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イノベーション戦略を考える

1. 戦略とは何か?

 着任以来、「イノベーション戦略論」という授業を担当している。日常会話では、イノベーションも戦略もほとんど登場しないためか、何を教えているのか学生や知人には理解されないことが多い。そこで本稿では、イノベーション戦略の内容を簡単に紹介し、具体的に日本企業が抱えている課題について考えたい。

 そもそも戦略とは何だろうか。一般的には、「企業が実現したいと考える目標と、それを実現させるための道筋を、外部環境と内部資源とを関連づけて描いた、将来にわたる見取り図」(網倉・新宅,2011)と定義される。簡単に言うと、「目標」をどのように達成するのかの「見取り図」を、顧客のニーズや競合企業の動きといった企業の外にある「外部環境」と、企業の中にあるヒトやカネなどの「内部資源」を考慮しながら策定するということである。

 難しいように聞こえるが、実は日常生活の中でも「戦略的」に考えていることはよくある。例えば、山登りに挑戦する人を例にとると、この人は、まずどこの山に登るか(目標)を決める。その後、登りたい山の地形や気候、登頂するために求められることを調べ(外部環境の考慮)、登るために必要な能力や道具を考える(内部資源の考慮)。それを踏まえて、登頂に向けて、例えば、斜面がなだらかなルートを選択する、3ヶ月間ジムに通って鍛える、体力のある仲間に重い荷物を持ってもらうなど、達成のための具体的なシナリオ(見取り図)を作る。このように現状と将来を見据えて「戦略」を立てることで目標を達成できる可能性がぐっと高まる。戦略的に考えることは、他にもダイエット、夢の実現、社会問題の解決(今だと新型コロナウイルスの感染抑制)などに応用可能だ。重要なのは、「100億円の利益を得る」「5kg痩せる」という目標や願望だけでなく、どのようにしたらそれを実現できるのかを多角的に考え、実行可能なプランに落とし込むことである。

2. イノベーション戦略の難しさ

 イノベーションとは、「社会に新たな価値を生み出す新しい製品やサービスなど」のことであるが、イノベーションに関しては特に戦略の策定が難しくなる。新しいものであるため、事前に実現可能かどうかよくわからない。たとえ実現しても顧客や社会が受け入れてくれてくれるかどうか不透明だ。さらに、失敗する可能性が高く、既存のやり方を変える必要もあるため、組織内から反対や抵抗が起きやすい。外部環境、内部資源、さらに組織で不確実な要素が多く存在する。事前に夏山か冬山かわからなかったり、鍛えた能力が役に立たないことが途中でわかったり、山中で仲間に引きずり下ろされたりするのだ。

 これらの困難がある中で、イノベーションの成功・失敗に影響を与える要因は何か、企業をいかにして望ましい方向に導いていくことができるか。個人・グループ・組織の相互作用と外部環境の特性とを考慮しながら、これらの問題を考えていくことがイノベーション戦略の要諦である。

3. 停滞する日本企業

 それでは、日本企業はイノベーションを上手く進めていると言えるだろうか。イノベーションの成果の測定は難しいが、多くの調査からは否定的な結果が示されている。知識の産出や創造的なアウトプットなどから各国のイノベーション能力を測定した「グローバルイノベーションインデックス」では、日本は16位(2020年度版)である。個別企業のイノベーション能力を測定した「日経・一橋大イノベーション指数」(2019年版)でも、トップ200社に米国企業が72社、中国企業が32社占めるのに対し、日本企業はわずか7社しか存在しない。1980年代に"Japan as No.1"と評され、世界をリードしてきた日本企業は、その後、存在感を落としている。その原因はさまざまだが、一つの要因は、外部環境の大きな変化と対応の遅れである。

 外部環境の変化のひとつが、製品間の境界の消滅である。これまで別々の製品が担ってきた複数の機能を一つの製品で実現することが容易になったのだ。半導体チップに複雑な機能を搭載できるようになったこと、通信の高速化で必要な機能を必ずしも製品内に含めなくてもよくなったことがこの背景にある(青島,2017)。20年前までは、電話、カーナビ、ラジオ、地図、カメラなどは、それぞれ境界がはっきりとした、独立の機能をもった製品だったが、今ではスマートフォン一つでこれらの機能を実現できる。自動運転車も、自動車、センサー、情報端末が担ってきた機能を融合させたようなものである。これまで別々だった製品が融合し、一つの製品となっている。

