#KENMAYA です。

本日は聖書の中に登場する『ソドムとゴモラ』についてお話したいと思います。内容は知らなくとも、名前だけは聞いたことはあるという方も多いのではないかな、と思います。

『ソドムとゴモラ』とは聖書に登場する都市名です。天からの怒りを買い硫黄と火によって滅ぼされたとされ、後代の預言者たちが言及している部分では、例外なくヤハウェ(神)の裁きによる滅びの象徴として描かれています。『ソドム』も『ゴモラ』も性の乱れにより、天罰が下ったとされ、悪徳や頽廃(たいはい)の代名詞として比喩的に用いられることがあります。

1962年のロバート・アルドリッチ監督による映画『ソドムとゴモラ』やジョン・マーティンによる絵画『ソドムとゴモラ』、日本ではウルトラマンシリーズに『ゴモラ』という古代怪獣が登場したりしています。(※あんまり関係ないかもしれませんが…)


さて、なぜ『ソドムとゴモラ』について取り上げたか、それは単語がふと頭に思い浮かんだからに過ぎないのですが、よくよく考えてみると何だか今の世界にちょっと似ているなーと感じるところがあり、書いてみようと思い至ったわけです。

そもそも、聖書の中では次の通りに書かれています。

「お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。 彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。 」
            ──────── 『エゼキエル書』16章49-50節

そう、高慢で傲慢な富める者たちが弱者を虐げる、見て見ぬ振りをするそんな社会構造を現代がまさに体現化していると思えませんか。

資本主義社会の中で生きるわたしたちにとって、格差は必然です。しかし、幸福であることは人間として生きていく上で欠けてはならない、欠かしてはならない最重要項目です。格差によって生まれる怨嗟や嫉妬が本来感じられるはずの幸福を覆い隠し、猜疑心と欺瞞に満ち溢れた世界に変貌させてしまっているように見えます。

ごく一部の富裕層が富と幸福を独占することで、社会の分断はより深く、そして取り返しのつかないところにまできてしまっています。依然として中東には戦火がくすぶり続け、米中間の対立はより鮮明に、発展途上国はもちろん、先進国ですらも政情不安、経済的問題を抱えています。


平和な世界は幻想に過ぎませんし、心の安寧や健康長寿を神に祈っても願いを叶えてくれはしません。ここ最近、徐々にですが、SNSから離れていく人が増えているように感じます。原因は『SNS疲れ』ではなく、SNSですら人と交流をしたくないレベルに人心が離れていってしまっているように感じるのです。

わたし自身、Twitterのタイムラインは正直見るのがしんどくなっています。自身を鼓舞するためのツイート、見た人を勇気づけるツイート、純粋にSNSを楽しんでるツイート、そのどれもが欺瞞で虚飾で空虚なものにしか映らないのです。YouTubeでくだらない動画を見ていても、どこかお金の影がちらつき、素直に楽しめなくなってしまっています。


と、ここまで、書いてきて気付きました。これ、またうつの症状が出てきてますね。皆さん、これが誇大妄想、被害妄想の哀れな精神疾患の症状のひとつです。こうなる前にメンタルクリニックへ!


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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55.ゴルフクラブ リョーマ ドライバーバフ磨き(サムネ2)


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