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俺はここで負けていいのだろうかという葛藤をしているうちに不登校になりました。

中学2年生の夏あたりから明らかに体調が長期的に優れなくて、それでも学校には行けるし野球には行ける。

ただ、練習がきついから体調も少し崩してるけど、他の部員も同じだと思うし僕はキャプテンだしここで負けるわけにはいかない。

きつい練習で頭がクラクラしてきてもここが耐えるとき、この努力で僕はチームは強くなれる、それを疑ったことはなかった。

キャプテンという立場上、休むのが怖かったのもある。


無理せず休めのタイミングも正直分からなかった。
僕の中ではそのタイミングはまだきていないと思ってた。

表面上はなんともないけど、内側が徐々に壊れてた。
僕もそれに気が付けなかった。

そうして葛藤しているうちに起立性調節障害の症状が大きくでることとなった、部活でクラクラして車で親に迎えに来てもらった。

次の日学校に行ったものの2時間目くらいですごく調子が悪いことに気が付いて運ばれるように保健室へ、その後3日ほど学校を休んだ。

久々に学校に行ったもののまたもや保健室に運ばれた。
それ以降は学校にほぼ行けなくなった。


どうすれば気が付けたのか、これは本当に難しくて最初から起立性調節障害というものを知っていたらワンチャンスあったかな程度だと個人的には感じている。

中学生になったあたりからお風呂に長時間入れなくなったり、少し予兆はあったのでその変化に敏感であればよかったのかなぁなんて思うが、中学生のうちにこれを経験して健康とか体調への感じ方を学ぶことができてよかったと思う。

何はともあれ、今笑えているのが全て。


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