酒持田本店訪問記と出雲平野の風景【正調ミステリーハンター in 島根(2/5)】

調査報告の第2回目ということで、初日の午後の様子をお送りします。(第1回はこちら
前回よりもさらに写真が多くなりますが、出雲の空気を感じて頂ければ幸いです。

■一畑電車に揺られて雲州平田へ

松江で大充実の酒蔵訪問を満喫した調査隊(ソロ)は、一畑電車に乗り込んで西へと向かいます。

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早朝の雪が嘘のようなポカポカ陽気となり、車窓をぼんやりと眺めているうちに、雲州平田駅へと到着。
ここから酒蔵に向かって10分少々歩きます。

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雲州平田(出雲市平田地区)は、出雲大社と松江をつなぐ中間地点に位置し、交通の便が良かったため、西暦 1300 年代から近江商人らによって開発が始まりました。
江戸時代になると、松江藩は木綿の栽培を奨励し、陸路と水路が交わる平田はその集散地として大いに繁栄しました。
当時最も賑やかだった界隈は「木綿街道」と呼ばれ、現在も酒蔵・醤油蔵・菓子屋などの古い建物が軒を連ねています。

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余談ですが、「粕取焼酎の製造」と「綿花の栽培」は、ともに江戸時代初期に全国へと普及しました。
良質の綿花を栽培するためには多くの肥料が必要であり、江戸時代は主に「干鰯」(干した鰯)や「鰊粕」(ニシンの搾り粕)などが使用されたのですが、もしかすると粕取焼酎の「蒸留粕」も肥料となったのではないか。。。
そんな妄想を楽しんでいるうちに、目的地へと到着しました。

■酒持田本店(正調粕取焼酎「ヤマサンのかほり」製造元)

木綿街道の街並みのほぼ真ん中にある酒持田本店は、明治10年の創業であり、現在は雲州平田唯一の酒蔵となっています。
主力商品は日本酒「ヤマサン正宗」と「古滴」で、他に正調粕取焼酎「ヤマサンのかほり」などを製造しています。

前日に酒蔵見学を予約していたのですが、何と、社長さん自らご案内頂けることになりました。ありがとうございます。

その冒頭、いきなりクイズが出題されます。
「酒持田本店の玄関には、酒蔵につきもののある物が見当たりません。さて、それは何でしょうか?」(皆さんも以下の写真を見て考えてみてください。)

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正解は「杉玉」です。
酒持田本店では昔から杉玉をぶら下げず、その代わり、新酒のシーズンを迎えると蔵人が青竹を切り出して屋根に置くそうです。ユニークな風習ですね。

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今期の造りは直前に終了したということで、遠慮なく酒蔵の中を見せて頂きます。

東京近辺の酒販店や居酒屋で「ヤマサン正宗」をたまに見かけるので、中堅くらいの藏かと想像していましたが、実際はかなりコンパクトです。
社長さんのお話によると、現在の製造量は約400石くらいで、丁寧な手づくりを心掛けておられるとのことでした。

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ご覧のように、昔ながらの木造建築が健在で、古い道具も大切に使われていますが、その一方で蔵の中はとても清潔に保たれています。
これは、蔵に住み着いている微生物が良い感じで働いているのでは、、、と想像を膨らませます。

自分はもともと「ヤマサン正宗」の濃醇な味わいと、熟成で伸びる強い酒質が大好きでしたが、実際に藏の環境を拝見して「なるほど…」と思う点が多数ありました。
(もっと色々とお聞きしたのですが、今回は正調粕取焼酎が主役なので、このくらいにしておきます。)

見学の後は、お楽しみの試飲タイム。チョイスしたのは以下の3つ。

①日本酒「ヤマサン正宗 純米吟醸 佐香錦 加水火入れ」
②日本酒「長期熟成酒 古滴 三年熟成 佐香錦 純米吟醸 原酒 火入れ」
(②の原酒を熟成させたもの)
③粕取焼酎「ヤマサンのかほり25度」

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①日本酒「ヤマサン正宗 純米吟醸 佐香錦 加水火入れ」は、この藏の持ち味である「柔らかな甘み+キレ」を存分に味わえます。純米吟醸ですがフルーティーな香りはありません。「キレ」を演出するのは、甘みの背後にある「酸っぱくない酸」と「穀物らしいほのかな苦み」だと思います。

②日本酒「長期熟成酒 古滴 三年熟成 佐香錦 純米吟醸 原酒 火入れ」は、上記に「枯れ」の要素が加わり、奥深さが増しています。熟成感はしっかりあるものの、いわゆる「老ね香」は控えめで、とてもバランス良く仕上がっています。

そしていよいよ、本命の③粕取焼酎「ヤマサンのかほり25度」です。グラスに注ぐ時点で正調粕取特有の「畳」の香りが広がります。口に含むと若々しい青草のアタック、少し遅れて酒粕由来の甘みがじわりとやって来ます。現時点でも十分旨いのですが、熟成させれば更に花開く予感がします。

