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表現とは自分が生きるために行う行為ーハンセン病資料館に行って感じたことー


表現について最近より深く考える様になった。その思考の際、どうしてもいかなきゃいけない場所がありました。行けてよかった。


どうしても行きたかった国立ハンセン病資料館を訪れました。



1:私とハンセン病と芸術表現

なぜ私が東村山市の国立ハンセン病資料館で行われた絵画展に興味を持ったのか。それは瀬戸内国際芸術祭の大島を訪問したことから始まります。コロナ前とコロナ後、私は瀬戸内国際芸術祭の時に大島を訪れています。瀬戸内国際芸術祭は初回から訪れているのに、大島にはなかなか行く機会がなく、2019年にやっと訪れることができました。

初めて大島を訪れた時はまだパンデミックの前でした。当時の私はマレーシアに住んでいました。そして実は乳がんの手術、放射線治療を経てシンガポールでホルモン治療を受けてました。つまり、私の生活は「重病と共に生きる」が日常でした。程度の差はあれ、ハンセン病患者の方の境遇と「重病と共に生きる」という自分自身に関連を感じての訪問。生きるとは何か、生かされるとは何かを考え、気づかせてくれる体験になりました。


私はトータルで約1年半、日本より相当厳しい隔離状態(ロックダウン状態)で過ごしました。子供は当時受験生。彼の学習環境をサポートしながらパンデミックを乗り越えて、私は2022年8月に本帰国しました。そして私はその年の10月に瀬戸内国際芸術祭を再訪しました。今となっては自分がパンデミックを挟んで大島を訪れたことは運命だったと思っています。なぜなら厳しいロックダウンを経験した私にとって隔離された状況を自分の体験を重ねる、という思いと共に再訪できたからです。自由に移動できない、何かあっても故郷に帰れない、というあの時の体験は当時から、そして今でも自分の中で大きく影響しています。


ロックダウンを喰らって隔離されていた時、自分がなぜ、どうやって生きてきたか、そして生きるべきかを常に考えていました。
同時に生きている意味あんのかなという気持ちとも戦っていました。大島を散策すると島の中で色々な施設が作られていることを実感することができ、ます。それは隔離する側からすれば精一杯のサービス。でも隔離された側からすると「なぜ自分だけがこの限られた世界に閉じ込められるのか。そんな他人に決められた世界で生きろと決められた自分に生きる意味などあるのか」という思いを強くさせてくるのです。もちろん程度は違いますが、パンデミックでのロックダウンの体験はハンセン病の隔離制作と重なる部分がたくさんありました。

2022年に大島を訪れた時のnote、今読んでも色々な思いが込み上げてきます。


2:遠く感じる施設に実際に出向くまで

国立ハンセン病資料館は東村山市にあります。現在私が住む横浜から東村山の資料館まで大体3時間かかります。 予想以上に遠く感じました。今週は家族が皆国外なのでこんな時こそ! ということで出かけました。 それにしても遠かった…。

私は側から見ていると「なんでそんなに出かけるの」と呆れられるくらいフットワークの軽い人間です。 自分でも結構呆れております。 でもね、今回の旅は本当に遠かった。 在来線を乗り継ぐだけなのに、すごく遠かった。

どうしてこんなに遠く感じるのだろう。それは「(元)隔離施設」に行ったからなのかもしれません 。 隔離施設というのは「遠さ」を感じさせないと隔離の意味がないですから。
そして「遠い」と思わせる気持ちこそが世界を分断するために必要だったのかも。

なんてことを思いながら電車、バスを乗り継いで行きました。


3:表現すること、見つめて気がつけること

今回の資料館の企画展のタイトルは「絵ごころでつながる - 多磨全生園絵画の100年」


ポスターに使われている言葉「絵を描くことがぼくらのすべてだ」という言葉が胸に刺さります。それは私が(程度は違いますが)隔離を体験したことが強く影響しています。表現をする、描くことで自分が生きていることを確認できる、いや、それでしか確認できない、という気持ち。その気持ちが自分ごととして伝わって来るのです。

