見出し画像

4km速度競走に拘った理由『前編』

現在ではすっかりトラック選手というイメージが強くなっている息子ですが、当初は全くそんなことはありませんでした。息子と私が高校3年間、4km速度競走に拘ることになった背景と、その理由を書いていきたいなと思います。


4㎞速度競走とは?

これを読んでくださっている小中学生の選手やその保護者の方には、トラック競技である4km速度競走という競技がどんなものか分からないと思いますので、まずはその解説動画をご覧頂ければと思います⇒クリック
※この動画は本当に分かりやすく解説されていますのでオススメです!

1点だけ気を付けて欲しいことがあります。4㎞速度競と間違えられますが、4㎞速度競『走』です。動画のサムネイルも間違えているくらい、8割くらいの方が間違えていますので、これだけは充分に気を付けてくださいwww

参加資格の厳しいU15の出場資格

さて、本題に入っていきたいと思いますが、息子も中学2年生まではロードレース1本でやっていました。

皆さんも目指されているであろう、ジュニア全日本選手権ロードを目標に頑張っていましたが、U15の出場資格(U15は、U17と予選でも混走で、同等の出場資格を取ることが条件という非常に厳しい条件です)をギリギリ取ることができず、県の推薦で出場するという方法しかありませんでした。

しかし、私は元々競泳出身ですので、0.01秒でも標準記録を突破できなければ全国大会に出場できないというシビアな環境でやってきた手前、定められている制限記録を突破できないのに、簡単に推薦という手段で出場する選手が多いことに、以前から疑問をもっていました。

これには、様々なお考えがあると思いますので、それを否定するつもりはありません。あくまでも私個人の指導方針としての意見です。

ずっと一緒に切磋琢磨したU選手

兵庫車連の推薦を頂き参加した1年目

そんな私でも、中学1年生のU15、1年目は流石に全国で誰も資格を取れていないという状況でしたので(1年生の中で)、推薦を頂いて出場させたのですが当然本戦ではろくに完走さえできませんでした。

力の差を経験できたことは大きかったですが、『やっぱり出場資格がない選手が出ても、邪魔になるし危ないだけやな』と思ったのもこの時です。

そのレース直後本人に、『来年はU15の2年目。絶対に県に推薦をお願いしないから、本戦に出たければ自分で掴み取るように』と伝えました。正直、その後は結構頑張っていたように思いますので、少し本気になったタイミングでもあったかなと考えています。

世の中の厳しさを知った2年目

で、中学2年生のU15、2年目の時には、当時ライバルであったU選手が唯一U15の選手では出場資格を正式に獲得した一方、息子は順位1つの差で資格を取れませんでした。

そんな中で、もし息子が推薦で出場させて頂き、万が一にも本戦で勝った場合、それは偽物のチャンピオンだなと思いますし、何より本人と約束した『ダメなものはダメ』という世の中では当たり前のことを経験させたいと思いましたので、頑なに資格取得要件を守り出場させませんでした。

他に、多くの選手が推薦で出場している中、唯一資格を取ったU選手がU15では圧倒的な力を見せつけて勝つのをライブ配信で見て、『良かった!』と思う反面悔しい思いをしたのは今となっては良い想い出ですし、この経験は本当に後々本人の糧になったと思っています。

失意の中のJOC参加申請

本人としてはどうしても獲りたかったタイトルに、挑戦するところまでもいかなかった訳ですから、息子を見ていた感じとしては失意のどん底という状態だったのを鮮明に記憶しています。

そんな5月、6月を越えて、7月にはトラック競技のJOCジュニアオリンピックカップの募集が始まりました。

トラック競技の経験もほとんどありませんでしたが、機材だけは一応揃えることができたというのもあり、本人と話し合った結果挑戦してみようということになりました。

そもそも中学生には他に公式大会もないということもあり、公式記録での制限記録は突破できていないものの持ちタイムを出してくれたら人数次第では参加できますということでしたので、ダメ元で出場の申請をしてみました。
※持ちタイムも制限タイムに及んでいませんでしたがそのまま提出。

その結果、1㎞タイムトライアルと、3㎞個人パシュートの2種目での出場が許可されました。

形は違えど、全国大会に出場できるということで本人も気持ちが上がっているのも分かりました。ここでは、モチベーション維持も大事だなと思ったりしましたが、やはり先程の話からすると、ブレブレの感は否めませんwww

スタートラインに立てた!(美鈴湖にて)

制限タイムが前年の優勝タイム?

ちなみに、その制限タイムは前年の大会でもチャンピオン以外誰も突破していないという謎に高い記録であったことだけは、参考に書いておきます。

今はかなり緩和されていますので、少し問題があったとJCF様でも認識されたのかも知れませんが、真相は認識しておりません。

まさかの2冠達成

で、迎えた大会当日、動画がありますのでよろしければご覧ください。
1kmタイムトライアル:1分14秒336(1位)
3㎞個人パシュート:3分56秒151(1位)
ということで、まさかの2冠を達成することができました。

今でも一緒に走っているライバル達と

トラックに才能が?でも・・・

このあたりで、『もしかしたらトラック競技の方が才能あるのかな?』とは薄々思ってはいましたが、実は大きな問題点があったんです。ブレーキのないピストでは、他人の後ろが怖くて走れないという問題が・・・。

JOC以後、京都車連様が開催してくださる関西トラックフェスタ等に、ポイントレースやスクラッチ等で何度か参加させて頂きました。

しかし、どうしても前の選手が怖くて、1人だけずっと集団最後方のアウト側、ステイヤーラインの外を走り続けるというような感じで、なかなか突破口が見出せないまま高校生になりました。

というのが後半へ繋がる背景ということで、今日のところは終わりたいと思います。

多くの方に読んで頂けているのも嬉しいんですが、やはりこうして活字にしていくことで、当時のことを懐かしく思い出したりするのが、今の私にとってはとても心地良い時間になっています。

ジュニア選手の保護者の方も子供が、朝起きない、すぐに動かない、言ったことをやらない、嘘つく・・・等々、色々とご不満もおありだと思いますが(うちも負けてませんよ)きっとこの時間は後からとても幸せだった時間だと思える時がくると思いますので、喧嘩しながら仲良く競技に取り組んで頂ければ良いんじゃないかなと思います。

この頃は可愛かった・・・

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?