 こうなると、一つの企業で全ての機能を作り出すことは困難となり、他社との協働が不可欠となる。そこで重要となるのは、多種多様な企業や人を結びつけ、協調関係を上手くマネジメントする仕組みだ。“GAFA”(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)をはじめとするプラットフォーム企業は、アプリストアやマーケットプレイスなどを通して、さまざまな企業や人を結びつけることに成功した。彼らは、自分たちの製品やサービスをサポートする企業に対して協力するインセンティブを与えると同時に、自分たちが十分な利益を得るビジネスモデルの設計にも長けている。

 このやり方は、研究開発から生産、販売まであらゆる側面をコントロールして付加価値を高めるという、多くの日本企業がこれまでとってきた方法とは大きく異なる。最近では、自動運転車の開発などで大手企業が業界の枠を超えて提携するといったことが見られるが、スタートアップとの協業や協業関係を含めたビジネスモデルの設計という点ではまだ弱い部分が多い。従来とは異なる能力、シナリオが競争優位獲得のために必要となってきている。

4. 顧客のニーズの見えにくさ

 製品境界が見えなくなってきたことにともなって、顧客のニーズの把握も以前より難しくなっている。カメラなら画素数、オーディオプレイヤーなら音質というように、製品と主要な性能指標がほぼ一対一対応で決まり、製品の善し悪しが決まるという状況ではなくなってきているのである。例えば、中国のスマートフォンメーカーであるOPPOは、撮影した際に年齢や肌の状態に合わせて人工知能で写真を自動補正する機能が受け、アジアを中心に急速な伸びを見せている。SNSが浸透する中で、多くの若者が求めるのは「ありのままの高解像度の画像」ではなく、「友人が見たときに魅力的に見える画像」であることにいち早く気づいたことが成功の一因である。製品を客観的な性能指標で評価・判断することは、客観的で他社の製品と比較しやすく、周囲からの納得も得られやすいため、開発プロセスで重用されやすい。しかし、そこから魅力的な製品が生まれにくくなっている。

 顧客の求めているものを深いレベルで理解し、それを実現するために他社と積極的に協調し、さらに、自社が利益を獲得できるビジネスモデルを設計する。非常に困難であるが、これらを同時に実現することが企業には求められている。

5. プロセスや仕組みも重要

 3年前、サバティカルの期間にUC Berkeleyに滞在した。大学から車で1時間のシリコンバレーには、グーグルやアップル、フェイスブック、マイクロソフトを始めとした多くのテック企業の本社やスタートアップが点在する。家賃の高騰やコロナ禍の影響で、スタートアップがシリコンバレーから離れつつあるが、依然としてアメリカのテックビジネスの中心地である。

 滞在中、日本からの駐在員の方からよく聞こえてきたのが、現地企業と協業することの難しさ、その背景にある本社と現地の慣行との不適合である。現地で有望な協業先を見つけても、駐在員には十分な権限が与えられていないため他国の企業に取られてしまう。失敗からの学習が奨励される文化の中で、社内の業績評価ではいかにミスしないかが重視される。協業先と信頼関係を築くためには長期の滞在が必要であるが、人事慣行上3年で異動が求められるなどである。国を超えた協業の難しさを示すエピソードであるが、企業のプロセスや仕組みを含めたイノベーション戦略を策定することの重要性を示唆している。

参考⽂献
・青島矢一(2017)「デジタル技術の進歩がもたらした産業変化: 製品概念の崩壊」『一橋ビジネスレビュー』第64巻4号, 32-43.
・網倉久永・新宅純二郎(2011)『経営戦略入門』日本経済新聞出版社.

執筆者プロフィール

久保田 達也 | Tatsuya Kubota

社会イノベーション学部 政策イノベーション学科 准教授
専門分野:イノベーション・マネジメント、新製品開発論、経営戦略論

※本コラムは成城大学公式ウェブサイト・教員コラム『成城彩論』より転載しています。

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