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ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』を読んで

読んで良かった。
あんな厚い本、上下巻で?と、最初は迷った。
でも古本屋で安く買えたので読んでみた。
読んで良かった。


保守派


ウエルベックは保守派で、僕はどちらかといえば革新派だ。
例えばウエルベックはナチズムとフランス革命を、どちらも既存の価値体系に取って代わることを目指していたとして、同一視する(『滅ぼす』第7部)。
当然のことながら、僕はこういう意見には反対だ。イラっとする。

けれども自分とは違う思想信条を持つ人の作品を、頭から否定して読まないのは偏屈なだけだ。
そもそも文学は、作者と読者が分かり合うために存在する。
自分とは違う思想信条の人の作品を読むとは、自分自身の包容力と理解力を豊かにすることである。
しばしば日本のリベラルは、潔癖症ゆえか、「批判ばかり」だが、人間として如何なものか。

例えば登場人物の一人は言う。

「安楽死の本当の理由は、現に我々が老人の存在に耐えられず、目を背けたいからです。(中略)現代人は、人間の価値が年齢とともに低下すると考えている。年寄りの命より若者の命は価値が高く、子供の価値はもっと高く見積もられる。(中略)昔はどんな文明においても、誰かに一目おいたり感心したり、評価の決め手となったのは、その人が実際に生涯をどう生きたかでした。(中略)子供の命を高く評価するってことは、その子供が将来どうなるか、利口になるかバカになるか、天才になるか犯罪者になるか、はたまた聖人になるか、まるでわからないわけですから、実際の行為に価値をおかないことになります。我々の英雄的行為や利他的行為、作ったものもしたことも、達成したことはすべて世間にとって無価値になる。(中略)こうして生きる意欲も意義も失われる。まさにニヒリズムというやつです。未来ばかり見て、過去と現在を軽視する。」

(『滅ぼす』第4部)

ちょっと極端だとは思うけれども、全面的に否定したくもない。

またウエルベックは別の登場人物に、出生率に関する、次のような見解を語らせている。それによれば、出生率の低下と道徳の退廃は関係があるのだそうだ。

「一般に、戦争のあとには、精神的な崩壊とともに、出生率の低下が続く。人間の条件の不条理を明るみに出すことによって、戦争は人々から生きる気力を奪い去る効果をもつ。特に、第一次世界大戦の場合がそうだった。この大戦の不条理さは前代未聞の水準に達していて、その上、塹壕で塗炭の苦しみをなめた兵士と銃後でぬくぬくと甘い汁を吸った者の落差を考えると、甚だしく反道徳的だった。」しかし1950年代にはまったく反対のことが起きた。「第二次世界大戦は通常の対外戦争であっただけではなく、ある意味では市民戦争でもあり、人びとはくだらない愛国的な利益のためではなく、ある道徳法則の名の下に戦ったのだった。」

(『滅ぼす』第7部)

だから戦後、出生率は増加した、のだそうだ。
ホントかよ?と思う。でも発想としては面白い。
今度、現代史の専門の先生に会ったら、どう思われるか、お伺いしてみよう。
戦後日本のベビーブームも、道徳律とシンクロしていたのかな。

主人公は、世界を「自分がいるべきではない場所、しかし急いで立ち去ることもない場所」として捉えている。
主人公は、何もしないでいることが苦痛ではない。
ものすごくよく働く高級官僚なのだが、それでも、何もしないでいることもまたできる人間である。
そんなところも、共感できた。(たとえ僕が研究者仲間から「バリバリ精力的に研究している奴」と思われているとしても。)


小説のつくり


『滅びる』では、さまざまな〈事件〉が発生して、次にどうなるのか、目が離せない。
だから読者は読み続けずにはいられない。
しかしウエルベックにとって〈事件〉は読者をひきつける仕掛けでしかない。

〈事件〉の前後で、話が大きく変わることはない。
たしかに〈事件〉は既存の傾向を急進化したり緩慢にしたりする。
しかし〈事件〉そのものが問題ではないのだ。
例えばテロが起きる。
けれども最終的にテロの全容が明らかになるわけでも、首謀者が逮捕されるわけでもない。
重要なのは〈事件〉に対して主人公が何を思い、どう行動したかである。
しかし主人公はほとんど常に、状況に対して受身である。たとえ主人公が何か積極的に行動したとしても、リーダーは彼ではない。

つまり物語の中における〈事件〉の重要性は、極めて小さい。
それは急に空から降ってくるが、何か大逆転を引き起こすわけでもない。

まさにそのような小説のつくりそのものに、ウエルベックの保守的性格が明瞭に見える。
「事件=出来事=革命が、世界と主人公をかえる」とは考えていないのだ。

確かに面白い。
三島由紀夫レベルまでには行っていないとはいえ、面白い。
ウエルベックも『滅びる』で輪廻転生に言及している。
僕が三島の『豊饒の海』を想起したとしても、さほどおかしくはあるまい。

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