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誰もが国の政策に翻弄される時代に国の政策に人生を翻弄された女性達を想う ー宮森敬子展「記憶の海、Roseのプライド」@中村屋サロン美術館ー

ここ数年って全人類が国の政策に翻弄されたよね。


9年間住んだ東南アジアから日本に本帰国してから、自分は今SNS的な発信者として何の力がないと感じることが多いから正直自分はもう美術の世界に呼ばれることはないと感じていた。なので、帰国してから展覧会に呼んでいただくととても嬉しいと同時に自分は一体何ができるのかとか考えてしまう。ただ、9年間海外にいたせいか「何もできませんよ」と言うことは出来るようになったので、お誘いをありがとう、でも強いメディアとの繋がりとかないですよ。個人で伺うことしか出来ませんがそれでも良いのならぜひと伝えてから伺うようにしている。

なぜ最初にこんな自分語りをしてるのか。それは今回拝見した展示が女性の物語を連想されるからだ。

宮森さんはSNSでの繋がりはあったけど、実際に作品を拝見させて頂く機会になかなか恵まれなかった。今回、マレーシア&シンガポール((機中泊→KL→SG→JB→KLを1週間でまわる過酷な外遊)を終えて帰国した次の日に新宿の中村屋サロン美術館に向かった。

中村屋サロン美術館とは、カレーで有名な「新宿中村屋」の本店の3階にあるヨーロッパのサロンを彷彿とさせる美術館だそうだ。

中村屋の創業者 相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術・文化に深い理解を示し、愛蔵と同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援しました。彼らは中村屋を舞台に切磋琢磨することでそれぞれの才能を開花させます。その様子は後にヨーロッパのサロンに例えられ、「中村屋サロン」として日本近代美術史にその名を刻むとともに、中村屋に芸術・文化の薫りを添えました。

引用:中村屋サロン美術館:美術館概要「館長挨拶」

創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻は1901(明治34)年、本郷でパン屋「中村屋」を創業しました。そして1909(明治42)年には、新宿の現在の地に本店を移転します。相馬夫妻は芸術に深い造詣を有していたことから、中村屋には多くの芸術家、文人、演劇人が出入りするようになりました。それが「中村屋サロン」のはじまりです。

引用:中村屋サロン美術館:美術館概要「中村屋サロンとは」


芸術家にとって表現の場、表現の交流の場である「サロン」というのは重要な場。サロンは芸術が育つ際には不可欠な場所だ。ただ、私は思うのだ。
いくら自由に表現していいとは言っても不安が全くなかったわけではなかろうと。だって人間だもの。人間というのは楽観的な気持ちで満ちることは生き物ではかなり少ないのではないか。生き物は生き物で騙されるわけだし。

ロックダウン生活の傷が残ってる私はついそう考えてしまう。なので今回の展示が「翻弄される女性の物語」と聞いてどのような感情が自分の中に見えてくるかドキマギしながら展覧会に向かった。

宮森さん、今回はありがとうございました

今回の展示は宮森さんのお婆様、お母様、そして国の政策に人生を翻弄されてしまった日系人女性「東京Rose」が登場する。ちなみに「東京Rose」とは、こんな人。

東京ローズ(とうきょうローズ、英語: Tokyo Rose)は、日本軍第二次世界大戦中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称

引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』東京ローズ

女性ばっかりやん。そう、大きな力に翻弄されるのは女性ばっかりなんだよって思いながら第二会場に入った際、宮森さんのお父様の写真と共にTIMEを拝見した際、私はハッと気がついた。

この数年間、コロナの政策で「国の政策に翻弄された人」って世界中におるわ。女性だけじゃないわ。


ここで私の中での枠が外れた。だって。。という気持ちから人として人生を翻弄された人とは、という気持ちで作品と向き合うことができた気がする。

TIMEで扱われてる「拓本」が正直こんなに小さかったのかと驚きを感じた。同時に宮森さんから伺ったご家族のお話を思い出しながら自分の中の亡くなった父、現在一人で暮らす母を想う。

アメリカは久しく行ってないけど作品に使われている生地からモダンガールの風貌を連想しながらかつて輝いていた女性の面影を探る。

私の母は今年87歳。死を意識しながらも意識したくないという葛藤を言動から感じることが多い。私は自分が9年前に乳がんを宣告された経験とマレーシアでロックダウンを体験した経験から「望んだ時まで死は待ってくれる訳ではない」を実感した。つまり人は(自分も含めて)思い通りなどならないのだ。そして自分の死を迎えた時、自分の人生とは何だったのか、どうしてこうなったのかどこに探しても答えは見つからない。そもそも振り返る時間も余裕もないかもしれないのに、なぜそこに答えを見つけようとするのか。

彼女の作品と作り上げた世界を通じて彼女の家族の歴史に触れる。外国からの遠隔介護や異文化の歴史、それぞれの時の女性の生き方の物語に自分を投影しながら海の音を聴く。

そして「国のコロナ政策に翻弄される」という体験が世界規模で行われたこの2年。結論はもちろん見つけられないし結論はどこにもない。


2つの展示室は決して巨大ではない。でもその2つの展覧会でのストーリーに身を委ねながら自己の中と自己を囲む世界を振り返ることができた気がする。


これが芸術の素晴らしさなんだようなという暖かい気持ちになった。


ちなみに、今回中村屋サロン美術館に伺う際に、私の中でどうしても行きたい場所があった。それはカレーレストラン。個人的に中村屋さんのカレーは東南アジア時代に本当にお世話になった。辛いこと、悲しいこと、しんどいことがあった時、そして楽しいこと、嬉しいことがあった時に中村屋さんのカレーを食べ、そして寿司酢で漬けた玉ねぎの漬物(だってらっきょう高かったんだもの)を頬張って気力体力を回復した。
まさに日式の高級カレーの味。本当に美味しかった。

ちなみにレストランで食べるとその8倍は美味しかった。(Twitterでは冷静ぶって書いてますが当人は大興奮して食べてました。また行きたいです)