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世の中の渡り方・無言の圧力・暗黙の了解【今日学んだこと】10/16/2020

*イラスト*
ザクロ。知り合いのFacebookにあげられていた写真を見て一目惚れ。

強制すること

〈可愛いかどうかは会ってから決める 知らない人の知らない子ども〉
山川藍。
小さな子というのは可愛いに決まっている。誰の子、どんな子で会っても。そんな有無を言わせないような雰囲気に抗う歌人の姿がある。可愛いにしても、おめでたいにしても、誰かから強制されるものではない。弔意だってそのはずなのに。
(朝日新聞 2020・10・16 天声人語)

中曽根元首相の合同葬儀について、黙祷などで弔意を示すことを求める通知が、総務省から都道府県や市町村に送られたーー というニュースに関しての記事です。

内心の自由を侵害することにつながるとの批判が起きたのは当然だ。「強制を伴うものではない」と加藤勝信官房長官が記者会見で述べていた。なるほど無言の圧力とはこういうものか。

記事を読んでいて思い出した。

アイムソーリー、ひげソーリー・・・と公園のブランコで友達と歌っていたのは、確か中曽根ソーリーの時代ではなかったか??

セージなんて知らないし、ソーリという言葉をはじめて知った。ニッポンの田舎の小学生(少なくとも私と友達ふたり)に「総理大臣」を意識させたのも、立派な業績だと思う。

立派な宰相だったと進んで弔意を示す人がいるだろう。尊敬できない政治家だったと何もしない人もいるだろう。尊敬できようができまいが弔意を示すのが礼節だと考える人もいるはずだ。

その通り。子どもじゃないのだから。子どもだって、個人的に何か強い影響(ソーリーの歌ではなく)を受けた人なら、きっと何らかの形で弔意を示したいと思うかもしれない。それも自由。

大人が世の中をうまーく(悪い意味で)渡っている中で、こうして「批判」が出るのは気持ちがいい。そうだよ、そうだよ、と茶の間でコーヒーをすすりながら新聞をめくる一人の主婦の一日に、小さな活力を与えてくれる。

中曽根ソーリの時代に遡って、小学生のときに気になっていた言葉を思い出した。

授業中、先生が質問をして、誰かが答えを言う。それが正解だった。すると教室にいる生徒全員で

「同じでーす」

納得いかないまま、結局小さな声で「同じでーす」と、つぶやいていたあの頃。

先生は強要していたわけではないと思う。本当に皆が「同じ」だったのかもしれない。「ちがいまーす」と答えた人もいたかもしれない。かき消されて聞こえなかっただけかもしれない。先生は一生懸命「違う人は?違くてもいいんだよ?」と声をかけてくれていたかもしれない。

でもクラスが、世の中が、そんな「同じでーす」を良いこととして認識していた。暗黙の了解。だった記憶しか残っていない。

娘が小学生だったつい数年前も、この「同じでーす」をやっていた。おそらく先生は、皆が理解したかな?と確認するためにこの言葉を聞くと安心するのかもしれない。

「答えが合っているのか分からない。でも恥ずかしくて発言はできない」子にしてみたら、この言葉を聞いて安心するだろう。そうだった。そういう子もきっといる。

「人に合わせて同じことを言う」ことは苦痛ではあったけれど、答えなんて分からないし、発言できない、早く授業を終わらせて欲しい、休み時間になったらすぐに運動場に飛び出して鉄棒をしたい、そんな私にとってはこの「同じでーす」は、好きなことをやるために押さなければいけないボタンだった。

大きな声で「ちがいまーす」とか「わかりませーん」なんて言える勇気もなかった。だったらみんなに合わせるのが楽だ。今気づいた。苦痛だと思っていたけれど、小さい私もそれなりに皆に合わせてうまく世の中を渡っていたんだ。

息子も他人に合わせるのが苦手。きっとこんな気持ちをそのうちに知るだろう。その時、「あきらめて、うまくやりなよ。楽チンだよ」とは、やっぱり言いたくない。

なんて思っている親が子供を苦しめるのだろうか・・・。まだまだ学びは続く。

息子の言葉 「シールの代わりにコインが欲しい」

おかーさーん。キャンプ行きたーい!

「釣りに行きたい」の次に多い発言です。幼稚園送迎の車の中での会話はいつもこんな感じ。あんまり毎日「〇〇に行きたい」と言うので、

でもね、毎週はなかなか行けないんだよ。お出かけするのにお金もかかるしねぇ。

と現実的なことを言ってしまいました。すると突然

今日もお手伝いしたい!

と言い出しました。最近、早く私と遊びたい息子はお手伝いをしてくれます。お皿洗いが早く終われば遊べる。と思うようです。賢くなったな。

キッチンが水びたしで、さらに仕事が増えることも多いですが、お皿拭きの場合は本当に助かる確率も上がってきました。お手伝いをするとシールももらえます。

コロナのステイホーム期間中に、娘に家族の役割達成表を作ってもらいました。一つ一つできるとシールを貼って、家族全員のシールが一番上に到達すると家族の夢が叶えられる仕組み。この時は、スーパー銭湯に行こう、というささやかな夢を一番上に書きました。

それぞれの役割は、娘なら勉強やお手伝い、息子は簡単なお手伝い、お父さんは仕事を頑張る、お母さんは片付けや勉強、ダイエットなど(自分で考えます)。

あんまり大きな夢だと、すぐにシールが到達した時に困る、という大人の事情で比較的簡単な「スーパー銭湯」にしたのですが、世の中コロナ。しかもステイホーム終了と同時に存在を忘れ去られて、今だに誰も達成していない。

そんなことを考えて、「今日もお手伝いしたい」「今日も早く遊んで欲しい」「シール欲しい」という意味でお手伝いの話が出てきたのだと思っていましたが

お手伝いしたら、シールじゃなくてコインが欲しいの!

と言い出しました。ん?!コインて?お金??どうして??

だって、コインがたくさんになればキャンプに行けるんでしょう??

世の中の仕組みを理解していた、我が家の5歳児。その通り。確かに私は言いました。

「毎週はいけない、お金がかかるから」↓

「毎週行くには、お金がいる」↓

「お金があれば毎日でも行ける」

ということを、親の何気ない一言から学んでしまった息子なのでした。

(もっと世の中は複雑なんだよ・・・どうやって伝えようか)

息子も大きくなってきたことだし、やるべきことをきちんとこなしたら、10円、50円など貯金箱に入れて、目標額に達したら家族でキャンプ!にしようかな。

だけど、キャンプに行きたいのは子どもだけではありません。誰にも指図されない自由な大人は、今月も来月もすでにキャンプ場を予約済みなのでした。

さ、毎日せっせと自分の役割を果たそう。


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