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リバーサイドヨガNightの思い

2022年8月28日の18:00~19:30
毎年夏の恒例となったリバーサイドヨガnightを開催できました。
この夜のアウトドアヨガイベントは2012年から続けているものです。
もし許されるなら、表現者としてヨガのエッセンスを活かさせていただきながら、今伝えたいことを正直にお話しできる場にしたいと思う時間です。

ヨガのインストラクターとして、そしてアウトドアヨガの推進者として、また人の体と心の応援者としての私というより、もっと根源的な、
珠数孝が個人的な思いを形にすることを許してもらう場にすると、勝手に捉えたこの時間を、少し書き留めておこうと思います。

みーんな地球

言いたいことはそれだけなのかもなぁと、今思います。
クラスをスタートする前には、何日もかけて、この日のテーマをノートに言葉で書き留めておくことがルーティンとなっています。
今、自分が何を伝えてみたいのか。
言葉と、動きと、黄昏ていく空模様という背景と、気持ちを汲んでくれる演奏の中で正直な思いを表現するために。

結局は言葉。これは私にとってとっても大きな力であり、大切な軸なんです。
無言の力を否定するものではないんです。
背中を見せる存在感を否定するものではないんです。
私には、言葉から受ける恩恵が計り知れません。
そして、これまで私は言葉と言葉の間にある静寂ともいえる「感じる間(ま)」を大切に生きているように思えます。
歌から、詩から、あるいはスピーチから私は多くの感動を与えていただいてきました。
いつものヨガクラスよりも、もっともっと、自分の言葉を選び、そして時間という制限された空間のなかで、正直な想いを表現する準備をしました。
でも、結局はすべてが即興。その場になって言葉があふれてくる不思議。
そしてこの日、皆と共有したかったのは『みーんな地球』ってことだったと思います。

隣にいる人は、自分と同じですか?
親と自分は違うのでしょうか?
遠い国の、肌の色の違う人と、日本人である私に共通するものは?
戦火にまみれ、逃げ惑うあの少年と私との違いはなに?

そんなことを問いかけてみては、『みんな地球から来て地球に帰る』という当たり前を忘れてしまうんだろうね?と話してみたいという思いを表現しようとしていました。

個の時代っていうでしょ?
個が何ができて、個でどんな存在意義があって、自分の所属するコミュニティーにどんな貢献ができて、自分の可能性を信じた生き方を知っている人ってどれくらいいるの?
ほとんどいないと思うし、個の役割ってそこまで明確になることはない中で、求められるだけ求められ、自己PRばっかりする時間に明け暮れ、結局不採用を突き付けられる世の中。
そりゃしんどいよ。
みんなしんどい。
つらいし、悲しい。
相互扶助。
制度としてはわかるけど、
でもね、ほんとに大切なのは、慈悲だと思うのよ。
仏教徒だからいうのではないんだけれど、
友達になって、悲しみに寄り添う。
ただただ、そうした関係を大切にすること。
人を生産性でみるんじゃないの。
生きている者同士、地球から生まれたもの同士、地球に帰るもの同士。
友達になって、辛さを共有する。
それじゃだめ?

そんな簡単な、でも難しい心を育もうとしているのがヨガだったりする。
そしてこのリバーサイドヨガnightでは、ヨガの要素と音楽の要素を活かして、この当たり前であり、難しい人としての根源に立ち返る場を表現しようと考えています。


パンチャマハブータ(五元素)

じゃあ、人として、当たり前の心に戻るには?
難しい理屈をいくら聞いても、頭ごなしに哲学を押し付けられても
そう簡単ではない。

みんなの共通の思い、共通の考え、共通の感じ方を少しづつでもいいから、共感覚していくことで、
「あ、君も?」
「そうそう私も!」
「あぁ、やっぱりそうよね?」
「うんうん、わかるわぁ~」
ってい時間が生活の中にたくさん見えてくるんじゃいかなと考えてます。

で、リバーサイドヨガnightのコンセプトは「自然の摂理」への実感。そのための、パンチャマハブータという智慧。

5つのエレメント(要素)というものが、すべての存在を構成しているというインド哲学に基づくもので、ヨガというよりももっと広くこの定義は活用されています。
5つのエレメント(五元素)は地水火風空の5つ。

