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におい

小学生だったころ、同級生の誰かが脱いだまま置き忘れている体操服とか、制服の上着とかのにおいをかいで、その持ち主を当てることができた。

田舎の小学校で、学年の人数が20人にも満たなかったからというのもあるのだろうけれど、私は同級生みんなのにおいを知っていた。私だけではなく、きっとみんなもそうだった。

たとえ誰かが分からなくても、そういうときは別の誰かがくんくんと鼻を動かし、「これはあいつのだ」「これはあの子のだ」と、置き去りにされている衣類の持ち主を必ず探し当てた。

だから誰かのにおいが分かるというのは当然のことだと思っていたけれど、中学や高校では、誰かの持ち物をにおいで探し当てるなんてことは減り、たとえそんな状況があったとしても、においで分かっただなんていうのは、なんとなくちょっと言いづらくなっていった。

変に解釈されたり誤解されたりするからうかつに口にできなかった。

においというのは、そのひとと近いところにいなくては分からない。心の距離というより身体の距離、物理的な距離が近くなくては、誰かのにおいなんてものは覚えられない。

なにか同じものを一緒に覗きこむとき、ちょっと肩が触れるくらいの適度な距離感をうまく利用して、私たちは少しずつ時間をかけて相手のにおいを認識し、次第に記憶のポケットから引き出せるようになっていく。

だから誰かのにおいが分かるということは、その相手ととても近いところにいるということなのだ。

そして自分が誰かのにおいを覚えているということは、もしかしたらその相手も自分のにおいが分かるほど近いところにいるかもしれない、ということ。

そんなことを最近考えた。


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