水原氏の騒動で私が思うこと
米国メジャーリーグの球団ドジャースの大谷選手の専属通訳である(だった)水原一平氏が、球団から解雇されたというニュースが駆け巡りました。このニュースに多くの人は驚いたのではないでしょうか。
私自身も驚きました。今でも水原氏や大谷選手を取り巻くニュースが後を絶たない状況ですが、私は同時に現職の翻訳者として、そして昔通訳を目指していた一個人として、このニュースに違う意味で胸がざわついたのも事実です。
私は今でこそ中日の翻訳者として携わっていますが、今の仕事に就く前は日中・中日の同時通訳者になろうと本気でトレーニングしていた時期がありました。そこで教えられたのは「通訳者は決して目立つな」「スピーカーより目立つ通訳者はへっぽこ」というものでした。
これはやはり今でも真理だと思っています。通訳者は一方が話したことを違和感なく別の言語に翻訳してもう一方に伝えることが仕事。これ以上でも以下でもありません。「目立つ」ということは通訳者がうまく仕事をしていないという証左でもあるからです。
これは会議の同時通訳者としての心得であります。一方である人物の専属通訳ならば少し毛色が変わるでしょう。
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私は現職になる前、広東省の日系工場で工場職員として勤務していました。その工場の敷地内には工員住み込みの寮の他に、日本企業の取引先の職員が常駐する居住スペースもありました。
その取引先の職員には現地出身(つまり中国出身者)の日本語の専属通訳が付き、日本人職員は彼と一緒に工場内を見て回り、業務の管理をしていたり、工員に指示を出していたりしていました。
しかしその専属通訳の仕事はそれだけではありませんでした。日本人の彼らが夜な夜な街に繰り出し、KTV小姐を物色するときにも同行を余儀なくされていたのです。
日本人駐在員の彼らからすれば、「通訳は空気みたいなものだから」という感覚でその現地人の専属通訳を連れまわしていたのかもしれません。ただ、その当時既に翻訳通訳を目指そうと思っていた私は、専属通訳の彼を目にして苦々しく思ったものです。
そんなある日、彼に私は聞いたことがありました。「通訳なら工場内の業務のことだけやったらいいじゃん。なんで彼らに付き合ってKTVなんて行くのさ」。
そうするといつも笑顔の彼は、笑顔とも困惑ともとれるような表情で、「それが私の仕事だから」と答えたのです。
私はそれ以上彼に深入りして聞くことはできませんでした。でも当時彼には新婚ほやほやで妻がいました。私自身彼女(今の妻です)がいる状況で、当時「自分に通訳がつとまるかな」と思ってしまったことも事実です。
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会議通訳ならば、「会議の時間だけ」黒子に徹すればそれでOKです。
しかし専属の通訳の場合は24時間365日、彼らの黒子に徹しなければならないわけで、その苦労は計り知れないものがあります。
ひるがえってあの水原氏の違法賭博の件は、事実であれば弁解のしようがありません。
しかし彼は大谷選手の通訳のみならず、公私ともに大谷選手のサポートに徹していたと聞きます。
大谷選手の黒子に徹する中で、だんだんと自分を見失ってしまい、さらにはメディアに面白おかしく取り上げられる中で、虚構の「水原一平」像がつくり上げられ、そのギャップに苦悩してしまったのかなとうがった見方をしてしまいました。
自分はギャンブルはほとんどやらないので、ギャンブル依存症については全部理解できるわけではありません。しかし彼がギャンブル依存症になってしまった経緯について考えるならば、例え彼が自分から通訳になることを志願していたとしても、その後「専属通訳」(悪く言えば大谷選手のバーター)という自分の立ち位置に悩みとストレスを抱えていたとするならば、少し同情はしてしまいます。
同時に私は、これからの翻訳者・通訳者はどのような立ち位置であるべきなんだろうと思いもめぐらせてしまいました。
空気のようなものだから軽んじられてもいいという翻訳者・通訳者など一人もいません。でも、実際世間においては翻訳者・通訳者に対する意識というのは驚くほど軽いといわざるを得ません。それは「黒子に徹するべき」という、翻訳者・通訳者の職務上の性格に起因するところがあります。水原氏の立ち位置、そして今回の事件は、そんな翻訳者・通訳者に一石を投じるものになったのではとないでしょうか。
水原氏は今回の事件で罪を償ってほしいなとは思いますが、それとは別に、「もう少し翻訳者・通訳者が報われる社会になってほしいな」とも思ってしまった私でした。
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