見出し画像

アマプラ映画感想メモ#47『ヘレディタリー 継承』

ホラー映画は観るのを決断する時点でゴリゴリ意志力を消費する……ということを実感した毎日映画47日目。

致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。


今回観た映画はこちら。

『ヘレディタリー 継承』

〇観ようと思ったきっかけ

『チェンソーマン』第三巻の表紙裏に「ヘレディタリー大好き!」と書いてあったため&同アリ・アスター監督の『ミッドサマー』を観たことがあったため。

〇概要

2018年のアメリカ映画。
監督はアリ・アスター。

〇あらすじ

老母エレンの葬儀を終えた娘のアニーは、夫と子供たち二人と暮らす家にてエレンの遺品整理を進めていた。すると、スピリチュアリズムに関する書籍の中から、自身に向けたエレンの書置きを発見して……

〇ノート

あまりに色んな種類の要素が複雑に組み合わされていて、もう心が滅茶苦茶になってしまった。
現実に根差した恐怖。
現実が崩れる恐怖。
現実と夢とがない交ぜになった恐怖。
夢が現実となってしまう恐怖。
現実を喪失した恐怖……などなど。
作中の出来事を恐怖度(k)と現実度(g)のグラフにプロットしていったら、たぶん平面をくまなく網羅するような図形になる気がする。
また、そのグラフが示すような、重心の分からなさがとにかく怖かった。
サスペンスと言っていいのだろうか。これがどういう話なのか、あらゆる違和感や予兆、疑念、イメージが意地悪な形で並べられてあって、作中のイヤーな感じとはまた別に、頭をフル回転させられるパズル的な魅力もあった。
観終わった後でもなんとまとめていいか分からない、というか、まとめられないように計算して作られた作品だと感じた。

〇感想

一部のホラー映画は、観ている時は物凄く怖くて嫌なのに、終わってみると何もかもどうでもよくなってむしろスッキリしていることが多い気がする。
『ヘレディタリー』は特にその傾向が強かった。
現実に根差した恐怖に始まりうわぁ……って感じから出発して、どんどんkもgもぶっ飛んでいて、最後には『怖い』という感情を突き抜けてどこかに行ってしまう。そんな感じ。
『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』という本で「ホラーには癒しの効果がある」みたいな話があったけれど、このスッキリ感も、その一例なのかもしれない。
ホラー映画、他のジャンルと同じかそれ以上に計算ずくで作られている感じがして段々好きになってきた。怖いけど。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?