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散りばめられた星を縫うように

「思い出されるためには忘れられなければならない、それがいやだ」というような言葉をどこかで見かけたけれど、あれを見たのはどこだったろう。

そういうことこそノートに書き留めておけばいいのに、うっかり記録し忘れている。私の中にはその言葉のかたちだけが、ひっそりと残っている。

その言葉を目にしたとき、私はたしかにそのとおりだと思った。

私たちは普段起きる出来事すべては覚えていられないようにできているようで、自分でも気づかぬうちにすこしずつ思い出を忘れては新しいものを編みこみ、そうやって自分だけの物語を創り上げていく。

だけど忘れてしまっていても、ふとした瞬間に、誰かや何かを思い出すことはある。

それは本当に些細なタイミングで蘇るので、だから自分の意思でコントロールできるものではない。「あっ」と思ったときにはもう手遅れで、何かのはずみに、凍りついていた思い出はまるで魔法をかけられたように息を吹き返す。

たとえば初夏の風に吹かれたその刹那や、プールのカルキのにおいを胸いっぱい吸い込んだそのとき、夜空の月を見上げたときにだけ鮮やかに再生される感情や言葉がある。

もしそれにかかわったひとびとがいれば、そのひとを追憶してしまう。

なにかが誰かと結びついて私の中に記憶されているということ、
それこそが私というひとりきりの人間を作り上げているのだと最近思う。

いつだったか、恋人と1日の終わりに電話をしているとき、
「周りの人がいて初めて私なんだなって思うんだよね」と言ったら、
「俺は俺があって初めて周りの人と関われると思うよ」と返された。

私たちは出会ったころからそういう話ばかりしてきたから、相手を否定することなく互いの考えを聞き、自分の考えを主張することができる。

そのあとすこし話をして、「それはきっとどちらも同じことなんだろうね」というところに落ち着いたのだ、たしか。
視点が違うだけで、本質はたいして変わりはしないのだと本気で思った。だからそう言ったのだ。彼は頷いた。
そんなやりとりをしたこと、今これを書きながら思い出した。

そして私が私とかかわってくれたひとびとによって作られているなら、もしかすると私も誰かの一部を無意識に構成しているのかもしれない。

たとえばある曲を聴いているとき、私は過去に恋したある少年の面影を追いかけることを許される。その曲と少年が結びついた理由が、意図的なものでもそうでなくても関係ない。
その楽曲が彼を思い起こす力を持つのであれば、音の鳴り止むそれまでの数分間、私は彼に思いを馳せることが許されている。

そしてそれはわざわざ誰かに言う必要もない。
私は私のまぶたの裏で、その昔少年だった男の子のくれた言葉とかまなざし、彼に抱いていた感情を音楽とともにそっと流し、再び焼き付ける。

そして音楽が止んで次の曲へ移行した瞬間、彼にまつわる思い出は再び記憶の波の彼方へと溶けて見えなくなっていく。それは哀しいことではない。

そういうことは星のようにたくさんある。おそらくは私が思っているよりもっとたくさん。あらゆる事柄は記憶を引き出すための鍵になりうる。

さくさくぱんだとか、パインアメとか、パピコを目にするたび、スピッツの「楓」とか、星野源さんの「桜の森」、Saucy Dogの「シンデレラボーイ」を聴くたび、私には思い出すひとびとがいる。

そういうことがきっと私を私たらしめている。

そしてどんなに短い時間でも、すぐにまた忘れてしまうとしても、特定のなにかと結びつけて誰かを思い出す行為がわるいものだと、私には思えないのだ。

そうやってなにかの弾みに思い出されることが、普段そのひとに忘れられていることを代償に成り立っているとしても、私が忘れ去られているというその事実を憎むことはできない。

忘れているからこそ思い出すことができるものもあると思うからだ。

ただ私が何かにつけて思い出すひとびとが、同じようにある音、におい、小説、季節なんかで私を思い出してくれることがあれば、それはどんなにさびしくてうれしいことだろうと思う。

本当はこのnoteに目次をつけて、私がふとした瞬間に思い出す彼や彼女について書いてみるつもりだった。

でもそれは完璧に私のエゴだし、さっき書いたようにわざわざ誰かに言う必要もないかもしれないと思ったから今回はやめておく。もしかしたらまた別の機会にあっさり書いているかもしれないけど、それは気まぐれだからどうか許してほしい。

ああ、できるだけ私が誰かの中に散りばめられていたらいいな。

たんぽぽ、りんごジュース、蝶々結び、紫陽花、いちごみるくの飴玉。
もしそういうもので私をほんの一瞬だけ思い出してくれる誰かが世界のどこかにいたら。
痛烈なものでなくても、私が誰かの一部に生きてくれていたら。

おこがましいかもしれないけれど、星屑のようにあちこちに散りばめられているような、そこできらきら小さく光るような私になりたいと思う。

追伸
明日は大学入試共通テストですね。3年前の私たちに思いを寄せつつ、受験生の皆さんの健闘を祈ります。どうか持った力を発揮できますように。

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