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夕闇に溶けて

秋になってから、学生研究室を出てすぐのところにある非常階段をよく使うようになった。

私たちの学生研究室は学部棟の3階にある。今までは正面や裏の玄関から出入りしていたのだけど、あるときカッターシャツの彼が非常階段から建物に出入りしているというのを教えてくれた。本当はよくないんだろうなと思いつつ、ここ2~3週間ほど前から私もそこを使っている。

非常階段は鉄骨でできていて、屋根はあるけどほとんど外だから風がよく通る。近くには大きな木があって、階段を下りながらすこし手を伸ばしたら葉っぱに触れることもできる。

非常口から非常階段へ出たところ


上から見下ろすとこんなかんじ


非常階段は必要最低限のつくりだから、階段の段と段の間(蹴込み板というらしい、初めて知った)はなく、向こう側の景色は丸見えだし、夜になると暗くて足元がほとんど見えない。誰かが上り下りすると階段全体がすこし揺れる。最初はそれがすこしこわいような気がしていたけど、慣れてしまえばどうってことなくなった。

最近、夕方になると、そんな非常階段の最上階で空を眺めている。

日が暮れそうになると研究室から出て行って、非常口のドアを両手で押し開けて外へ出る。

オートロックの扉を閉めないようにそっとドアを閉めたら、手すりや柵にもたれないようにしてその場に座り込む。私は手すりといった類のものを基本的に信用していないので、決して体重をかけたりはしない。その代わり、地面から3階までまっすぐ据え付けられている鉄の柱に背を預けてみるようにしている。

非常階段の最上階に座り込んで、30分くらいぼうっと表を眺めるあのひとときが私は好きだ。夕方はあたりが暗くなってくる時間帯だから、そんな高い場所に私がいることに気がつくひとはほとんどいない。私の輪郭は夕闇にじわりと溶け込んでいるから、それを想像すると妙に楽しい。

非常階段で気分転換するのは、もともとカッターシャツの彼の習慣だった。

彼は朝でも昼でも夜でも、ときどきふらりと猫のように研究室の外へ出て行くことがあるので、私はずっとどこへ行っているんだろうと不思議に思っていた。すると彼はあるとき、非常階段の最上階でよく音楽を聴いたり、ぼうっとしたりしているのだということを教えてくれた。

しかし最近は夕方になると私がそこを陣取っているので、彼は「夕方は〈青葉〉さんに譲ってあげようかな」と言ってくれた。私はそれがうれしかったので、彼に向けてにっこりと笑ってみせた。

そういうわけで日が暮れるまでの間、非常階段は私のものになった。私は気持ちが満足するまで、ゆったりとそこに座り込んでいる。暗がりで蛍光灯に頼って詩集を読んだり、秋の風を浴びながら考えごとをしたりする。

カッターシャツの彼は、ときどき、重たい扉を押し開けて外へ出てきて「夕方は身体が冷えますよ」などと言う。「うん」と答えつつ、私はそこに居座り続ける。やさしいひとだ、と思っていると彼は再び建物の中へと戻っていく。適度に気にかけてくれ、それ以外は放っておいてくれることのありがたさを私はひとりでかみしめる。

そうして私は思う存分たそがれて、自分の手や足が外気や風で冷たくなってきたら静かに研究室へ戻る。そこにはみんながいて、「外出てたの?」とか「よるごはん食べにいこうよ」とか声をかけてくれるので、私はほっと安堵する。

***

ここ数年で気が付いたのだが、私はそっと自分をいじめるのが好きなようだ。いじめているのかもわからないほど、ささやかにいじめるのが。

みんながどうかはわからないけど、私にはときどき自分をいためつけたいときがあって、しかしそれは手首を切るみたいな、明らかな自傷の形にはならない。私にとっては寒いところへ出ていき、自分の身体を極限までつめたく冷やすことが、自分をいためつける行為にあたるのだと思う。

あと、音楽を大音量で聴くこともそう。イヤホンを耳に乱暴に突っ込み、耳の穴の奥の方や、ひどいときは頭が痛くなるくらい大きな音で音楽を聴くことも、私が私をいためつけるための行為だ。

もっとなにか他にあるだろう、と思われるかもしれない。それじゃあいためつけていることにならないのじゃないかと。

けれど私には自分の身体に傷をつけたり、煙草で肺を汚したりすることはできないのだ。そこまでする度胸はないし、わざわざそこまでして自分を傷つける必要性は感じない。私は私の身体が好きだし、周囲のひとにも大切にされて育ってきたから、積極的に自分の肉体をぼろぼろにする理由はひとつもないのだ。これは私の愛すべきところだと思う。

しかし身体を冷やすくらいならば、まあ、いいんじゃないかしらと思う自分がいる。

冷えてもあたためればいいのだし、私は自ら積極的に身体を傷つけているわけではない。外気に触れているだけで身体は勝手に冷えていく。それは、どちらかといえば消極的な行為だと思う。

