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アマプラ映画感想メモ#1『コララインとボタンの魔女』

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これから一年間、色々な映像作品が見放題らしい。

このnoteでは、映画を観ながら取ったノートや感想を備忘録代わりに発信していこうと思う。
致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。

記念すべき第一回に観た映画はこちら。

『コララインとボタンの魔女』


〇観ようと思ったきっかけ

『チェンソーマン』第6巻の作者コメントに「コララインとボタンの魔女大好き!」と書いてあったため。

〇概要

原作は2002年出版、英国人作家ニール・ゲイマンによる同名小説。
ヒューゴー賞も受賞したこの作品を2009年、『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のヘンリー・セリック監督が映像化した。
ゴールデングローブ賞のアニメ映画部門にもノミネートされたらしい(映画界のことはよく知らないけど、たぶんスゴイ)

〇あらすじ

山間に佇むアパート『ピンクパレス』に引っ越してきた少女コララインは元気いっぱい。不思議や冒険、新しい発見を求めている。

しかし、仕事で忙しい両親は彼女に構ってくれない。
新しくできた友達も、変わり者のストーカー少年(?)ワイビーだけ。
新生活にワクワクしたのも束の間、コララインは不完全燃焼気味だった。

そんなある時、コララインはアパートの中に封印された扉を見つける。
子供一人がやっと通れそうな小さな扉。
その先には……

〇ノート

観終わって思ったのは「観客の感情コントロールが上手すぎね?」ということ。
特に、『不安』という感情。
この映画は、良い意味でずっと不安に満ちている。
冒頭のシーンから「何をしているんだろう?」「何者だ?」と『謎』が頭の中に刻みつけられ、どこか呪術的な光景に不安を感じさせられる。
それ以降も、
・古井戸を探して歩くコララインを黒猫の視点を通して意味ありげに描く。
・初めて会った隣人に不吉な占いを言い渡される
・コララインにそっくりな古い人形
・一見意味不明なアパートの風習
・隣人への偏見や勘違い
・過去にあった事件
などなど、「超常現象の予兆」と「慣れない土地へ越して来たことへの不安」という2レイヤーの不安要素が並行して積み重ねられていき、とにかく心が休まる時が無い。
ただ、不安は不安に過ぎず、そうやって積み重ねられた不安の内いくつかは不発で終わったりもする。
そんなところも『不安』という感情の性質を上手く描いているように思う。

そして、この映画は人を不安にさせるだけではない。
不安や不満をしっかり描いたからこそ、それらを振り切った後の冒険が爽快かつスリルに満ちている。
詳しくは書かないが、観終わった後のスッキリ感が凄まじい。
振り返ってみると、昔よくあった「少年少女の一夏限りの大冒険!」的な子供向け映画をド王道に貫いていたように思う。
そういうところも含めて、上手く感情をコントロールされてしまったなぁという気持ちだ。

〇感想

とにかく面白い映画だったという意味でも『コララインとボタンの魔女』を観てよかったと思う。ただ、それと同じぐらい、創作のお手本にしたい部分がたくさん見つかったのも収穫だった。

この前ボツを喰らった際、編集さんに「節兌さんの小説には読者をひきつけるような『謎』がありません」という旨の指摘をいただいた。
それ以来、頭で欠落を理解しつつも目指すべき理想形をなかなか掴めずにいたのだが、『コララインとボタンの魔女』はかなり理想の在り方に近い気がした。
せっかく見放題なのだから、止めたり巻き戻したりしながら観なおして、名作のテクニックをより吸収し、自分の作品製作にも活かせたらなと思う。

と、こんな感じでなるべく気楽に映画を観ていくつもりなので、お付き合いいただけたら幸いだ。

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