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何もないことが休む秘訣?雪にとじこめられて、ようやく休めた話

さいきん、私は休むのが案外うまくないな…と、はっきりと自覚するようになった。

空いた時間ができたら、ついスマホをさわってしまうし、せっかくの時間だからと、映画みたり、本を読んだり、その時間を何かで埋めようとする。

子どもたちと家にいれば、お腹すいたー、アレがない、コレしてと要求は絶えない。
家の中を見渡せば、片付いていないエリアや、やり残した家事が目につく。最近は、子どものおもちゃや、学校の持ち物、勉強道具、色んなものが家に溢れかえっていて、意識があちこちに持っていかれてしまう。
そして、お気に入りのソファも、だらだらしようと企んで買ったビーズソファも、すべて子どもたちに占拠されてしまってる!

「休む」という言葉の定義も人それぞれだと思う。映画をみたり、旅行に行くこと自体は休むに入るという人もいれば、ひたすら布団の中でごろごろするのが休むという人もいるだろう。

だとすると、私の場合の「休む」の定義は、ボーッとできる時間、ただただ景色を眺めたり、身体の力がゆるんで思わずうたた寝してしまうような、そんな時間。

休む時間が終われば、全身がすっきりとして自然に身体に活力がみなぎって幸せな気持ちになる、そんな時間だ。

家はホッと出来る場所なのは間違いないけど、家にいると、今はどうしてもボーッとすることができない気がする。

むかし、母が「お母さんって、なかなか休めないんだよね」とぼやいていたのを思い出す。母親は休むが難しい。もちろん父親も。

うちの夫も、ふと見れば、子どもの相手をしつつ、台所を片付けたり、洗濯物を畳んだり、息子の勉強みたり、自分の仕事の勉強したり、ずーっと動き続けている。そういえば、うちの夫が家でダラダラしてるのも見たことがない。でも、どこでも眠れるのが、彼の特技で、ソファに座ってしばらくしてると眠りこけてたりする。良質な眠りで休みをとってるのかもしれない。

そんなわけで、どうやったら、休み下手な私が心から休めるのだろうか…?について考えてみた。

☃❄☃❄

つまるところ、自分の家にいる場合、寝てるときとお風呂で湯船に浸かってるとき以外は、休めてないような気がする。

唯一、私にとって実家は母に甘えて休める場所だったけれど、実家も遠方で帰ることもなかなかできないし。

ここ最近で言えば、仕事も全集中でやらなきゃいけなかったり、子どものことで奔走したり、疲労困憊していたのに、自分で気づいてなかったのだ。それなのに休日は大掃除だの、放置していた押し入れの整頓だのをつい立て続けにやってしまい、気がつけば体調ダウン、ということがあった。

どうしたら体調悪くなる前に、疲れてることに気づけるんだろうう?
どうしたら、心から休めるんだろう?

そんなことを思いながら、予定していたスキーへ。
2泊3日ででかけたのだけど、2日目は子どもと夫だけでスキーにいってもらい、私は雪の中のコテージで1人一日休むことにした。

これが、心から「休んだーーーー」という感じで、良かったのだ。

なぜ、そんなに休めた感じがしたのか。それは、きっと「自分の家じゃないから」と「何もなかったから」じゃないかと。


自分の家でなければ、片付けなきゃ、とか、掃除しなきゃとかそういう「●●しなきゃ」という気持ちが湧いてこない。

そして特に、読む本もなく、新聞もなく、WifiもなくSNSは最低限で、ひたすらボーッとするしかなかったこと。(まったくSNSもできない環境ならさらによく休めたと思う。)

とにかく、コテージは普段ならやるようなことが、何もなかった、何もできなかった。

もちろん、1人きりなのも良かった。

雪に閉じ込められていて、雪がしんしんと降り積もる気配と、時計がチクタク鳴る音しかしない。

そんな環境が、私を心から休ませてくれた。


時計の音をただ聴いていたら、頭の中に、昔読んだことのある絵本の場面が浮かんできた。
雪ふる夜、あたたかい家の中で、うさぎのお母さんが手袋を編むシーン。揺られる椅子に腰掛けて、窓の外の雪景色を眺めながら、ゆっくりゆっくりと編み棒を動かす。

