まとめ:奥深き「雲伯正調」の世界【正調ミステリーハンター in 島根(5/5)】


少し時間が空いてしまいましたが、島根県・鳥取県への実態調査のまとめとして、獲得した情報と知見を整理します。
過去の記事をご覧頂いていない方は、下記のリンクからどうぞ。

第1回 米田酒造・李白酒造訪問記
第2回 酒持田本店訪問と出雲平野の風景
第3回 奥出雲周遊と簸上清酒訪問記
第4回 フィナーレ&釣果&簡易レビュー

■島根県・鳥取県の正調粕取存続状況(2020.04.21現在)

現地調査と後日の補足調査によって、かつては多数の正調粕取蔵があったと言われる島根県・鳥取県でも、現役で正調粕取焼酎を製造している藏は5箇所まで減少してしまったことが分かりました。

・米田酒造(島根県松江市)→訪問
・酒持田本店(島根県出雲市)→訪問
・旭日酒造(島根県出雲市)→後日判明(藏に電話で確認)
・簸上清酒(島根県雲南市)→訪問
・稲田本店(鳥取県米子市)→訪問

これらの内訳は「島根県東部(出雲地方)4藏、鳥取県西部(伯耆地方)1藏」とですが、実は、両地方は古くから交流が深く、併せて「雲伯地方」と呼ばれることがあります。

つまり、現役の正調粕取蔵は、両県のなかでも「雲伯地方(島根県東部・鳥取県西部)」に集中していると言えます。

■雲伯地方の稲作、食文化と正調粕取焼酎

では、「なぜ雲伯地方に集中しているのか?」について、「稲作」と「食文化」の2つから考えてみます。

まずは、「稲作」です。
雲伯地方の中心に広がる平野(出雲平野、松江平野、米子平野)は、西日本有数の米どころです。
また、これらの上流に位置する奥出雲地域は、山間部にも関わらず全国屈指の稲作好適地として知られており、特に「仁多米」は新潟の「魚沼コシヒカリ」に匹敵するブランド米として近年脚光を浴びています。
このように、「米どころ」であった雲伯地域では、米・稲作と関りが深い正調粕取焼酎の製造が盛んとなり、そもそもの製造蔵の母数が多くなったと考えられます。

続いて、「食文化」です。
先日の「正調粕取地理学の提起と展望」では、島根県で正調粕取焼酎が存続している要因として、「郷土食品である漬物(奈良漬)と蒲鉾製造(あご野焼き)の需要」が大きいとの仮説を立てました。
現地で伺ってみると、実際その通りで、現代は「飲用」としての需要が減少する一方、「奈良漬」と「あご野焼き」)の需要が、正調粕取焼酎の存続を支えているという実態を把握することができました。

以上から、雲伯地方に正調粕取の現役蔵が残っている要因は、「米どころゆえの母数の多さ」と「郷土の食文化とリンクした需要」の2点にあると考えられます。

■出雲地方の農業、資源循環と正調粕取焼酎

江戸時代初期に粕取焼酎が広まった要因として、下粕(焼酎の蒸留粕)が肥料として重宝されたことが大きかったと言われています。
今回の調査では、現在も米田酒造・酒持田本店の下粕が「農業の肥料」、そして簸上清酒の下粕が「和牛の飼料」として利用され、出雲地方において正調粕取を仲立ちとする資源循環が存続していることが明らかとなりました。

では、過去の経緯はどうだったのでしょうか。
出雲地方の農業の歴史を調べてみると、江戸時代に入ると平野部で木綿の生産が盛んとなり、肥料の需要が高まったようです。
かつて木綿の一大集散地であった雲州平田において、酒持田本店が正調粕取焼酎の製造を続けていることは、このような歴史的経緯との関連があるのかもしれません。

また、江戸時代以降の奥出雲地域では、「たたら製鉄」の跡地を水田に転換を図るため、和牛を飼育してその糞尿を農地に還元し、時間をかけて土壌を豊かにしていったそうです。
このストーリーに直接正調粕取焼酎は出て来ないものの、簸上清酒の事例は「米づくり」と「和牛」をつなぐものであり、地域の土地利用に組み込まれてきたことが伺われます。

以上から、出雲地方の正調粕取焼酎は、当地の農業や資源循環と密接に関わりながら普及し、継承されてきたと言えるでしょう。

■出雲地方における正調粕取の「製造暦(こよみ)」

インターネットでは、正調粕取焼酎の「製造技術」や「製品の味わい」の情報は数多く掲載されていますが、「製造暦(こよみ)」の情報はほとんど掲載されていません
事前に調べた範囲では、九州の「杜の藏酒造」(福岡県)と「鳴滝酒造」(佐賀県)では「4月」、島根の米田酒造では「10月」に蒸留されているという、極めて断片的な情報しか得られませんでした。

今回の現地調査によって、事前に「10月蒸留」であることを把握していた米田酒造に加え、酒持田本店も同様に「10月蒸留」、そして簸上清酒も不定期ながら「夏以降の蒸留」であることが分かりました。
そして、その理由として、酒粕が初夏から盛夏にあけて漬物(奈良漬)用として販売され、残りが蒸留に回されるという実態も明らかになりました。
(一方、福岡県は、漬物用としての酒粕の需要が無いため、日本酒製造シーズン終了直後の4月に蒸留されるものと考えられます。)

シンプルに書くと、
出雲には出雲の製造暦がある。
九州には九州の製造暦がある、
各地の風土や食文化との関わりによって、製造暦は異なる。
ということでしょうか。

■おわりに

以上、全5回、約1万6千字にわたって「正調ミステリーハンター in 島根」をお送りしてきました。

自分が「正調粕取焼酎」に深い興味を持った理由は、それがアルコール飲料という枠を超え、地域に深く根差した文化的存在であるに違いないと直感したからです。
そして、実際に「粕取り三大聖地」の一つである島根県を訪れてみると、予想以上に地域の伝統的な生業・生活と深く、しかも複雑に関わっており、事前の想像を超えたストーリーとロマンを感じることができました

しかし、同時に、正調粕取焼酎はやはり「絶滅危惧種」であり、その将来に明るい兆しは見えないという現実も突き付けられたことも事実です。

一介のアマチュアである自分がどうこうできるとは思えませんが、せめてこのnoteやTwitterで、その素晴らしさを発信し続けて行きたいと思います。

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最後に少しだけプライベートなことを書きます。

実は、自分の父方家系のルーツは島根県松江市であり、子供の頃に何回か当地の親戚を訪問したことがあります。
そして、大人になってからも折に触れて旅行し、著名な場所はひと通り回りました。
(実は、今回訪問した米田酒造、酒持田商店にも訪れたことがあります。)

今回、正調粕取焼酎に興味を持ったことで、引き寄せられるように島根県を訪れたことは、不思議な「縁」としか言いようがない出来事でした。
そして、新たな魅力と出会うことにより、島根県への興味と愛着をますます深めることができました。

このような「縁」に大いに感謝するとともに、必ず再訪することを誓って、ここに筆を置きたいと思います。

ありがとうございました。

<完>

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