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うたのシーソー 11通目

マイさんへ

こんにちは。
二日前は最高気温が13度と寒かったのに、今日は20度まで上がるらしく、12時になった今、部屋にある窓をすべて開けています。日が差してきて、膝の上にのっていた犬が、少し離れたクッションの上へ移動して、眠りはじめました。

土曜日でも続いている工事の音も、今はお昼休みで静まっています。
あたたかいだけで、縮こまっていた背中や首が緩む感じがしますね。

昨日、約十年ぶりにインフルエンザの予防接種を受けてきました。

「はじめてではないんですね、ってかなり昔じゃないですか」
と、おじいさん先生が問診とお話をされているうちに、看護婦さんがはいはいはいと消毒をして、あっという間に終わりました。こんなに短かったっけ、と思うくらい。
ちょっとだけくらくらしそうになって、でもそれを自覚するころには終わっていました。

それなのに今朝は左腕の違和感と痛みで目が覚めて、昨日と今日のズレを感じています。
階段を降り終えたと思ったら、まだ段差があった、そんな感じです。

痛みの場所も、予防接種をされた左上腕のあたりとあいまいなのでした。さわったら、固くて痛みもつよくなるので、だいたいの場所を確かめることができるけれど。


だんごむしの形を知らぬだんごむし背骨のどこか軋む寝返り


だんごむしの世界には、鏡といった自身を映して姿を確認できるものはおそらくなくて、だんごむしはだんごむしの形を知りません。わたしが腕の痛みをさわって確かめたみたいに、さわって形をたしかめることもできなさそう。
だんごむしと2回繰り返されることで、読んでいて、だんごむしの形、輪郭がはっきり濃くなっていきます。

「背骨のどこか軋む寝返り」は、そう思っているこの歌の私自身のことだと思って読んでいます。

けれど、上の句でだんごむしの形が濃くなって現れてくることで、私と一緒にだんごむしも軋んでいるような、私とだんごむしが連動するように寝返り(に見える動作)をしているような、違和感と一体感を同時に抱きました。

自分の身体なんだけれど自分の身体でない気がする感覚が、だんごむしとなって迫ってきて、この短歌のことを思っているうちに、腕の痛みから遠くにやってくる感じがしてきます。


読みはじめて、幾度か読んでいるうちに、読む前とは違う地点にいる。
早かれ遅かれ物事は何かしら変化していくものだけれど、1首のなかでそれがあると、どこかに運ばれたようで、たのしくなります。


スキップでふたり裸足で水たまりじゃぶじゃぶ越えて行ってどうする


出だしから、たのしそう。
「スキップで」と、スキップで何かに向かっていて、それは何かと言うと水たまりで、なんとふたりで裸足で越えて行くんですよね。

アスファルトなのか土なのかはわからないけれど、どちらであっても、スキップだから足の裏にしっかり地面の感触が伝わって、水たまりの水の抵抗も感じながら、じゃぶじゃぶ進んでいく。
じゃぶじゃぶ、だから深めで大きめの水たまりなんだろうなあ。

と、読んでいて一緒にたのしくなったところで、「どうする」と切断されます。
じゃぶじゃぶ、パシッ。地面は続いているんだけれど、気持ちは崖。

でも、崖と知っているほど、スキップで二人で裸足でみずたまりじゃぶじゃぶ、はたのしい。たのしいんじゃないか、と読んでいて思いました。

「どうする」は、このふたりに、スキップをする前からあるように感じていて。だからこそスキップかつ裸足で水たまりの横断ができるのでしょう。
でもその前に在った、書かれていない「どうする」と水たまりの後の「どうする」は、その間の動作によって、質感が変わっているように思うのです。
無自覚から自覚にのぼった瞬間、かもしれない。そんなにぱきっと言えるものではないけれど。


夜からの使者にあなたの片足を渡して私、汽車に乗ります


前のお手紙でも引きましたが、この短歌も、何かを自覚したときの歌のように思っています。

具体的に私とあなたに何があったのか、「夜からの使者」は何者なのか、は分からないけれど、あなたの身体の一部である片足を夜からの使者に渡して、私は汽車に乗る。

汽車に乗るためには、車両へと片足を踏み出すことが必要で、だからあなたは私と一緒に乗ってはいかないのでしょう。
夜からの使者という言葉から、使者は空へ行き、汽車は地上を走るイメージも浮かびます。
同じところにはいられないのでしょうか、その場面を、謎のある夜からの使者と、あなたの片足という惹きつけられる言葉と、汽車で決意を語っているところも、好きな短歌です。


どうやら、まとまりがつかなくなってきました。
8月に読んだマイさんの短歌を、秋の今読んでいたら、思い浮かべた「むらさき」の色が変わっていたので、手紙のおわりに書きたいと思います。

満月が落ちていく朝ゆりかごの空にひろがるむらさきの染み


手紙が届いた次の満月の朝は、どんなむらさきでしょうか。

同じが続くことはなくて、それが希望のようにも感じます。
すこしでも健やかに過ごせますように。

トモヨ

※引用した短歌の作者:中森舞

note:椛沢知世

中森舞 第1歌集『Eclectic』発売中


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