そんなことを言っておきながら、私は寒さに決して強くはない。

まだnoteで書いたことはなかったけど、私は中学生のころから、冬の冷気に触れると肌がかゆくて仕方がなくなるのだ。知り合いのお姉さんが「寒冷蕁麻疹じゃない?」と教えてくれたので、それだと思っている。

あまりに寒いと手の甲や足の甲、膝、頬や耳が真っ赤になって、肌の一部が蚊に噛まれたようにぷっくりと腫れ上がる。

冷えているからそうなっているはずなのに身体の内側はじんじんと熱くて、肌の表面がかゆくてたまらないような、へんなかんじがする。なんで症状が出始めたのかは覚えていない。

高校生のときには、冬の朝に電車を降りて15分ほど歩くだけで、膝や頬に発疹ができてしまったこともあった。きりっと冷たい空気の中、風を切って歩くといつもそうなるのだ。露になっている身体の一部が真っ赤になって熱を持つ、あのかんじ。

ひどいときには(信じられないことに)、朝の冷気のせいでまぶたがぱんぱんになってしまい、泣きはらしたあとのように目が腫れて、視界が狭くなってしまうこともあった。それは高校のクラスメイトたちに「目、どうしたの?」「何かあったの?」と心配されてしまうほどだった。

恋人は私のこの体質を知ってからというもの、冬になると私を寒さから守ろうと一生懸命になってくれる。

高校3年生の冬の夕方、身を切り裂かれそうなほど冷たい風を浴びながら彼と駅まで並んで歩いているうちに、私の頬は例の如く発疹でぷくぷくになってしまった。彼は私が顔を手やマフラーで隠したり、頬をかきながら歩いているのに気づいて「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてくれた。

肺が凍りそうなほど大気の冷たい雪の日、私が自分の体質を説明すると、彼は両手を伸ばし、その大きな手のひらで私の頬をそっと包んでくれた。

私はそのとき彼に頬の発疹を見られるのが初めてで、「ちょっと格好悪いなあ」と思って恥ずかしくてうつむいていたけど、彼はただ「かわいそうに」とつぶやいただけだった。

その彼のまなざしのやさしさに、このひとは私を本当に好きなのだと全身で感じた。彼は本気で私のことを心配してくれていた。「かわいそう」という言葉をきらいなひとも世の中にいるけど、私にはその言葉が、まるでどうしようもないほどに甘いささやきのように聞こえたものだ。

***

以前、テレビ番組で寒冷蕁麻疹の女の子のことを放送しているのを見たことがある。彼女にはとても重たい症状が出ていて、身体が少しでも冷えるとそのショックで命が危険になったりするほどだった。

しかし私の症状はそれほどじゃない。蕁麻疹は一過性のもので、しばらく身体をあたためていればすぐに治るから、私なりに折り合いをつけられていると思う。生命の危険を感じたこともない。

もちろん、蕁麻疹の有無にかかわらず、身体を冷やすことがあまりよいことではないというのは分かっている。だから冬には靴下を何重にも履くし、夏でもカーディガンを持って出かける。

けれどときどき、どこまでなら大丈夫なのかつい試したくなる。

冬に表で何かや誰かを待っているとき、雪や雨の中でみるみるうちに体温が奪われていくときのあの感覚を、強烈に思い出すときがある。手足の指の先から冷たい空気が身体に沁みこみ、痛みを帯び始め、いつの間にか痛みの感覚さえ消えてしまう、あの時間。

黙ってただそれを感じているひとときの、ゆらゆらとした頭の中。漠然としたさびしさ、理由のない焦燥、そこが冬であることのかなしみ。寒い季節の中で生きている私の肉体。

夕方にひとりきりで、手や足を冷やしながら薄明の空を見つめるとき、私の心の中にある湖の水面にはそわそわとさざ波が立つ。眠れない夜、裸足でベランダに出てオリオン座を眺めるとき、胸の中に灯っているあたたかな炎はふっと揺らいだりする。

私はいつだって思い知りたいのだ。

身体を冷やすことで、私が今まで何も考えずに浸っていた場所がどれほどあたたかい場所なのかということを確かめたいのだ。それは小学生のころ、プールの授業のあとに着替えた制服が、すっかり冷えてしまった身体に心地よいあたたかさをもたらしたときのあの感じとよく似ている。

なんでもないあたたかさ、なんでもない幸福。

私は昔からそういったものに惹かれるし、それは自分ではどうしようもない。私は単に自分をいためつけたいのではなくて、自分が置かれている場所のやさしさを俯瞰したいのだ。

与えられたものや、つかみ取ってきた状況が決してあたりまえではないということ。素晴らしい世界が私の周りに存在しているということ。

たとえ慣れてしまったとしても、私はそれを何度でも思い知りたいのだ。

そんなことに最近気づいたので、私の夕方の時間はより有意義なものになっている。季節は秋へ移行してどんどん寒くなるけど、私は厚めのカーディガンを羽織ってぶるぶる震えながら非常階段の上にたたずむ。

寒いのは好きじゃないけれど構わない、少しくらいなら身体を冷やしたっていい。毎日、黄昏時にひとり物思いに耽る。

ひとは誰でもこういう時間を持っているのではないかと、私は思う。







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