表現って誰かに認めてもらいたい、って思っている様では真の表現じゃない。自分がこう伝えたい、という強い思いの純度が上がっていくと、人の評価なんてどうでもよくなる、自分との対話だけになる。それって最後は対人間じゃなくて対自分になる、というかそれしか道はないのです。

創作という自分の自由にできる世界に生きる希望、いや、自分の生きる意味を見つけ出す、と行くのは必然。決められた世界に絶望したのなら自分が決めた世界に行く、こうでしか生きる希望は見出せないのです。


表現を残さなきゃ、表現を伝えなきゃ。という想いから「表現そのものをしなきゃ自分が生きている感がない」という気持ち。
程度はもちろん違いますが同じような体験をしてきた自分は「生きるための表現」の集まった展覧会をぜひ見たい、と思うのは必然でありました。


4:人間を人間が支配してきた歴史を振り返って

企画展以外にも展示はとても充実していました。改めてハンセン病の歴史に向き合います。悲しい歴史としての重要性はもちろんなのですが、今、考えてしまうのは「人が人に行う行為」について。


人がなぜ人を隔離することができるのか、冷静に考えればおかしくないですか?と思えてくる、まずここで思考を止めて周囲を確認しないといけません。なぜその思考を自分は関係ないという前提で思考できるのか。それは現在、私は日本で安全な場所にいるということです。世界では戦争が継続している地域もありますしジェノサイドが行われている地域もあります。そして同じ人間なのに殺める側と殺められる側がいる。

資料展示では「写真撮影はしないでください」との提示がありました。ちなみに企画展の場所にも写真撮影禁止の提示があるものも。それは主に「その方のお顔が認識できる写真」が多かったです。
この資料館は「人の尊厳を最大限に大事にする環境を構築する」を常に意識しているように感じました。つまり「誰かが誰かを支配する環境を排除する」ことも行っているのだなと感じました。

いつの時代でも、どんな年代の方も写真に残っている方に最大の敬意を払うこと。今できることをどの時代の方にも行っている姿勢に改めて感銘を受けました。


人間、いつどうなるか分かりません。それは外国で閉じ込められたことや
急にがん宣告を受けたことで自分の中で体験済みのことだったはずなのに。自分の中で今の自分に対するありがたみを忘れてるな、そして周囲を見て自分ができることは何か、考えることを怠ってはいかんなと改めて思いました。今、自分が穏やかだからってこの穏やかさがずっと続くとか思っちゃいかん。今を自分の信念でちゃんと生きるには何からやるべきか、ちゃんと考える。自分ができることは何だろう、と常に考えながら展示をじっくり拝見しました。

裁判の経緯や結果の展示などもありましたが、私が一番印象に残ったのは隅に展示してある「取り戻せていないもの」という展示。そこには4つの言葉が綴られていました。下記に示します。

「家族との絆」
「社会との共生」
「人生の選択肢」
「入所前の生活」


5:人間の表現と自然の共存

資料館をじっくり拝見し、図書館で熟読させて頂いた後に納骨堂のある森を散策しました。
納骨堂はこのような施設には必ずある設備。施設で亡くなられた方の冥福を祈るための大事な場所です。今回もしっかりお参りさせて頂きました。


納骨堂には白い線が続いています。白い線に沿って歩きます。
白線はなぜあるのか。これはハンセン病の後遺症で視力が低下した人の歩行補助のために書かれた線です。大島でも白い線があったことを思い出します。

この線の際に眠っておられる皆様はどのような気持ちで今の社会を見ているのかな、等思いをめぐらせます。4で記載させていただいた「取り戻せていないもの」をどのようにお渡しできるか、同時に全ての人が「取り戻せていない4つのもの」を失わないでいられるために自分は何をすべきなのか。
じっくり考えたい、考えなくてはいけない。
と感じました。

この国立ハンセン病資料館。気持ちをさまざまに巡る施設です。そのような時に施設の外に見える大きな木、または花が視界に入ってくると気持ちがとても落ち着きます。そういえば大島では本当に美しい海と自然に包まれた感を感じたことを思い出しました。
人が生きるには自然が必要なんだなというのを改めて感じることができました。


都心から決してアクセスがいい場所ではありませんが、ぜひ訪問してほしいと思います。