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思いを込めて踊るように生きること

思いだけで、始めた。
利益とか成功とかは頭になく、
手を動かすことしか考えていなかった。
それが正解かどうかも、気にならなかった。
ー山口絵理子(マザーハウス代表取締役)著 
「サードウェイ 第3の道のつくり方」より


 予想外の形で14年近く続いたアメリカ生活は終わった。結果的に、ほとんどアウトプットせずに、ひたすらインプットと自分の癒し、自己変容に取り組んで、そのついでに学生と仕事をしていたような海外生活だった。マイケル・ジャクソンのMan in the Mirrorみたいに、社会や世界が変わるにはまずは自分が変わっていかないといけないという思いで。そのある種の修行的生活はかなり大変だったけれど、たくさんの実りもあった。


 一つ言えるのは、これはやらなくてはいけないんだと直感的に分かったことに関しては、そこから逃げ出したい気持ちがあっても逃げずに向き合った。もしくは、一度はキャパオーバーで逃げ出しても、再チャレンジして向き合いなおした。「逃げちゃダメだ」とつぶやきプルプル震えながらの碇シンジ的勇気を何度も発揮しながら。語学留学から始まって、最初はスーパーで買い物することすら恐る恐るだった自分が大学院でアメリカ人相手に教えるにまで至ったのだから、それなりの粘りと達成だったと思う。


 そして、アメリカ生活の終わりと前後して約1年半続いた人生最大の危機。魂の暗夜。いろんな人たちのサポートもあって、それをやっとの思いで生き延びると生まれ変われた自分がいた。翌月、自分がもう個人向けの心理セラピストとして働くことや大学で教職につくことはないのだろうなということが何となく感覚的に分かった。新しい扉が開く前に古くなった扉が先に閉じてしまうことは実は結構ある。次に自分が何をやるのかまだ分からないが、古い自分や生活には戻れないという言わば宙ぶらりんの場所。不安と可能性に満ち満ちたサナギの時間。その空間と時間を埋めないで待つことの難しさと大切さ。しばらくすると、新しい何かをするために東京を離れて本拠地をもっと自然に囲まれた場所に移さなければならないことが分かった。これも感覚的に。その時点では本の執筆や翻訳にでも取り掛かることになるのかなと思っていた。


 昨年の初夏に実際に引っ越して新しい生活を始める。少し生活に慣れた頃に、自分の名前の入った個人事業を立ち上げなければいけないということが分かる。アウトプットの時期が到来したという予感と共に。「そうだ、京都に行こう」ぐらいのノリでホームページ制作に取り掛かってみる。事業計画など何もなかったが、とりあえず、その時の自分の思いを書き出してみる。

私たちは今とてつもない時代の変わり目に生きています。短く見積もっても、産業革命に端を発した時代がどのような形であれ終末を迎えようとしているのです。なぜここまで確信を持ってそう言えるのかといえば、成長し続けなければ維持出来ない現在の経済システムのニーズとその経済活動の源となっている地球資源量の乖離が広がりすぎて地球のバランスは崩れ始め、それが温暖化などの環境危機という形ではっきりと表れはじめているからです。2019年に関して言えば、1年で使うべき資源量をすでに7月30日前後の時点で使い切り、地球がまるで1.75個分あるかのように経済活動が続けられ、その勢いは年々増しています。過去百年から考えれば、今年も観測史上最も暑い夏なのかもしれませんが、未来の百年を考えた時に今年が最も気温の低かった夏ということも十分にあり得るのです。ただ実際には、そこまでの気温の上昇に至るまでに「氷河期に突入する」などの地球側から強制的にバランスを取り戻すための人類にとってはさらに大きな危機となる動きが起こるでしょう。テクノロジーの更なる発展が環境危機の回避につながるという視点もありますが、それだけではこの危機的シナリオ脱出には不十分だと思います。なぜなら、新しいテクノロジーはどうしても経済発展と環境対策の両方に使われるからです。

私たちの生存、平和、幸せのためには、少しでも現在の暴走している経済システムから脱却、卒業することが必要になります。そのためには、ルールや仕組みや法律を変えるなどの外側の作業もさることながら、その底流を流れる意識と役目を終えた「成長することが良しとされる物語」を眠りにつかせる内側の作業も必須になります。その今や古き物語は人間の個性や独立性を高め科学の発展をもたらした一方で、過度の独立性は人が他の人や家族、コミュニティー、自然と切り離されているという錯覚を起こし、未だかつてない欠乏感や孤独、そして、他と認識された存在への考えられない程の嫉妬や暴力が産み出されました。私たちはこの危機の時代を乗り越えるために「見える世界」の改革だけではなく、「見えない心の世界」の変容に取り組まなければならないのです。

