『カランコエの花』
『カランコエの花』
昨晩、『カランコエの花』という映画を見ました。
若干ネタバレを含んでしまう可能性があるので、
嫌な方はご注意ください。
邦画はあんまり見ないから面白さがわかるかどうか。
そんな不安のもありながら鑑賞してみました。
でも見終わってみたら、かなり面白かったです。
短編だったけど、かなり内容がまとまっていた印象でした。
最後に少し時間が戻るという構成もめちゃ良かったです。
内容としては、ある高校で自習の時間にLGBTに関した
講義が始まって、それによってクラスの中に同性愛者がいるのではないかという噂が広まってしまい–––という話でした。
【映画の感想】
はじめの学生のシーンではなんとなく、
学生の時の喋りかたとかこんな感じだったけと違和感を感じました。
でも、だんだんみてるうちに、意外とこんな感じで会話してたんじゃないかと思い始めました。むしろ僕が高校時代から離れていたから感じた違和感だったのかもしれません。
ありふれた日常の中で、少しだけ起こる違和感。
そんな違和感が田舎町にある高校の教室を包み込んでしまう。
10代の頃って、自分の素直な気持ちにすぐ気づけるからこそ
いろんな感情が交錯するんだなと思います。
そんな10代の時が羨ましくもあり、切なくもなる。
⚪︎三つの視点
この映画の面白いところは、
3つくらい世代別の視点が混ざっているところだと思います。
一つは多感な10代の高校生の視点。大人に差し掛かっているけど、
まだ未熟なところ、これから成長するところがたくさんあるそんな思春期の
子供達の視点。
もう一つがそれより、少し上の20〜30代の視点。
これは保健室の先生がそれにあたると思います。
大人になって配慮を覚えて自分でも、責任を持ち始めたという存在。
でも、なんとなく心は10代の子供達に近くて、ある程度共感もできるし
できれば守ってあげたいと思っている教師の立場からの視点。
そして、主人公のお母さん世代の40代以降の視点。
会話の中でも少し出てきますが、LGBTという言葉は知っていても
存在自体身近にあった経験があまりないから、知らないものには触れないというスタンスをとっている。
主に10代の視点で描かれているけど、でも、時折その他の視点も混ざってくるというのが面白さというか、構成の上手さなのかなと思いました。
⚪︎素直だからこそ、反対にいってしまう10代の感情
この映画のすごいと思ったことは、
思春期だった頃、大人になったら絶対しないだろうなと思う行動をあえて、
敢えてしてしまうあの感じを見事に表現していることだと思います。(抽象的でごめんなさい)
登場人物の小牧桜や、新木裕也とかあとは主人公の一ノ瀬月乃もその友達の保健室で同性愛の当事者について知った友達もそう。
自分の感情に沿って行動していてるけど、結局素直な気持ちによってむしろ自分が傷ついたり、人を傷つけている。
そんな感情と行動の描写が妙にリアルに感じました。
自分もそんなことあったなぁと。
大人になると分別をわきまえて理性を持って生きないといけない局面が増えていくから、そんな行動のバグみたいなのが起こりにくくなってくる。
というのは、むしろ自分の気持ちに素直に行動するのが怖くなるから、「一般的」から外れた行動をだんだんしなくなると言えば良いのか。
だからこそ、羨ましくもあり危なっかしくもあるんだと思います。
そもそも「一般的」ってなんなんだよって今また考えてるし。
自分の感情に素直になって生きるってどれだけ尊いことなのかと思います。
それをずっとすることって歳をとるほど、難しくなります。
でも、本当は僕もずっと自分に素直に行動してたいです。
別にバグってたって、良い。
多分、今の時代はポリコレが強すぎて、なんでも批判の対象になりうるけど
当事者意識を持ってどれだけ他人のバグを理解できるか方が大事だと僕は思います。
カランコエの花言葉
大学時代、花屋でバイトしていたこともあってカランコエはあんまり好きじゃありませんでした。なんとなく中途半端な気がしてたんです。
多肉なのか、花なのかよくわからんと思って。しかも、痛みやすいし、傷めばすごい見栄えが良くなくなる。
でも、挿入画像のためにカランコエの画像を探していたら
意外と綺麗だなと思えました。全然育てたいとは思わないけど、でも、中途半端だと決めつけているのは僕自身で、カランコエも適切な環境で愛情持って育てれば綺麗に咲くんだなって感じ。
そしてカランコエの花言葉は、「あなたを守る」らしいです。
物語の序盤からカランコエに似たシュシュを主人公がつけていたため、
物語の中でずっとその存在を意識させられます。
桜を守ろうとして、応援しようとした先生の動きが、
かえって桜を追い詰めてしまう。
そして、主人公の月乃も桜を守ろうとして、
桜を変に庇ってしまう。だけど、本来の気持ちを否定された桜はそれによって傷ついてしまうのです。
カランコエの花言葉を胸に行動したのに、結局傷つけていたとわかって涙する。本当に守るとは、人の気持ちに寄り添うとはなんなのか主人公たちはしれたんじゃないかと思いました。
保健室での桜と先生の会話
最後に先生と桜のシーンを持ってきたのが本当に良い構成だと思いました。誰かを好きな気持ちを先生に一生懸命伝えるシーンで少し涙が出ました。そうだよな、10代の「好き」って感情って特にピュアなものだったよなと改めて思わされたました。
人間に対するものだけじゃなくて音楽とか趣味とかスポーツとか、
自分が打ち込んでるもの全て含めて。なんて純粋で尊い感情。確かに好きなものがあった時は、今と違って本当に純粋にそれを好きと思てた気がしました。
だから、桜がその感情を先生に話しているシーンで、
とても心が動かされました。その語りかたが本当に好きなものに対するものだと思えたから。自分も同じ想いを持ってたよなぁ。
好きの対象なんてなんでも良いはずなのになぜか一般から外れてると捉えられてしまったら、その感情を隠さなきゃいけなくなる。そんなの不公平ですよね。
だから、最後のシーンは悲しい気持ちになったのかな。
同性愛の友達が自分にも何人か去年できました。
去年初めて人生で経験した出来事で
最初正直少し動揺したし、多分変なフォローもした。
別に、でも自分の友達が同性愛って知って、
何にも変わることなんかなかったです。その感情を向けられたら、
どう思えば良いのかはすぐに答えは見つけられないけど。
何か好きって気持ちを話されたりしたら、守るとかフォローとかじゃなくてそうだよねって、まるで自分も好きなバンドを語るみたいに一緒に話すだけで、その人の側にいられるのにな。
今の自分に人の気持ちを些細に捉えられる自信はあんまりないけど、
でもその人が感じてる感情をどれだけ自分ごとに置き換えられるかなんだと思うんですよね。それが誰かの気持ちをわかるっていうことだと僕は思います。
10代の時に取りこぼしてしまったことはこれからできるだけ拾っていきたいし、誰かが誰かを•何かを好きって気持ちを守れるような人でいたいなと思いました。
40分でもとっても満足できる話でした。
少しまとまりがない文章になってしまいました。
ぜひこの映画見てみてください。
僕はこの作品にでてくる笠松将さんの作品の『リング・ワンダリング』を次の休みに見てみようと思います。
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