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トロッコ問題へのファイナルアンサー

こんにちは。今記事はちょうど100本目の投稿となるのですが、Twitterで記事案を募集したところ、好きなように書け、が得票多数でしたので、いつも通り淡々と書きます。

#意識低い系社長  です。

まずは下記の画像を見て頂きたい。

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これは一般的に「トロッコ問題」と呼ばれ、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題、つまり、ジレンマです。

1.「トロッコ問題」の概要

線路を走っていたトロッコが、何らかのトラブルを起こし制御不能になりました。このままでは前方で作業をしていた5人は猛スピードで迫るトロッコに轢き殺されてしまうでしょう。あなたはたまたま、目の前に線路の分岐器の近くにいました。分岐器を押せば、前方の5人は助かるでしょう。ですが、分岐した線路の先にも1人作業をしている人がいます。分岐器を押せば、その人は確実に轢かれて死ぬでしょう。
あなたは、分岐器を押しますか?押しませんか?という問題です。

2.正解のない答え

「トロッコ問題」には正解はありません。つまりどっちを選んでも不正解であり、どっちを選んでも正解という無理難題なんです。

功利主義者は「分岐器を押して1人を見捨て、5人を助ける」道を選ぶでしょう。義務論に従えば、「何もしない」、つまり誰かのために誰かを犠牲にすることはできない、という道を選ぶでしょう。

3.派生問題

では、功利主義者に問います。あなたが見殺しにしようとした、その1人はあなたの大切な人、恋人、家族、子供、だったらどうでしょう?

ほとんどの人がその逆を答えるでしょう。

つまり、どんなに社会的、倫理的に正しい選択をしようとしても、最後に優先されるのは利己主義なのです。愛する人を見殺しにしてでも、5人を助ける選択をする人は、恐らく、アメコミヒーローになれます。アイアンマンスーツを進呈します。

4.世界中に漂う利己主義

今、世界は利己主義に満ちあふれています。

誰もが「自分さえ良ければ」「自分たち家族だけ生き残れば」「自分が」「自分が」と誰もが「自分勝手」になってきています。
他人の不幸を願わずとも、自分が他人より優位に立ちたい、他人より優れていたい、他人より目立ちたい、と常に自己承認欲求で彷徨っています。

人間の心理で、「未知への恐怖」という話を以前「いじめ問題」を取り上げた際にお話しました。「未知への恐怖」は衝動的、かつ不理解が根源の人間の本能的な部分にあたります。新型コロナウイルスという目に見えない恐怖によって、今、人間は試されているのかもしれません。

「未知への恐怖」へと敢然と立ち向かって利己主義に凝り固まらず、他者への慈愛と敬意を持ち合わせた人が、旗振り役をすればきっと人類はいい方向へ向くはずです。

5.「トロッコ問題」へのわたしのファイナルアンサー

わたしは例え、どれだけ非難されようと、1人が自分の大切な人だったら、迷わず5人の他人を犠牲にします。そして、もし両方に自分の大切な人がいたら、例え結果的に意味はなくとも、わたし自らトロッコに飛び込み、トロッコの脱線を試みます。

利己主義でもあり、自己犠牲は厭わない、それがわたしのファイナルアンサーです。

皆さんのお答えもぜひお聞かせください。


ここまで読んで頂きありがとうございます。

よければコメントやフォロー宜しくお願いいたします。

追記)Note100本記念に今日は、ビールを飲みます。



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