境界性パーソナリティ障害の母親とうつ病の私
この前も母親についての記事は書いたのですが、ついカッとなって過剰に母を悪く書いてしまい、ただの悪口のようになってしまったので、直ぐに消して、今初めから書き直しています。
今日わざわざ書き直しているのは、私と母のことを知ってもらって、読者の方に客観的な意見を頂きたいと思ったからです。
母親や家庭のことは誰かに相談したいと思いつつも、重い話題なので今まで全部を話せた人はいませんでした。ここにできる限り書こうと思います。
簡単に言うと、私は母親に17年間虐待か虐待じゃないかの絶妙なラインのものをされてきました。
多分虐待ではないのだろうと思いつつも、悲劇のヒロインになりたがる私は勝手に自分の心の中で悲しいポイントを追加して、虐待だと言ってもらいたがっているのかもしれません。
では本題に。
私の母親は教師をしています。
母親としては完璧とは言えない人ですが、教師としては本当に完璧で優秀な人で、県の教師の中ではかなり有名のエリートです。やり手の人です。
教師という仕事が忙しく、毎朝6時に家を出て、帰ってくるのは10時頃なのですが、帰ってきてからもずっと仕事の愚痴で、小さい頃から母親と仕事以外の話をすることはほとんどありませんでした。
だから私は自分のことを娘ではなく、母の同僚だと思っています。
母親はかなり疲れていることが多く、昔から疲れやストレスを娘である私に当たってきました。
普段はよくいる"普通のお母さん"なのですが、イライラすると豹変してヒステリックになり、私を罵倒してきます。
自分のイライラを表に出して相手にぶつけるタイプの人間である母と、過剰に空気を読んでしまう敏感で繊細な私が上手くいくわけもなく、母と二人きりの車は地獄です。
母親は常にイライラしていて、その空気を和ませようと、私が何か話しかけても、基本的に無視されています。
やっと口を開いたと思えば、暴言を吐かれるだけです。
今でも覚えているのが5歳の夏で、イライラした母が私を車の窓から投げ落としました。
その時の衝撃は未だ忘れられません。
もちろん今も母と二人きりの車は少し怖くて、できるだけ2人きりの空間は避けるようにしています。
車から落とされたのも幼少期でしたが、幼少期は暴力を受けることも多々ありました。
暴力は年々減っていっていたのですが、高校に上がったくらいから精神的な虐待が疑われるような行動を多々受けてきました。
友達と遊びに行った時に夜18時の母親から大量LINEと電話があり、電話では友達の前で「帰りが遅い、舐めてるのか」と怒鳴られ、その後私の友達へも叱り始めました。
母親に電話口で何度も帰りが遅くなったことを謝り、その後友達にも場を乱してしまったことを謝りました。ちなみに家に帰った後は、土下座して謝りました。
結果、私だけ夕ご飯は食べずにそのまま急いで帰ることになったのですが、ホームへ急いでかけていった時零れた大粒の涙が頬をつたる感触が今でも忘れられません。
うつ病の症状が出始めた去年の秋から冬が1番母親の関係が捻れていて、母が豹変してヒステリックになることが多くなり、何度も部屋に閉じ込められたり、暴言を永遠に吐かれたり、暴力を受けたりしてしんどかったのです。
私の首や胸を押さえつけて「こいつはおかしい」と叫ぶ夜が何日も続くこともありました。
個人的に1番しんどかったのが、私が通信制高校に転校する前にあった、全日制高校の体育祭文化祭期間の話です。
私は進学校に通っていたので、普段の勉強尽くめの生活から解放される文化祭と体育祭をとても楽しみにしていました。
その時から通信制高校に転校するだろうということを薄々感じていて、今回が人生最後の文化祭体育祭になると分かっていたので尚更でした。
体調も良く、一日目の文化祭は参加出来たのですが、その夜また母が豹変してしまいました。
衣装係をしていた私が、ミシンを持っていない子の分の衣装を作ることになったということに対して、
「病人なのになぜ人に尽くして無理をしようとしているのか、あほなんじゃないのか、なんでそんなことも考えられないの、いい加減にして欲しい」と声を荒らげてきたのです。
その後「そもそも頭が悪いのに難関大に行けるわけが無い、どうせ受からないのだからオープンキャンパスも行くな」と言いながら右目を殴ってきました。
普段うつ病のせいで休みがちで、クラスに貢献できないから少しでも貢献しようとした私なりの優しさを汲み取ってくれず、馬鹿という言葉で片付けたこと、
行きたいと思える大学が見つかって、もう一度がんばろうと、生きる意味が見つかったのに、それを全否定されたこと、
それがすごく悲しくて、涙と過呼吸が止まりませんでした。
父親が守って、母を叱りつけてくれましたが、右目はパンパンに腫れていて友達に見せられる姿ではないし、そもそもその後数日間は自室に軟禁されていたので、2日目の文化祭と3日目の体育祭は行けませんでした。
友達に相談するとみんな児相に連絡した方がいいと言ってくれますが、
児相に連絡すると母親の名誉とキャリアが完全に潰れてしまい、私立の大学に進学できなくなるかもしれないと思うとどうしてもできません。
もう今や私は母親を金づるとしか思えなくなっています。
今までたくさん習い事をさせてもらったし、旅行も連れて行ってもらった。
公立高校にいたのにうつ病で私立の通信制高校に転校して、予備校まで通わせてもらっている。
関西に住んでいるのにわざわざ東京の私大に行かせてもらう予定。
母親はずっと私のために働いてくれていて、すごくお金をかけて育てて貰っています。
だから自分も母親にはそれなりにお金はちゃんと返したいと思っていますが、お金以外の親孝行をしようとは思えません。
父と母が離婚しそうになった時には一番に、離婚されたら贅沢できなくなるかも、私立の大学行けないなと思ってしまうのです。
知り合いで父親からDVを受けて、母親と2人逃げてきて、今は自分で学費を払いながら大学に通っている人がいます。
そういう人がいると思うと、虐待では無いと思えてしまいます。というか、私の事如きで虐待なんて言ってしまったらダメだと思えるのです。
母親は豹変しない限り、"普通のお母さん"ですし、お金に関しては何も苦労していません。
うつ病と診断された私は、原因は勉強のし過ぎでの疲弊と周りに評価されることのストレス、そして母親の存在だとお医者さんに言われました。
私も母親も今は同じ先生にカウンセリングを受けていて、母親は境界性パーソナリティ障害の傾向があると先生に言われています。
母親の存在価値を稼ぎ頭とか、金づるだとか、そんな風に思わず生きられる人生がよかったな、なんて少し思ってしまいます。
ちなみに豹変してない時のお母さんは嫌いではないです。優しい時もあるし、何よりいつも真面目に仕事をしていて尊敬できる部分もあります。
旅行に行ったり、楽しい思い出も沢山あります。
ただやっぱり豹変した時の母親の暴言・暴力の印象とショックが大きすぎて、いい印象は豹変した時の苦しみにどうしても勝らないのです。