私たちにとっての良いニュースは、新たな「つながりと個性が共生する物語」とより多くの人たちを幸せにするシステムを創り出す時間がまだ何とかあり、新しい物語の構成要素になりそうな革新的な方法・考え方・それらを実践しているコミュニティーも急激に現れはじめているということです。

私は長年、深層心理学、発達心理学、トラウマ学、胎生学、ソマティック心理学、神話学、歴史、スーフィズムや密教などの叡智の伝統、ムーブメント、瞑想、マインドフルネス、エコビレッジなどの幅広い分野での学び・実践を通じて、1)機能不全を起こしはじめている現在のパラダイムに幕を閉じ、2)言わば妊娠期のような過渡期を我慢強く耐え忍び、3)新しいパラダイムを産み出すという3つの領域のあり方を探るという活動に知らず知らずのうちに従事していたようです。私はこれから、今まで学んだ知識や身につけた知恵を伝え、翻訳、執筆、ワークショップの提供、コミュニティー創生などを通じて、多くの人と共にこの移り変わりの時代を歩んで行きたいと思っています。

そして、上記に述べた事を体現するためにも、私の活動はギフト経済や循環的経済(サーキュラーエコノミー)になるべく寄せるようにしたいと考えています。ギフト経済とは、それぞれの人が生きていく中で、その自分のライフステージごとのギフトを発見し磨き上げ、それを社会にギフトとして差し出すことでそれが必要な人に渡り、それを受け取れた感謝の気持ちでまたギフトを誰かに自然と送りたくなるという循環的な経済システムです。当然、自分にとって必要なギフトも周りから自然と巡ってくるという形になります。気持ちとしては、私が提供できる事をギフトとして提供して、それに価値を感じた受け取り手の方々がペイフォワードしてくださればいいわけです。ただ当然、そのギフト経済はある程度の参加者がいないと成立しないので、当面は現行の経済システムとギフト経済の両方を意識することになります。まだまだ未知の領域での活動になりますので、温かく見守っていただければと思います。

大野誠士 
2019年8月15日

まだホームページは完成していなかったし、公開してもいなかったが、翌朝、7年以上も会っていなかった知人の紹介で、とある企業の秘書からCEOへのセッション依頼のメールが届く。このタイミングでのこのメールは偶然にしては出来過ぎている。今まで自分にとってアウェイだと思ってなるべく近寄らないようにしていたビジネスなどの自分にとっての”外の世界”に足を踏み入れていかなければならないのだと直感する。


 一つだけ選ぶとすれば、人を人たらしめるものは心だ。常々、法的にでも法人が人格を有するのであれば、もっと心を宿して貰わなければならないと思っていた。そもそも法人は人の集まりで構成されているのだから心が強く宿っているのが本筋のはずだ。心理学を生業として、心の世界にばかり長年浸ってきた自分がビジネスなどの世界で出来ることはきっとある。開業届を出す前に初仕事が決まると共に、自分に何が求められているかに耳を澄ませて、予定をあまり立てずに、目標を設定せずに思いだけを携えて直感的に行動していくこの生き方・仕事のやり方でもうたぶんやっていけるのだという感覚が湧いてくる。というか、もう昔の生き方への戻り方も分からないから、多少の不安を抱えつつもそのまま行くしかなかった。


 最近「本気でトラウマを解消したいあなたへ」という素晴らしい本を出版された友人の藤原千枝子さんに誘われて9月に熊野で行われた「第一回女性性会議」に唯一の男性参加者として参加する。女性性を癒し、その力を取り戻していこうという場で素敵な女性たちに出会う。今の世の中の様々な問題の根底には、過剰で歪んだ男性性と抑圧された女性性からなるバランスの大きな乱れが一つの大きな要因としてあるという思いが僕にはあった。だから、この会議に参加することになったのは自然の流れだったように思う。ここでの繋がりがどうなっていくのかは分からないが、女性の中の女性性の目覚めのサポートをはじめ、両性のバランスが戻るような活動をしていきたいという思いはいまだに強い。


