時間を取り戻せ!と焦る気持ちもわかります。そこで焦って行った結果、より多くのものを失わなうことにならないように入念な準備をする余裕を持ちたいですね。