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悪友はカウンセラー

夕飯を終えたあと、吉報が舞い込んだ。

知り合って約25年の友人が入籍したとのことだった。

この友人は、私の幼なじみであり心からの悪友である。

悪友と言っても、もちろん共に犯罪を犯したり、人を陥れたりするわけではない。
盗んだバイクでも走り出さない。

この友人とその様な行動をしたことも、25年の関係の中で一度もない。

ただ、お互いに悪話をするだけだ。

しかし、この「悪話(わるばなし)」が生活の中において、メンタルヘルスをメンテナンスする大きな力添えになっていることは、否定できない。

ほとんどの人間が、怒りや憎悪などの「悪」とされる気持ちをもっている。
日常生活の中で、そういった感情が湧く事が通常モードともいえるだろう。

しかし、円滑な人間関係を築いたり、コミュニケーションを保つことは、ある程度その「悪」を、心の奥、または喉の奥に押しやる努力が必要だ。

けれども、その悪の塊はただ奥に押しやっているだけで、消化できているわけではない。

流れず分解されず、喉や腹に留まっている場合が多いし、それがつっかえて、平和な日常生活の妨げになる事が多い。

私の経験上では、それが溜まり過ぎると息苦しさを感じ、内に篭って憂鬱になるか、対外的に爆発するかのどちらかになってしまう。

前者は人に迷惑はかけないが、下手をすると病院で症状として名付けられるほどの事態になることもある。

後者は、人に迷惑をかけてしまう上に体力や精神力まで奪われる。

両者ともに自家中毒になり、倒れることになるのだ。

では、どうしたらこの「悪」から解放されるか。
手段はいろいろあるが、誰かと認め合って笑い飛ばしてしまう方法が手っ取り早い。
しかも楽しい。


私と友人は話す時は毎回腹を抱えて笑う。

話す内容はきっと人から軽蔑される様な内容だが、心置きなく悪どい事や、馬鹿な話をし続ける。

大人になると、腹を抱えて笑う機会が激減するが、この友人とはどれだけその時気分が落ち込んでようが、程度の低い話で小学生のレベルまで下がって笑う事ができる。(実際に出会っているのが小学校だから、そうなるのもあるかもしれない。)

そして、悪を吐き出しきったら、また次の日から清々しい気持ちで日常に戻る事ができる。

この作業を通して、お互いのメンタルヘルスの安定と負の感情の解放を助け合うことができるのだ。

河合隼雄さんは、信頼できる主治医として常に3人のカウンセラーがいたようだ。

人の悩みに寄り添うカウンセリングをするには、精神衛生を保つため、複数の自分専用のカウンセラーが必要だったみたいだ。

意外かもしれないが、カウンセラーを3人も探す事は現実的でない。

私は今まで、メンタルが安定しない事が多かったため、メンタルクリニックを探し回ってた時期もあり、何人もの心療内科医と話した事がある。

失礼な言い方だが、ほとんどが毒にも薬にもならない人か、毒になり得る人だった。
中には傷つけるような人を言ってくる人も何人かいた。

知り合いの臨床心理士でさえ、この業界にまともな人は少ないよ。と言っていた。

それであれば、「悪友」のほうがよっぽど自分のメンタルヘルスを底上げしてくれる。
その事に気がついてからは、カウンセラー探しは辞めた。

その位良質なカウンセラーに出会う事は確率が低く、困難だ。

「悪友」という言葉は聞こえが悪いかもしれないし、人によっては不審に思うかもしれない。

しかし、生き辛い私にとっては「悪友」の存在は、大事な友人であり、馬鹿なことを言い合える兄弟のようでもあり、優秀なカウンセラーでもあるのだ。

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