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菊理媛神と龍神

 妹が倒れた。彼女が高校三年生の冬のことである。それは大学受験を控えた大切な時期だった。初めは普通の風邪かと思ったが、熱がなかなか下がらずに、頭痛も続いていた。インフルエンザの迅速検査は陰性で、日を変えて別のクリニックを受診した。高熱が出始めてから1週間近く経過していたと思う。

 妹が入院したと聞いて手が震えた。髄膜炎だそうだ。当時医学生だった私は知識としては知っていても実際に髄膜炎の患者さんをみたことがなかった。感冒症状が先行してから遷延する頭痛と発熱といったら、髄膜炎は鑑別上位にあたる。2日前に妹を診察したときに、髄膜刺激徴候に気づかなかった自分が悔しかった。無菌性髄膜炎だった。起因菌は分からなかった。確証はないが抗ウイルス薬を使用して、あとは支持療法を続けて回復を待つしかなかった。専門書を読み漁った。その時は同級生の誰よりも髄膜炎に詳しくなったと思う。細菌性髄膜炎に比べると予後は良いとはいえ、やはり心配だった。

 祈ることのほかに、何ができただろう。それは両親も同じだったようで、信心深い母は懇意にしている神社に相談に行った。そこの宮司さんが不思議な人で、普通の人には見えないようなものが視え、科学では説明できないことを解決する術を持つ人だった。本籍地まで足を運び、庭の一箇所を指す。そこに古井戸があったのだという。それはとうに枯れ井戸で、埋められて他と見分けのつかない場所だった。

「この場所に毎日、綺麗な水を供えるように。そこに水を撒いて、祝詞をあげるようにしてください。」

 宮司さんの言葉に従って、両親は毎日通って水を撒いて、祝詞をあげた。それは大祓詞の一部省略版のようなものだったと記憶している。1週間のうちに変化が現れた。水を撒いていた場所の土が綺麗な円形に濡れているのだ。晴れの日もそこだけは乾かずに、土は湿り続けた。晴れた空に立ち昇る雲をみて、なぜか「龍」だと私は確信した。雲の向こうにうねりながら進む龍の存在が視えた。

 妹の熱が下がったのはその頃だった。頭痛は残るがベッド周りを動けるくらいに回復してきていた。医療スタッフと病院に感謝した。偶然でも神様でも何でもよかった。ただ祈ることは毎日続けた。徐々に回復したが、まだ歩行の不安定な時期。センター試験まで1週間を切ったときに、彼女は試験を受けたいと云った。主治医も困惑したことだろう。しかし彼女の決意は変わらなかった。一応は軽快したので退院してもよいと許可が出た。自宅に帰った妹は、病み上がりの身体を引きずって2日間の試験に挑戦した。

 結果、彼女は自己ベストの点数でセンター試験を突破し、その勢いを保って志望校に合格した。どれほど強靭な精神力かと驚いた。彼女もまた、医師になった。

 その神社の主祭神が菊理媛神(ククリヒメのカミ)だと知ったのは、随分後になってからだった。菊理媛神は日本書紀に一度だけ出てくる神で、一説には龍神との関わりも深いという。

【原文】及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。​(日本書紀 第十より抜粋)

 「言い争うイザナミとイザナギに菊理媛神が何か言うと、イザナギはそれを聞いて褒めて、その場を去った」という主旨のようだ。曰く、イザナミとイザナギを仲直りさせたから縁結びの神だとか、死者と生者の間を取り持ったから巫女の神だとか、ケガレを祓う神格だとか。

 その真偽は分からないが、この後にも不思議な体験は重なり、神懸かった何かの存在を私は確信し、日々に感謝して生きている。

 祈る力は強い。対象が何であれ、それは共通している。人事を尽くしたら天命を待つのではなく、強く強く、祈ってみてはどうだろうか。

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