焦りとビールとダラダラと

そろそろいいかな。
17時を知らせる音楽が窓の外からきこえてきて
わたしは冷蔵庫からビールを取り出す。缶のままちょびちょびと呑む。
休みの日だからといって、昼から呑むのは気が引ける。

40度近い外気温の、暑くるしい夏の休日だ。エアコンが効いてない場所では体調が悪くなるし、室内でやることはだいたい決まっている。
アマプラで映画を観て、YouTubeで韓国ドラマを観て、小説をたまに読んで、畳でごろごろして、メルカリで買い物して。
そんななかに“昼間っからビール”というのが加わってしまえば、本当にダメになる気がして気が引けるのだ。

その線引きが「17時」だった。
前の会社の終業時間でもあったので、社会人としての一日が正式に終わる感じがして、しかも役所の夕方用の音楽が流れるから、区切り感があった。

前の会社は6年以上在籍していて、パワハラは当たり前だったけど、そういった問題が穏やかになってきた時期に、なぜか急に会社に行けなくなって、辞めた。給料も良くて安定していた。
行けなくなった理由は、はっきりとはわからない。
それから半年間休職した後に転職活動したけれど、100社以上落ちたあたりで本当に生活費が無くなってにっちもさっちもいかなくなり、派遣社員として働きはじめた。

生きるっていうのはこんなんだったんだっけ、と思う。

面接ではいつも、何をどう成長したいとか、5年後や10年後にどうなってたいとか、どんなことに挑戦したいかとか、そういった能動的に考えなくてはいけないほとんどのことに答えることが出来ず、当たり障りのない、相手方が望んでそうなことを精いっぱいひねり出すことでやり過ごした。受動的に流れに身を任せて、誰かの指示のもとでしか仕事したくなかった。
でもそれは組織で雇われる場合に限るのであって、本当は自分一人で何かできるのならそれが一番向いているし、やりたかった。
厳しい道なのはわかっているけど、いつも頭の片隅には「独立」「個人経営」の言葉があった。憧れに近いかたちで、それは触れないでおけばキレイなままのように見えた。それでずっとただ頭の端っこに留め置いた言葉で、いまもそれは変わらない。(ズルい。)

現在わたしは外資系企業で派遣社員をやっていて、日本語しか喋れない。日本語しか使わなくていいポジション。
ただし会社の公用語は英語で、だけど中国語も英語も日本語も話す人が3割ほどいて、他には日本語も英語もフランス語も話す人、ドイツ語と英語と日本語を話す人もいる。全体で9割は、最低でも日本語と英語の二か国語を話す。
そんな環境なので、当初のわたしは英語がんばって身に付けるぞ!と意気込んでいた。

でも、ぜーんぜんだった。

休職あがりのわたしの肉体と精神は、ただ出社するだけで、ひとつ業務を覚えるだけで、人々と世間話を交わすだけで、自分自身がガリガリと音を立てて削られるのがわかった。
その反動か、週末はほとんどダラダラと過ごし、さらに平日の夜もスーパーのお惣菜とビールを買って食うので精一杯、という状態になっていった。もちろん、英語の勉強などしていない。

人は、何か目標や夢に向かって努力している人というのは輝いているなぁと魅力を感じる。わたしもそうなりたいと。またはそれとは両極端な人を見て安心する。わたしのほうがマシかもしれないと。

今から英語をがんばって、外国人と喋れるようになったら楽しいだろうなとか、好きな映画が字幕無しで観れたら嬉しいとか、目標のその先のイメージが幸せなら、なんか良い行いな気がする。

でも、今の根源的な問題って、体力が著しく無いことや、どう考えても休職時より増えた酒量、偏った食生活、睡眠の質の悪化、そしてそれらの原因は何なのかということにあるなぁとつくづく実感してしまう。

やること、やりたいこと、やるべきことが渋滞していてこんがらがって細いチェーンネックレスの一生梳けない絡まりみたいにたくさんのコブを作っている。
ひも解くことと、自分自身と向き合うこと、健康的な生活に立て直すということはすべて結びついている。そしてそれは容易ではない。でも、やれることだけは毎日、一個一個やっていくこと。

そこに好きな人の笑顔や親しい友人との会話があるだけで、満たされていいと思った。

少し焦っている自分。そこのあなた。今できる精一杯もうやっている気がするんだ。



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