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「できる」と「できない」の間に

「発達障害のある方に関して『何かができるかできないか』っていうことだけで見ると、見誤るんですね。『できる』と『できない』の間に『できるけど疲れる』ことがたくさんある」

 これは児童精神科医の吉川徹先生が2018年11月放送のNHK番組内で述べた発言です。当時かなりの反響を呼んで、多くの議論のきっかけにもなったことは記憶に新しく、私もまたこの言葉に救われた一人でした。

 友人の精神科医によると、私は軽度の自閉症スペクトラムを背景にしたHSPのようです。
 違和感を覚えて「それ併存するの?」と聞いたところ、「自閉症スペクトラムは発達障がいで、HSPはそういう気質を示す心理学的概念だから、両方あってもいいと思う」と。
 「ただ…生きづらそうだね。」と、そう云った友人の目はとても優しい色をしていました。

 私には苦手なことがたくさんあります。例えばひどい方向音痴で道を覚えられませんし、正確に測らなければ料理を作ることもできません。どんなに努力しても一向に改善できません。幼児期には言葉が出てくるのが人より遅く母親を心配させ、運動が苦手でよく怪我をしました。

 人の気持ちには敏感ですが、小学生の頃は「あいつは人の気持ちが分からない」と言われ、ひどく傷付いたこともあります。そんなつもりはないのに、です。人を傷付けてしまったことはすぐに分かるのに、どうしてそうなってしまったか分からないのです。自分は歪だ、と思いました。中学に上がる頃、私は心理学の勉強を始めました。皆が当たり前にしているコミュニケーションに、自分も参加したかったからです。

 ーーー腕を組んでいたら、拒絶か緊張のサイン。組んだ腕が低ければ拒絶、高ければ緊張。

 ーーー顎を隠すようなら、本心を隠そうとしているサイン。質問を続けないほうがいい。

 ーーー「なるほど」という言葉は本当は納得していないサイン。自分の意見が受け入れられたと思って喜ばないほうがいい。

 心理学の本をひたすら読み漁って、そんなことを覚えていきました。幸い記憶力は良い方で、学校の勉強は得意でしたから、専門書を読み覚えていく作業に苦痛はありませんでした。間違っている知識もあったと思いますが、当時は自分が一番間違った存在だと考えていましたから、あまり気になりませんでした。

 身につけたテクニックを実践してみると、次第に自然なコミュニケーションがとれるようになっていきました。少しずつですが、それまでが嘘のように友人が増えて、いじめられることもなくなりました。

 友人に「生きづらそうだね」と云われた直後、私は泣いていました。

 そうか、自分は生きづらかったんだと、そこで初めて気付くことができました。

 私にとって「人と対面で交流すること」は、それ自体が「できるけど疲れること」だったのです。

 それでも私は、人と関わることを続けていきたいと考えています。仕事も敢えて、人を相手にする道を選びました。

 理由は簡単です。

 私は、人が好きなのです。
 人というものがたまらなく愛おしいのです。

 だからその愛おしい人たちには、幸せであってほしいと祈ります。せめて自分の関わった人には、少しでも幸せな気持ちを抱いてほしいと考えています。

 「発達障がい」は極めて多彩な概念で、千差万別、それぞれの人ごとに全部状況が違います。どういう苦しさかはその人にしか分からないかもしれませんが、苦しいということは確かです。(もし人と違うことがあっても、自分や周りが苦しんでいなければ、それは「障がい」にはなりません。)

 拙文を最後まで読んでくださったことに至上の感謝を込めて。
 願わくは貴方に、いつかまた逢えますように。

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