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【小説】黒く塗れ (1/13)

 「今日は遅かったじゃない。何かあったの?」

 僕は彼女の「何かあったの?」が好きじゃない。この質問に答えるのはせっかく塞いだ穴をほじくり返すようなものだから。でも、彼女は僕の表情や仕草からいつも何かを読み取ってしまう。そして答えが出るまで納得しないのだ。

 帰り際、また982731にバカにされた。いや、罵倒されたと言うべきかもしれない。僕は今日も同僚たちの中で最低の成績だった。それで、おまえがグループの足を引っ張っているのだと言われた。982731の周りには取り巻きが多くいて、そいつらに囲まれると何も言える雰囲気ではない。もっとも、できる言い訳など一つも無いのだけれど。

 「101862、大丈夫、頑張って、私があなたの味方だから。」

 彼女は僕が落ち込んでいると僕の事を名前で呼ぶ。そして一通り話を聞いて満足してしまうと、「頑張って」で終わる。これもいつもの事だ。仕方ないのだ。彼女に言える事はそれしかないし、これは僕自身の問題なのだから。

 それにしても、僕は仕事の成果を上げるためにどうしたら良いのかがわからない。僕は学校でやり方をちゃんと勉強してきた。先生の言われる通りにやってきたし、ある程度の成績で卒業できた。けれども社会に出てからはこうしてダメな自分と向き合わなければならなくなった。同級生で僕と同じ位の成績の者、僕より下の者もたくさんいたけれど、彼らが僕と同じような苦労をしているとは聞いていない。なぜ僕だけがダメなのだろう?僕はどの時点でボタンを掛け違えてしまったのだろう?いったい僕の何が悪いと言うのだろう?

 「ねえ、101862、もうちょっと経てばきっともっと早く塗れるようになるわよ。誰だって1年やそこらじゃそう上手くなんてできないって。」

 夕食の後にまた彼女は言った。彼女がこんなふうに言うのは珍しい事だ。余程僕の顔色が悪かったのだ。彼女の言う事もある意味もっともかもしれないが、でも、今の僕の状態は最低の最低だ。同じグループの同僚たちと差が付きすぎている。手抜きをしているわけでもないし、体調が悪いわけでもない。何にしても理由がわからないのだ。

 「それじゃ、誰かに聞いてみたら?」

 それは良い手かもしれない。これまでずっと頑張ってやってきたつもりだし、それでダメだったのだ。もうこれ以上失うものなんて何も無いと思えば、ちょっと恥ずかしいけれど、僕のどこがダメなのかとか、何かコツがあるのかとか、誰かに聞いて見るべきだったのだ。そうだな、3年先輩の238120であればいろいろ知っているだろう。それに238120は982731とそれほど親しくしていないようだから話し易い。


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