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加速する社会と変わらぬ人間、その狭間に押し潰されるは人の心/腕時計を外した日。

 例えば江戸時代の人の暮らしと現代社会の暮らしは相当な変化を遂げていますが、では人間のスペックはどうだったかというと現代と変わらないことに気付きます。人の心の在り方も、急に変わることはありません。当時の人と直接話をしたわけではありませんが、残された書物、記録から察するに、同じ人間であったのだと想像するのは容易です。

 記録の残る過去に想いを馳せます。
 四大文明の頃でしょうか。公共事業、争いの記録、生活の跡。人間は人間として生活を営み、群れを形成し、規模を拡大して国家となり、文明を発展させてきました。その頃の人間と現代の人間は何が変わって、何が変わらないでしょう。

 世界人口の推移をみてみましょう。
 United Nationsより"The World at Six Billion", "World Population Prospects 2002 Revision"等を参考に数値をみますと、以下の通りです。

 西暦元年には3億人。
 1000年に3.1億人。
 1500年に5億人。
 1800年に9.8億人。
 1900年に16.5億人。
 1950年に25.2億人。
 僅か40年後の1990年に52.6億人です。
 2000年には60.7億人を記録し、今や80億人に迫る勢いです。

 人間社会について考察するときの参考として、以前「ダンバー数」についても触れました。

 人間のスペックと集団の人数を考えた時、どうみても多過ぎるというのが実情です。もはやひとつの群れとして統率をとることは困難で、人間は集団という巨大な意志の奔流に溺れているようにも見えてきます。

 さらに問題は、爆発的な人口増加と同時に「人間社会」や「文明」が、加速度的な発展を遂げていることです。はやく、もっとはやく。徹底的な効率化の先に省かれる「無駄」は、本当に無駄だったのかという疑問さえ、高度に物質化された社会通念は全て飲み込んで前に進みます。

 人は変わらない。
 心は此処に在る。

 人口を減らせとか文明を捨てろとか、そういう極論に走る意図はありません。私も文明の恩恵を享受する只の人間に過ぎません。しかしこの勢いを「リセット」するような事件が起きやしないかという懸念はあります。

「忙しい」

 心を亡くすと書きます。
 分単位のスケジュール、効率化を求める仕事。それは日常生活にも同じこと。

いつ会える?
渡邊は忙しいからなぁ。

いつかの思い出

 遠く旧友の声を思い出します。
 いったい私は何に追われていたのでしょう。

 加速する社会の波から降りてみると、その流れが想像以上に速かったことに気付きます。そこにいる人の表情をみて、自分もそういう顔をしていたのだろうかと振り返ります。

 人類にとってのベストが何かなんて、簡単に結論づけることはできません。生きとし生けるものの幸せとか、地球の未来とか、或いは宇宙とか。思考の渦に巻き込まれそうになるところを一歩引いて、まず自分を見つめます。

 この腕時計。

 常に正確な時を刻みながら私を導き、しかし同時に私の心を追い詰めるものでした。目を閉じて深呼吸をしてから、そっと外します。軽くなった感覚は左手首から腕を伝って心の中へ。

 江戸時代、憂世うきよ浮世うきよに形を変えました。
 今は迂期世うきよとしてゆっくり進むのが丁度良い。

 いつか終わる今世の命を抱き締めて、
 私は今日を考えます。



 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは貴方の人生が、穏やかに花開く豊かなものでありますように。



#未来のためにできること
#色々考えた上でとりあえず腕時計を外すこと
#腕時計アンチではありません #むしろ趣味です #今日つけていた腕時計はCITIZENのEco -Driveで銀と白の綺麗な薄めの一品です
#多様性を考える #SDGsへの向き合い方
#エッセイ #世界人口
#少しずつ心が回復し始めています
#焦らない焦らない #ひとやすみひとやすみ
#憂世 #浮世 #迂期世

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