痛みを信じること 【漢方医放浪記】
「腰から下が全部痛いんです。粉々のガラスの中に埋まってるような。ずっと、ずっと。夜中に痛みで目が醒めて、それから痛くて眠れなくなります。」
そう言って彼女は笑いました。
彼女の動かない両脚は、その事故が壮絶であったことを物語っていました。何の感覚も存在しないはずの下半身に、耐え難い痛みだけを感じるというのです。彼女が痛みと共に過ごしてきた時間は十数年にも及び、その間に数々の医療機関を受診してきたものの、痛みが楽になることはなかったそうです。
整形外科から処方されたあらゆる薬は奏功せずに副作用に苦しみ、理学療法も効果はみられず、ならば痛みの専門家に相談しようと受診したペインクリニックでは「どうしようもない」と匙を投げられる始末。医師からかけられたのは「精神的なものでは」という言葉。痛みの存在自体を疑われることに、彼女はどれほど傷付いたことでしょう。
先ほど私に見せた笑顔は、諦めと自嘲の混ざった色をしていました。彼女の痛みの存在を、客観的に認知する術はありません。しかし医者が患者の訴えを無視してしまったら、その苦しみは行き場を失い遂には心を壊すでしょう。
極論を述べるならば、その症状が嘘でも構わないと私は思います。詐病や狂言は間違いなく医療者から嫌われる行為です。正当な理由なく偽ることは法的な罪に問われる可能性もありますから、例えば嘘で仕入れた医薬品を高額転売するケース等は、地獄の業火さえ生温いと思います。
診察室において、私に嘘は通用しません。行動心理学と精神医学的素養を基礎に、西洋医学と東洋医学の視点から診察と検査を組み合わせれば身体的な不調の有無を見極めるのは容易いことです。
嘘ならば、その嘘が述べられた理由を探ります。占い師としての経験と話術が相手の心を見透かします。それが診察室という特殊な環境ならば、私を欺くことは不可能でしょう。その嘘に犯罪行為が絡む場合には容赦なく通報し、そうでなければ言葉の真意を汲み、然るべき診療を展開します。
つまり、彼女の痛みは本物でした。
神経障害性疼痛に相違なく、それは過去あらゆる治療に反応しないほどの厄介な病態であることが分かりました。
「つらかったでしょう。
そして今も酷い痛みに、耐えていらっしゃる。」
そう言葉を掛けると、彼女の不自然な笑みが消え、か細い声が静かに鳴りました。
「先生。痛いの、治りますか。」
それだけ言うと、彼女は口を黙みました。それが彼女の心の発することのできる精一杯の言葉だったのでしょう。
「どうにか出来るかもしれません。どれくらい良くなるか断言はできませんが、幾つかの医学を組み合わせて、治療を始めてみませんか。」
漢方医学、鍼灸治療学、そこに西洋医学を融合した治療が始まりました。
2週間以内に眠れるようになり、1ヶ月半が過ぎる頃には夜に痛みで目が醒めることがなくなりました。そして驚くべきことに、腰から足先まで全てを覆っていた痛みは、少しずつ少しずつ、その範囲を狭めていきました。痛みの強さ自体も徐々に減り、彼女は日常に復帰する希望を取り戻すことができました。
「膝のあたりから足先はまだ痛いけど、これならまた仕事もできそうです。」
そう言った彼女の笑顔に、いつかのような不自然さはありませんでした。
医者の仕事は、誰かの人生に大きく踏み込むものです。誤診は人生を狂わせ、言葉ひとつが心を殺すことも、救うこともある世界です。そういう自覚のないままに診療する若手医師を見ると、私は恐ろしい。いいえ若手に限らず、半ば作業のように診療をこなす医者の多いことに、私は憤りを感じます。
どうか人生を諦めないで。
もうどうしようもないと暗闇に身を任せそうになったときでも、虚ろな言葉に惑わされないように。
必ず、光は燈ります。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうござました。願わくは、貴方の病みに光が差し込みますように。
本人了承の下、治療内容を記載させていただきます。
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