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子どもと一緒に海外に行く理由

こんなお知らせができる日をこれまでどれだけ夢に見てきただろう。

「来年、子どもたちがニュージーランドに留学するんだ。わたし、ついていくの!」

へ〜、いいないいな!
と言われ、

「うん、楽しみだよ。いろいろ準備大変だけどねー。」

とニヤニヤしながら答える私。

心の中ではトランポリンの上で、手をたたきながら伸身宙返り4回ひねりを成功させるほど(やったことないけど)嬉しいのに、どうして隠すのか。

自分が相手の立場なら、夜も眠れない、煮えくり返るほどうらやましい。(私だけか?)

そんなことを分かっていながら口に出してしまう私は、はっきり言って浮かれ過ぎなんだろうな。

確かに準備は大変。だけどそれさえドキドキワクワクで楽しい。
そして、「移住」という大きな夢の前では、一年間なんて短すぎる!

だけど、両家家族の健康と努力と願いと理解と、それ以外にもさまざまなタイミングと幸運が重なったとはいえ、今のわたしにとってこれほど贅沢で貴重な体験はない。

この機会を与えてくれた夫にも、協力してくれる家族にも、感謝のサイズが大きすぎてそれを表す手段が見つからない。

しっかり満喫して楽しまなければ、一生後悔する!

ということで、ニュージーランド出発まであと96日。すべてを記録に残すべし


ここまで読んでいただけたらもうお分かりかと思いますが、「子どもたちについていく」というのは完全に表向きで、行きたいのはわたしです。

しっかりものの高校生の娘は目的を持って準備中ですが、小学生の息子はルーティンがくずれることへの不安しかない。どうしていく必要があるのか?分からない様子。はっきり言って、無理やりつれて行く。

わたしは小さな頃から海外に憧れて、10代20代30代とその時代に旅行や留学などさせてもらい、それなりに冒険はしてきたつもりだけど、、、足りない!!(欲張りすぎる!)

憧れというよりも、その頃は現実逃避という理由の方が大きかったけれど。それはまたアナザストーリー。

家族とともに、異文化の中であーだこーだスッタモンダさまざまな体験をしたい。
一緒に笑ったり泣いたり怒ったり震えたり感動したりしながら過ごしてみたい。

一人ではなく、家族で、子どもたちが小さいうちに、その挑戦の過程を体験したい。これが15年くらい前からの夢です。それがついに、叶う時が来ました。(もう娘は高校生になってしまったけれど)

慣れ親しんだ日本という国が素晴らしいのは百も承知です。世界中でどこを探しても、私たち家族にとってこれほど安心で平和で楽しく暮らせる場所はないと思います。

それでも、外に出て行きたいのは、見たこともないものを見たいから。

日本での何気ない日常が何よりも尊いことも、頭では理解しています。でもそれを実感できるのも、きっと日常から離れたところに行って初めて本当の意味で理解できるのかなと思います。

未来を背負う子どもたちが英語スキルを身につけるのは目的の一つではありますが、それは重要ではありません。

異文化体験は、自分の価値観をいとも簡単に壊します。これまで思っていた「可能性」に限りがないことにも、そして自分の無知や未熟さにも気づけます。生まれ育った環境がいかに恵まれていたか、感謝の気持ちが湧いてきます。

若い頃バックパッカーとして一人旅をしたイギリス、短期留学をしたフランス、一年間留学したアメリカ。それぞれが何十年も前の話だけど、それでも今も語り出したら止まらないほど貴重な体験がたくさんできました。

楽しかったことも怖かったことも、あの時に出会った人々も、見た景色も、送り出してくれた両親への想いも、すべてが今の自分を作っています。

学校のテストがいかに小さなことだったか、目の前の悩みがいかにありふれたものだったかを知れただけで、苦しかった心が解放されました。

ちょっと変わってる、私は個性的と思い込んでいたのに、実はあまりにも平凡で普通の人間だということに気付かされ、もっと変でもいいんだとそれこそ変な安堵感を得たこと。一歩日常から飛び出さなければ気づかなかったことがたくさんあります。

もしかしたら今回、私の夢という「親の都合」に振り回されて、子どもたちは辛い思いもするかもしれない。恨まれてもいいや。ごめんよ子どもたち。お母さんはまた冒険がしたい。

いつか子どもたちが今の私の歳になったら、「あの時3人で乗り越えたね」とか「あの時つらかったな」とか思い出しながら、母が持っていた夢を客観的に見られるだろうな。自分ならそんなことしない、と思うかな。

人間は死ぬとき、お金は持っていけません。身分も役職も名声も関係ありません。一人で死んでいくとき、何が心を満たしてくれるだろう。

それは、やはり数々の思い出だと思います。(と、どこかで読んだのだけどね)

私は死ぬその日まで、新しい景色を見たり、知らない世界を体験したり、学びつづけたい。あんなことにも、こんなことにも挑戦した、と悔いのない思い出で満たされたい。

この「子どもと一緒にニュージーランド」という一年間は人生の中でほんの一瞬のことだけど、死ぬ前に思い出すのにふさわしい思い出になるに違いない。

親が「子どもと一緒に」過ごす時間は短かすぎます。
娘はもうあと数年で家を出て行くだろうし、息子が「お母さん大好き」と言ってどこでもついてきてくれるのはもう数年もないかもしれない。

ギリギリ間に合ったと思う。すでに娘は高校生だけど、それでもまだ「親子」で挑戦ができる。子どもたちと一緒に海外で暮らす、最初で最後のチャンス(かどうかはまだ分からないけど)。
この機会をくれた夫、家族、すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。

そう、「家族で」と言っておきながら、夫は行かない(行けない)という現実。

ま、設計図どおりにはいかないよね。いつだって妥協は必要。与えられた目の前のチャンスの中で、工夫すればいい。

『なんでも挑戦するんだよ』と子どもたちに言うけれど、それを行動で示せる絶好のチャンス。

普段夫まかせの料理ができずに失敗をしたり、一生懸命英語を勉強してる姿や現地の人の言っていることが分からずあたふたしている姿、うまくいかずに泣くこともあるかもしれない。そんな姿を、子どもたちにたくさん見せよう。

きっと子どもたちはあっという間に私の中途半端な英語スキルを追い越し、はるかに早いスピードで英語を習得するだろうな。

「頑張っている大人代表」を見せてこそ、子どもたちも失敗ができる。家族全員が成長できる体験ができるってすごいことだな。

こんな家族のドタバタ奮闘成長記録を書いていきたいと思います。無事出発、そして帰国するまで、おつきあいいただけたら嬉しいです。

サポート頂けたら嬉しいです!自分の世界をどんどん広げ、シェアしていきたいです。コツコツ階段を登り続け、人生を楽しみ尽くします。