日本で差別を受けました
マルハバン!シーナです。
とても久しぶりにnoteを執筆しています。
ヨルダン人夫のオリーブさんと日本に移住して、早2年以上が経過しました。
移住してからというもの、目まぐるしい日が続きnoteにヨルダン生活の思い出など、書きたかったことを書く時間が取れなかったですが、今日はちょっとどうしても書きたいことがあるのでキーボードをカタカタと打っています。
さて、この2年で楽しいことも嬉しいこともたくさんありました!「日本に来てよかった」って思えることがある一方、辛いことも多くて、「日本に帰国する選択をしなければよかった」なんて無意味な思考が頭の中でぐるぐる回ることがたくさんあります。
そう思う原因の一つが、自分の母国である日本で目の当たりにする差別です。
自分の大切な夫が差別されるのを見聞きすることが、悲しいなって。
日本での差別経験
わたしは日本に帰国後、地元に戻ったのですが、今日は久しぶりに他県にお出かけをしました。
田舎だから地元にケバブ屋以外のハラールのレストランがないので、ハラールの食べ歩きをしに行きました。
ヨルダンに住んでいたときはもちろんすべてがハラールだから、本当に食べるものに困らなかった。
日本だと食べ物を探すことに時間がかかって、外ではなにも食べられず、家に帰ってから急いで料理することが多くて、そんなときは「どこでもドアでヨルダンにごはん食べに行きたい!」なんて思います。
だから、都会に遊びに行ってハラール食日帰り旅行を決行したのです。
安心して好きなものを、愛する家族と一緒におなかいっぱい食べられるのは、本当に幸せですね♡
でも、あるハラールレストランに行きたくてとある駅の近くを歩いていたとき、悲しいことが起きました。
夫・オリーブさんが50代以上と思われる男性に、突然「Go home」と言われました。
オリーブさんが「なに?」ってわざと日本語で聞き返したら、その男性は逃げるようにその場を立ち去りました。
言い方が悪いけど、わたしは差別的なことを口にする人は、「私は野蛮なんです。」って自己紹介してると思うから普段は気にしないんです。夫も理由は違うけど、差別を全然気にしない人。
でも、なにが腹立たしいって、夫が2歳になる子どもを抱っこしていて、わたしたちの大切な子どもにまでその差別の言葉が届いてしまったこと。
わたしはGoogleマップを使って方向を確認していてオリーブさんより前を歩いていてそばにいてあげていなかったから、外国人が子どもを連れて一人で歩いてると思って意地悪してやろうって思ったんだろうなあ。
すごく憤りを感じたから、iPhoneを握りしめてその男性の後をつけ、彼を呼び止めて警察を呼ぶ寸前までいきました。
でも、オリーブさんに止められました。
「子どもがいるし、シーナは今妊娠してるんだから、こんな傲慢な人のためにふたりにストレスを与えたくない。あの人が傲慢なのは彼の問題だから僕たちには関係ないし、アッラーも傲慢な人からは立ち去りなさいって言ってるから、もういいんだ」って。
わたしは、「差別という行動がどう自分の身に返ってくるのか分からさせなきゃいけない!」って言い返したのですが、本人が望まないことを押し通すことができなくて、アッラーの教えをオリーブさんから教えてもらったらそれ以上は踏み込めなくて、今回はその場を立ち去る決断をしました。
それでも、やっぱり悔しくて。
だって、わたしがオリーブさんと子どものそばにいたら、そのおじさんは絶対にあんなこと言えなかったと思うから。
ふたりを守れなかったことが本当に悔しくて。情けなくて。
だから、警察を見つけた瞬間に質問をしました。
「さっき、こういうおじさんに人種差別的な言葉を投げられたのですが、そのときの正しい対処法を教えてください」って。
警察の方に言われたのは以下のことです。
調べてみると、日本にいる外国人の方は差別を受けるのは、専ら年上の男性からのことが多いみたいです。
わたしもこれは正しい意見だと思っていて。
というのも、オリーブさんが日本で差別を受けたのは今回が初めてじゃないからです。
アルハムドゥリッラー、オリーブさんは今サッカーチームに入っていて大好きなサッカーをプレーしています。
でも、今のチームに入る前に練習に参加したチームで差別を受けました。
その日、チーム加入前の仮練習に参加した人は、オリーブさんを含めて数人いました。
外国人はオリーブさんだけでした。
オリーブさんだけユニフォームをなにも貸してもらえなくて、チームの方とコミュニケーションを取ろうとしてもみんな薄ら笑いして自分を避けてる感じがしたと。
そして、練習試合も3分だけ入ってボールも触らせてもらえないまま、「君は下手で我々のチームのレベルでは到底ないから帰って」って言われたと、オリーブさん電話がかかって来ました。