この5つは自然界のあらゆる現象を起こすと同時に、人間の存在を根源から支える働き伴っているといわれています。
この5つの作用(要素)を今生きている自分が実体験し、理解することで、自分の自然性を体感し、そしてさらに場を共有する人たちや環境とも共感していくことを促すことができれば「みーんな地球」感にたどり着けるともったのでした。

地のエレメント

地のイメージはどういったもの?
硬く、安定し、集合し、不変な感じ。長くその場にとどまり、あらゆるもののよりどころとなる安心感をもたらす存在。
どれだけ転がっても、いつもその場で落ち着いている安定感。
自分は、どんな存在?
人に頼られるものがある? 他人に頼って生きている?
今いる場所を否定してる? 今いる場所も、これから行く場所へもそのまま受け入れられるほどの落ち着いた存在?
地のエレメントは、確固たる自分を、柔軟に理解している状態。
そして、大地である育む場として、あらゆるものの可能性を信じて受け入れる器としての特性。
自分はどうかな?

水のエレメント

水は、どんな隙間にも広がり、どんな器にもその形に馴染むことができる素晴らしい柔軟性を持っている。
自分の形や居場所を決めつけることなく、流れていくその場その場を居場所として、動くことで腐らずにいる存在。
あらゆるものを繋ぎ合わせる力があり、落ち着きへ向かう作用をもっている。
そして大地に撒かれた種からあらゆるものを育む力を持っていて、お母さんのように生き物の存在を育て、健やかさを願う特性を持つ。
冷静な想いのよりどころとなり、過剰な興奮をしずめ、いつも自分の思考を現実的な目線で見つめる。
自分自身は、そんな大きな母のような存在かな?

火のエレメント

火は「生きている実感」
エネルギーは、摂取したものからもたらされ、消化の力が根源となる。
あらゆる火は、不要物を燃焼させ、必要なエネルギーを生み出す。
強すぎると自分自身をも気付つける怖さも持ちながらも、
熱い情熱で自らの命に躍動感をもたらす。
怠惰な自分に活力を与え、明晰な灯明となる。
光、熱、明、自分も他人も照らすほどの火の要素を実感できているだろうか?

風のエレメント

風は自由に動く。
温かいところから冷たいところへ、高いところから低いところへ。
自然の動きそのものが風であり、自然はいたって自由でもある。
自分の自由度はどれほどだろうか?
生きている力にもたらされるエネルギーの多くは呼吸に基づいている。
その呼吸は、本当に自由だろうか?
偏った信念、自分の存在意義への疑問視、生きているということへの否定感、そいういった苦しみを伴う想いがあることで自由度は失われる。
自分は、今やりたい呼吸をできているのか?
呼吸と動作を一致する喜びをしっているのか?
想いと行動は、心と体。
一体となっていることが自然ではないのか?
自然っていったい何だろう?
自然が自分を苦しめるのか?
みんなみんな、自分が自然であることを忘れちゃってるだけなんだ。

空のエレメント

ここからみんな来た。
ここから来ないものはない。
すべての存在は空からやってきた。
そら?うちゅう?しぜん?
どんな名前をつけても構わない。
僕たちが来た場所であり、僕らが帰る場所。
そこから来た私たちは、みな共通しているし、
みな同じものであるって頭で理解はできている。
だからあとは、思い出すだけ。

ここから来たんだ。あそこへ帰るんだ。
じゃ、今いるここでやるべきことはなんだろう?

忘れちゃったことを、
思い出すだけ。
じゃないか?
空ずるとゆうこと、これを仏教ではシュンニャという。
シュンニャは、すべての存在の戻る場所であり、無ではない。
しかし、みなが戻るだけであって、その場を確かめることはできない。
だって、水が水を感じられないように。
ほんとの自分は、ほんとの自分を知りえない。
たぶんそうでしょうね。

また、思い出したら追記しますね。
リバーサイドヨガnight
私の備忘録


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