 10月に入ってFacebookで見かけた静岡の富士山静養園でのイベントが何となく気になって、熊野で出会ったタッチケア支援センターの中川れい子さんもいらっしゃることを知ったのも後押しになって、参加してみる。そこで素晴らしいホリスティックな取り組みをされている医師の山本竜隆さんに出会い感銘を受ける。そしてある日、アメリカ時代に仲が良かった友達から突然メッセージが届く。あなたたち二人とも面白いことやっているから繋がった方がいいよということで、アメリカでのリサーチ旅行中にその友達と偶然出会ったというコクリ!プロジェクト創始者の三田愛さんとつながる。


 その出会いを契機として、僕が今まで学んできたことの一部について英治出版でプレゼンすることになる。その後、何となく先が見えない日々が続き、翻訳や通訳に取り組んだり、コーチングやコンサルティングしたりしながら流れが来るのを待つ。「逆らうのではなく従うのでもない。波に乗ればいいんだ。」というのは伝説的サーファー、ジェリー・ロペスの言葉。乗れる波が来ていない時には辛抱強く待つしかない。


 年が明けて、もうちょっとギアを上げて生きていかなければいけないという気づきが湧き上がってくる。近くの神社の裏にある滝の前で、ギアを上げる決意と共に祈る。その直後にもう一歩外に足を踏み出す意図をも込めてnoteのプラットホームを使っての初エッセイを書き上げる。それをFacebookで投稿すると間もなく、富士山静養園で出会ったEarth Spiralの安珠さんから連絡があり、秋に日本ホリスティック医学協会でお話しさせていただくことが決まる。そして、同じ日に英治出版でのプレゼンテーションにいらしていたFutureEdu代表理事の竹村詠美さんからのお誘いである企業でプレゼンテーションすることも決まる。


 他にも教育関係からも声がかかり始めたり、いずれ一緒に何かをやっていくことになるのではないかという予感を感じる人たちに次から次へと出会ったり、どこに向かっていくのかは分からないけれど確実に何かが動き始めている。思いと決意と実際の行動と出会いの魔法が人生を未知の領域へと動かしていく。今までの自分の土壌では見たことのない芽がちらほらと出始めている。相変わらず事業計画や目標はない。ある程度の予定はあるけれど、ほぼ毎日をインプロバイゼーション的にこつこつと生きていく。感謝の気持ちが自然と湧き上がってきていることがきっと自分の今の在り方が間違っていないことの証だ。


 何かしらの修行期間を乗り越えて、自分の真摯な思いが大きな流れと重なれば、あとは心で生命の流れを聴こうとしながら即興で踊るように生きることが出来る時代が来ているのではないか。予測できない水の流れのような動きをしていくこと。それこそが女性性の本質の一つでもある。解決策が容易に見つからない危機の時代だからこそ、女性性が生み出す予想もつかない動きや発想、一見つながりそうもないものをつなげてしまう愛の力が求められている。


 そして、そのダイナミックな流れを守り、その流れに寄り添うように力強く平和のために内なる炎を燃やすことが忘れ去られようとしている本来の男性性の本質の一つであると思う。これもまた降って湧いたような展開で、夏にはコロラドでの大自然の中でのリトリート、秋には出羽三山での山伏修行に行くつもり。きっと自分の中の野生や男性性の本質ともっとつながるために。


 長い長い冬眠を経て、女性性と男性性が再び調和していく時代が目覚めようとしている。自分に出来ることは何なのか。どこに向かっていくのかも分からずに、耳を澄ませて即興で踊りながら生きようと試みることが怖くないわけがない。そこに自由と解放感があったとしても。でも、自分中心主義者や傍観者や皮肉な批評家として何も行動しないで、ひどく痛んでいる地球を後にして死んでいくのは、立ち上がり始めている若い子たちやこれから生まれてくる未来の世代のためにも忍びない。


 「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」って安西先生も言っていた。だから、自分がこの世で求められていることが何かと耳を澄ませながら未知のダンスを踊ることを試みて、失敗して転んだりして笑われても、それすらも踊りの一部にしてしまって、この危機の時代を乗り越えれば待っているだろうより美しい世界を想いながら踊るように生きてやろうって思う。アインシュタインが言っていた。「我々の直面する問題はその問題を作ったときと同じ意識のレベルでは解決することは出来ない」って。だから、様々な世界的な危機を目の前にしても圧倒されず、未知の解決法を迎えるために、こつこつと自分という場を清めてまだ在らぬ新しい意識から湧き上がる踊りを呼び覚まそうと試みるしかないじゃないかって思う。心の奥底から溢れ出してくる即興的な未知の人生を紡ぎ出す人が増えれば、その集まりがいずれ未だかつてないパワーと新しい意識を宿した祭りやコミュニティになって必ず社会や世界はより美しく変わっていく。

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