わたしはどちらかといえば言うタイプの人間なので、監督に電話を渡すように言って、どういうことなのか説明してくださいと言いました。
正直、辻褄の合わないことも言われましたが、こんな人がいるところでサッカーをしても楽しくないだろうから、「もう結構です」と電話を切りました。
細かいことを言えば、日本で納得いかないことたーくさんあるんですよ。
たとえば、法律のせいだからお店の方はぜーんぜんまったくもって悪くないし、むしろ善意で物事をスムーズに済ませてあげたいと思って教えてくれたからありがたいです。
でも、不動産屋さんや車屋さんで「外国人の旦那さんより日本人の奥さんの方が手続きスムーズですよ」って教えてもらって、車を夫の財産にしてあげたかったなって思ったり。
もちろん、ご近所さんや馴染みのお店の人、もちろんわたしの家族もオリーブさんと子どもにすごくフレンドリーに接してくれるし、普段は街中でも子どもに「かわいいね!」って言ってくれたり、本当に普通に接してくれる人ばっかりだから、差別する人なんて本当にレアケースのできことなんだけれど。
こういう嫌なことが積み重なって、日本に帰国したのが正しかったのか分からなくなってしまう日もあるのです。
かといって、じゃあヨルダンでまったく差別がなかったのか?って言われると、そんなことはもちろんなくて。
アッラーの下ではみな平等であるはずのこの地球で、本当に残念ながら差別のないところなんてありません。
ヨルダンでの差別経験
ヨルダンには、パレスチナ系の方が非常に多く住んでいます。オリーブさんもパレスチナ系ヨルダン人です。
ヨルダン国内でも、今はどうか分かりませんがオリーブさんの学生時代は学校などでパレスチナ系に対する差別があったと言っていました。
わたし自身の経験では、オリーブさんの叔父さんに「日本人の真似できるよ!」と言われて、吊り目ポーズをされたことがあります。
(教養のない人なんだなと思って無視しましたが。今思えば、なにか言えばよかったとちょっと後悔…)
これは差別というよりは偏見による出来事ですが、街中で「ニーハオマ!」って若い男性2人に叫ばれたこともありました。
そのときは、オリーブさんとその叔父オリーブさんと「俺の妻になにを言った!」「俺の甥の妻になにをしてくれたんだ!」って鬼の形相で怒ってくれました。
(当のわたしは、なんか叫んでるなとは思ったけど自分のことだとはまったく思ってなくて。)
まあでも、本当にそれくらいしかわたしは経験してなくて。むしろ、それ以外はいろんな人から良くしてもらったり普通に接してもらった記憶しかないです。
だから、差別をする人は本当に一握り。
気にしないことが一番いいけれど、今日の出来事は、なにをするのが正解だったのかなってオリーブさんと長らく話し合いをしました。
我々オリーブ夫妻は、わたしのやりたかった警察を呼ぶことも、オリーブさんの行動も正しかった。
そして、子どもを守るためなら躊躇わずに警察を呼ぶし、子どもに身を守る術を教える必要があると結論付けました。
また、オリーブさんはこんなことも言っていました。
「年配の男性に差別をする人が多いということは、もしかしたらアメリカが戦争のときに日本にしたことが許せないっていう思いから外国人ヘイトな思考になったのかもしれないね。
でも、彼らは世界にはアメリカだけじゃなく、いろんな国の人がいることを知らないといけないし、アメリカ人が悪いわけじゃないと知る必要がある。アメリカにはいい人がたくさんいる。
悪いのはいつだって政府だから、人と政府を分けて考えれるようになるといいよね。
それだったら、今日のあの人とも『僕もアメリカ政府が嫌いだよ』って政治の話で盛り上がって、むしろ友達になれたかもしれない。」
この考え方は、すごく大切で正しいと思います。
こうやって考えれる人が一人でも増えれば、差別をなくすことができるような気がします。
国際結婚をすると、予想もしていないようなことに遭遇することが多々あります。だけど、やっぱりわたしはオリーブさんが好きだし、このオリーブ家が大好きで、本当に守りたい、わたしの大切な居場所です。アルハムドゥリッラー。
なんだか、noteに気持ちを書いてたらまた心が明るくなれた!
これからもオリーブ家みんなで手を繋ぎ、明るい未来を歩んでいけるようにがんばっていきたい。毎日を楽しみたい!
今日は嫌なこともあったけど楽しかったし、明日もまたいい日になる!インシャアッラー。
P.S.
今年ももうすぐでラマダンが始まりますよー!
以上、シーナでした。
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