雪に閉じ込められた世界で、どこかに出かけることも億劫になるくらい外はきっと寒いのだろう。じっと家の中で、春を心待ちにしながら数ヶ月の間、読書したり、静かに料理をしたり、編み物などして1日を過ごす。

そういう時間が、もしかしたら心と身体を休めてくれるのかも。

コテージの私は、まさに雪に閉じ込められて、そんな穏やかな状態だった。

時計がチクタクなる音だけを聞きながら、高い天井をじっと眺めてみたり。昼は、前日のすき焼きの残りで、一人分のすき焼きうどんをつくって食べた。

そしたら、少し体を動かしたくなった。

雪景色を見ながらの散歩も悪くないかもと、氷点下の世界へ。


やっぱり寒い。地面から容赦なく冷えが伝わってくる。

でも、白い雪にすっぽり覆われた世界は、静かだった。音がないだけじゃなくて、空気さえもぐっと息を潜めてるみたい。

こんな寒い森の中を、丸腰で歩いている人はめったにいないようで、出会ったのは、犬の散歩をされてる方だけ。除雪車だけは数回あった。

道の脇を見れば、雪が織りなす、たくさんの造形に「わぁ、何これ、きれい」と1人でいることを忘れて歓声を上げた。1人だからこそ、心ゆくまま、この時間を楽しめる。写真を撮ったりしながら、雪兎でも出てこないかしらと目をこらしながら、小一時間コテージの周りを歩く。

雪景色に目が喜び、そして体もあたたまってきた。この時間が楽しくて嬉しくて、雪道なのに走りたくなった。

なんだ、雪の上も案外走れるじゃない、と調子に乗っていたら、滑って転んでお尻を打った。

コテージに戻った頃には、ちょうどいい具合に体が疲れていて、お布団にゴロンと横たわると、深い眠りの中へ。

日常から離れた雪に閉じ込められて、何もないようでいて、すべてがあるような完璧な場所で。
ようやく私は心から休むことができた気がした。


❄❄❄☃

そういえば、2019年にバリへ一人旅したのも、心から休んだ気がしたのだった。あれから、1人旅できてない。私が休むには、日常から離れた場所で、何もない場所が最適なのかもしれない。

山の中でもいいし、海辺でもいいし、人気のないところで数日1人で過ごすだけでも、きっとすごく休めるんだろうなと思う。

というわけで、夫に「今年は、私、一人旅するから」宣言してみました。


🌴🌴🌴

とつぜんだけど、雪国からとんで、南の島へ。

南の島のサモアにご家族6人で4年間、過ごしたというyahoiさんの記事に惹かれた。

心から休むのには、ものがない場所にいることも大事なのかもしれないと、私はこの記事を読んで確信を深めた。

モノの多さがわたしたちの時間を搾取していることは南の島生活で実感した。とにかく、時間の流れがゆっくりだった。1日24時間というが、モノのない空間で生きれば、必然的に時間が増えたと感じられるほどだった。

yohoiさんnoteより



私はきっと、ものも情報も、何もかも持ちすぎているんだろうなと悟る。休むのが下手なのは、当然かも知れない。

もしかしたら私だけの問題ではないのかもしれない。

現代人であれば、休もうとしても、油断すればSNSで情報の波がおそってくるし、街に出れば、あなたはコレが足りない、もっとこうしなさいっていう刺激がすごい。

だから街中では休めなくて、私の場合は、自然の中にでかけていくと、ようやく心から休んだ感じがするのだ。

現代に生きる人にとって、行動するよりも、知識を身につけるより、もしかしたら一番難しいのが、心からゆっくり休むことなのかもしれない。

今日は、そんなことをあれこれ考えて、何もせずに家でぼーっとしてたら、昼間から布団で爆睡してしまった。なんだか身体がスッキリしている。

もしかしたら、家でも休めてるのかも。でも、やっぱり、1人旅や自然の中での、心の休まり方とは少し違うかな?

家で休み上手の方がいたら、ぜひその方法を教えてほしいなーと思う。

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