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「若者はバカになった」と言いたいだけの記事を見て思う~「戦争は絶対悪か?」~

おはようございます。

#KENMAYA です。


上記は、日経Web版の記事であり、昨日ネット上で話題になり、各所で様々な意見が出されました。


1.大前提~「いいね」の意味


まず「いいね」という機能自体、容認として捉えている事自体が大いに誤りであり、わたしの場合タイムラインに表示されたツイートには、「一通り読んだ」という意味で「いいね」を使っています。

その中で、賛同できるものや、これはすごいと思ったものには「リツイート」、仲良くさせてもらってる人や大喜利には「リプライ」をしています。

つまりわたしの「いいね」の使い方は、読んだだけで、内容には賛成も否定もしていません。

それこそ「いいね」以外に反応の仕様がないので、「は?何言ってだこいつ・・・」って思う内容であっても「いいね」はします。
(※ 実際上記日経の記事にも「いいね」しました)

それこそ多様な使い方のあるSNSで単に「いいね」の数だけで投稿に賛同している人が多い!等と捉える方がかなり危ない思想です。


2.教授や記者と若者世代の温度差


上記記事の中でも違和感のある記述が、

「最近の学生は人への優しさや寛容を重視するあまり、権力者の不正や戦争などにも理解を示そうとするのでは」
「(安易に)白黒をつけるのではなく、考え続けることが大切。本音で議論できる場で、率直な意見を言い合う経験が必要だと伝えたい」

この2つです。

まず、前者について、

まず、権力者の不正や戦争に理解を示そうなどとする学生はこの世に存在しないでしょう。悪と断罪できる判断材料が少ないから、賛否を決められないのです。
戦争に限って言えば、戦争そのものが悪で愚かな行為だと理解はしているけれど、実際に今も世界中で起きていることは知っています。
そして身近に脅威が迫っていることも知っています。
それは政治的イデオロギーであったり、経済戦争であったり、宗教戦争であったり、理由は様々ですが、それを戦争しているから両方とも悪と断罪するのでしょうか。

他者への理解や寛容とは因果関係が全くなく、むしろ何が原因で引き起こされた戦争なのか、何のための戦争なのか、誰が得をする戦争なのか、考察する若者が増えただけのことです。
どっちが正義でどっちが悪者か、をステレオタイプで語るのは簡単ですが、その陰にあるものがインターネットの発達によって露見してきたのが、現在です。

次に、後者について、

「なぜこの記事に寄稿した…」と思える程、記事の内容を全否定する記述です。(分かっててやってるのでしょうか。)

SNSはテレビのような一方向通信ではなく、双方向通信です。
戦争賛美とも取れるような投稿に、「おい、それは違うんじゃないか」と言えるのがSNSです。それこそ、グレーゾーンの法解釈について議論を行っているのがSNSであり、率直な意見交換が行われている場でもあります。

白黒つけるのが難しいからこそ、SNSは発達してきたのであり、個々人の主義主張は大衆迎合なんかではなく、おかしいものにおかしい、と言えるのは匿名インターネットだからこそではないでしょうか。


3.戦争は絶対悪か?


日本はWW2敗戦以降、徹底した反戦教育を行ってきました。
わたし自身も戦争は、人類の最も愚かな行為だと思っています。

ですが、理不尽な暴力や国土を侵略、資産や安全が脅かされることを容認するわけにはいきません。突然、銃を向けられたら逃げますし、遮蔽物に身を隠します。反撃のできる武器があるなら、反撃します。

戦争を学べば学ぶほど、戦争自体の拒絶反応ではなく、「なぜ」戦争が起きてしまったのか、を知ることになります。ただ「戦争は絶対悪」として教育するのではなく、今は「戦争を避けるため」の教育が必要なのです。

戦争を論じること自体を「悪」としてしまったら、過去の戦争から学ぶこともできなくなり、再び同じ過ちを繰り返すことになります。
過去の戦争と向き合い、戦争史を時代背景と共にどちらかに偏向することなく、きちんと学ぶべきなのです。

「戦争を知らない世代」だからこそ、「戦争の悲惨さ」だけを伝えて「絶対悪」として論じることを封じるよりも、戦争はいかにして起きるか、今後どうすれば戦争を避けることができるのか、を考えなければならない過渡期に来ているのだとわたしは思います。


ここまで読んで頂きありがとうございました。

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