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〈ふるさと〉を想うフレンチ・ポップスの紹介 -Patricia Kaas, « Souvenir de l’Est »



〈ふるさと〉

もうすぐ年末年始です。
帰省なさるかたも多いのでしょうね。
友人のひとりは秋田に、もうひとりは茨木に帰るはず。
 
〈ふるさと〉、つまり考え始めたところ。そして歩き始めたところ。
大事なのは、それがどこだったのかを自分で確認しておくことでありましょう。苦悩してゆきづまったときに、帰ることのできる場所ですから。
 
それが一冊の本ならば、それで良いのです。
その本が〈ふるさと〉になります。
自分は根無し草だと思うならば、それで良いのです。
その自意識が〈ふるさと〉になります。
畢竟、埼玉だってかまわないのです。
〈ふるさと〉自慢は、含羞の色を浮かべながらするものでありましょう。

フランス東部

さて、歌手パトリシア・カースのふるさとは、フランスのモゼル県です。
ドイツとの国境沿いで、しばしば戦場になったところです。
寒いからでしょうか、ビールの製造が盛ん。
そしてキッシュ・ド・ロレーヌが美味しい。
 
彼女がそんな自分のふるさとを歌った曲に、「東部の思い出Souvenirs de l’Est」があります。
知床旅情」に似た、太くてのびやかなメロディにのせて表現されるふるさとへの想いは、ただの懐かしさだけではありません。
おそらくふるさとでは、楽しいことだけでなく、悲しいこともあったのでしょう。
ただたんに帰りたいという、単純な気持ちだけではないのでしょう。
 
この曲を聴くひとは、イメージをどんどん膨らませ、幾つもの物語を作ることができます。
その理由はふたつ。
ひとつが、詩のなかで、ふるさとを分析してもいないし、説明してもいない点。
ただ思い出して目に浮かぶモノを断片的にちりばめただけ。でもそれが想像力を喚起するのです。

そしてもうひとつが、パトリシア・カースの表現力ゆたかな歌声。
ひとつの言葉を歌うのに、どうしてこうも幾つものニュアンスを込められるのかと感心します。

歌詞

前半部分、意訳してみました。
不定冠詞〈un / une / des〉の訳し方が難しかったです。
例えば冒頭から、ふるさとの思い出として「微笑み」があげられるのですが、まさにこれが不定冠詞単数形なのです。「たくさんの微笑み」でもないし、「微笑みというもの」でもない。
悩みながら、「微笑みがひとつ」としてみました。
だって「ひとつの微笑み」は日本語としてヘンだし。

Souvenirs de l’Est
(東部の、幾つもの思い出)
Souvenirs qui me restent
(わたしに残っている思い出)
Que me reste-t-il de mes souvenirs de l'est
(東部の思い出のなかで、何がわたしに残っているだろう)

Un sourire, un geste
(微笑みがひとつ、しぐさがひとつ)
Un accroc à ma veste
(ジャケットの鉤裂き、ひとつ)
Que me reste-t-il de mes souvenirs de l'est
(東部の思い出のなかで、何がわたしに残っているだろう)

Un parfum d'enfance
(あるにおい、子供の頃にかいだにおい)
Un chagrin qui danse
(ある悲しみ、踊る悲しみ)
Une photo de ma mère
(お母さんの写真が一枚)
Et des kermesses populaires
(そしてたくさんのお祭り)
Un soldat qui passe
Sur la ribenstrasse
(リベンストラスの上を行く兵士がひとり)
Et cette façon d'être insoumise et fière
(そしてその不屈で誇り高き様子)

 


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