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最後に、正調粕取焼酎の製造や消費などの実態について、社長さんにじっくりと伺いました。
その内容は、午前中の米田酒造でのお話と重複する部分が多く、出雲地方に共通の「粕取焼酎文化」が存在することを感じさせます。

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<製造暦>
日本酒の製造シーズンが終わる春に、酒粕を足で踏み込んで空気を抜き熟成させる。その際、普通酒から大吟醸まで全てのスペックの酒粕をミックスする。
・酒粕(踏み粕)は、夏の間に漬物(奈良漬)用として販売し、フスマ(出雲弁で籾殻のこと)を入手できる10月になると、残った粕を蒸留する。籾殻は酒米の契約農家から入手する。
基本的には毎年蒸留するが、酒粕の残りが少ない場合は蒸留しないこともある。
・出来上がった粕取り焼酎はしばらく熟成させ、頃合いを見て出荷する。

<蒸留の方法>
・蒸留に使用する常圧蒸留器はアルミ製で、角型蒸篭と冷却器が横に並び、パイプで接続されている。
・昔は木製の角蒸篭ろを使っていたが、修理できる人がいなくなったので、アルミ製の蒸篭に変えた。
・熟成した酒粕(踏み粕)とフスマ(出雲弁で籾殻のこと)をスコップでかき混ぜて蒸篭にセットし、蒸留が終わったら蒸留粕を取り出す
蒸留は洗米場で実施し、蒸留の時期以外は器械を分解して片付ける(なので、この日は残念ながら器械を見ることができなかった)。

<焼酎粕の農地還元>
焼酎の蒸留粕は、近所の農家が取りに来る。田んぼや畑の肥料として利用されるほか、イノシシの罠の餌にもなる

<粕取り焼酎の需要>
・粕取り焼酎は、家庭の奈良漬(酒粕を延ばす)、蒲鉾(名物「あご野焼き」)の製造に使用される。
・昔は「農民のポカリスエット」のようなもので、農作業の疲労回復に、砂糖と梅干を加えて飲まれていた。現在は飲用の需要は減っている。

<今後の見通し>
・まだ奈良漬や蒲鉾の需要ががあり、また焼酎粕の肥料としての引き合いも多いので、粕取焼酎の製造を続けて行きたい。
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いずれも興味深い内容で、粕取焼酎の製造が昔も今も地域の生活・生業に深く根差していることが伺えます。
なかでも、粕取焼酎は「農民のポカリスエット」というお話が印象的でした。「砂糖と梅干を加える」という飲み方は初耳なので、自宅でぜひ試してみたいと思います。

社長さんの穏やかなお人柄のお蔭で、落ち着いてお話を伺うことができました。この場を借りて御礼申し上げます。

■出雲平野を歩く

自分が旅をする時に、大切にしていることが一つあります。
それは、どこかで必ず「観光地ではない日常の風景のなかを、時間をかけて歩く」ことです。

この日は、「正調粕取焼酎を育んだ出雲平野の風景を体感したい」ということで、一畑電車の川跡駅からJR出雲市駅を目指して歩き始めます。

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前方に見えてきたのは、出雲平野のど真ん中を流れる「斐伊川」です。その高い堤防に上ると、実は天井川であることが分かります。

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大昔の斐伊川は洪水を繰り返し、上流から大量の土砂が下流に押し流され、海が埋め立てられて出雲平野ができあがりました。(天井川もその名残です。)
出雲の「ヤマタノオロチ」伝説は、このような「暴れ川」であった斐伊川を異形の大蛇に例え、治水事業の成功をオロチ退治になぞらえたという説があります(他にも諸説あり)。

その一方で、斐伊川の作用で形成された肥沃な平野は、米をはじめとする農業生産の場となりました。
出雲で早くから文明が発達し、強大な王権が出現した背景には、間違いなく「斐伊川の恵み」があったと考えらえます。
そして、出雲の銘酒と正調粕取焼酎も、間違いなくこの恵みを受けて育まれてきたのでしょう。

ここからは、のどかな農村風景が続きます。
赤茶色の屋根瓦(石州瓦)、緑の草木、青い空のコントラストが最高です。

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良い気分で歩いているうちに、市街地に差し掛かります。

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結局、約8kmの距離を、2時間かけてゆったり歩きました。

旅先の日常の風景は、「美味しい」とか「楽しいとか」そういう即効性のある快楽を与えてくれる訳ではありませんが、その地域への興味を深め、好きにさせる静かなパワーを秘めていると思います。

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出雲平野の酒と風景を満喫した調査隊(ソロ)は、一両編成の気動車に乗り込み、出雲地方の山間部へと分け入ります。

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第3回へと続きます。

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