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動的オーセンティシティという考え方:対話をアップグレードする①

新しい概念、動的オーセンティシティ。みなさんご存知ですか?
オーセンティシティは一貫性という意味です。通常、一貫性というと過去の言動との整合性という意味になりますが、動的オーセンティシティが意味するところは「未来への一貫性」です。

この記事では、「動的オーセンティシティ」という概念について、考えたいと思います。

<目次>
1.動的オーセンティシティの特徴
2.これを聞いてどんな感じを受けるか?
3.学び成長し前進する考え
4.同じことが様々なところで言われている
5.要はこういうことが本当らしい


1.動的オーセンティシティの特徴

動的オーセンティシティとは、以下の本で示されている新しい概念です。

通常考えられているオーセンティシティ、静的オーセンティシティ、との比較でとらえると下図のようになります。

比較で浮かび上がってくるポイントは、「過去と未来」「不変と可変」「完全と不完全」です。
それぞれ見ていきましょう。

まず「過去と未来」「不変と可変」です。
静的オーセンティシティにある「過去の自分と整合性を持つ」ということは揺るぎない自分であると同時に、硬直した自分でもあります。
一方、動的オーセンティシティの「未来に対して忠実である」ということの前提は「これから変わっていく」ということです。揺るぎない自分ではなく「変わりうる自分」を前提にしています。

次に「完全と不完全」です。
静的オーセンティシティでは自分を完全なものとして捉えています。だから変わる必要はありません。また、謝ることは自分が不完全だと認めることになりますので、謝ることもしません。
不完全は動的オーセンティシティの特徴です。不完全だからこそ学びます。不完全という前提に立っているからこそ自分の誤りも認めることができます。不確かな未来に対して、不完全な自分が歩みを進めていきます。

2.これを聞いてどんな感じを受けるか?

皆さんは動的オーセンティシティについてどのように感じたでしょうか。

私は、よって立つ足場がなくて不安定に感じる反面、成長・学びにフォーカスし自分が未完成だと受け入れるところにオープンさと前向きさを感じました。私の性格で言えば、「動的オーセンティシティ」の方が性に合います。

また私個人の考えでは、静的オーセンティシティには矛盾があります。完全な人間はいません。人は良くも悪くも変わります。にもかかわらず「変わらなさ」にフォーカスを置くことは現実の人間と矛盾しています。
この矛盾は遅かれ早かれ現実世界で衝突を招く要因になります。国で言えば北朝鮮などがこれにあたると思います。

3.動的オーセンティシティは学び成長し前進する考え

上の例で北朝鮮をあげました。北朝鮮は3代に渡る独裁国家です。未来よりは過去の栄光、過去の指導者像に立脚した政治が行われています。

宗教も同様です。過去に存在した宗祖の教えに立脚した信仰が行われています。独裁国家も宗教も根底に「不変」の核が存在します。これらは静的オーセンティシティの特徴です。
いずれも考えは一貫していますが、果たして他の国や宗教・文化と共存できるといえるでしょうか。その一貫性はむしろ、対話を阻害するものになってはいないでしょうか。

一方、動的オーセンティシティは未完成である事を前提としていますので、他人の批判にもオープンです。積極的に学び、成長し、歩を進めていきます。

固定化された考えを持たないことは、核となるものを持たないということではありません。核でさえも変わりうるということです。核だと思っていたが勘違いだったということもありうるというのを認めるということです。

また、瞑想を続けているとわかりますが、人はすべからく二面性を持っているものです。これに気づくと、完全な自分を見つけることはほぼ「悟り」の境地に近い(そしてその道のりは果てしなく遠い)ということが理解できます。

4.同じことが様々なところで言われている

さて、「動的オーセンティシティ」は、

・未完成な自分を
・間違いを認めながら学びによって成長させ
・自分が望む未来の方向へ変えていく

というものでした。

すなわち、「ありのままの自分を受け入れる」とか「エゴを捨てる」とか「自分自身を観察する」とか「無知の知(ソクラテス)」とか「無我(仏教)」とか「汝自身を知れ(古代ギリシャ)」を立脚点とし、学びを進めることの意義を説いています。

西洋哲学の祖ソクラテスも、仏教開祖の釈迦も、古代ギリシャ人も、有名なジョハリの窓も完成された自分というものは無いとの考えに立っています。

※「ジョハリの窓」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョハリの窓

5.要は「完成された自分は無い」というのが本当らしい

ここまでの話で、「完成された自分」はどうも無さそうだ。あったと感じたとしても幻想に過ぎない。というのが本当のところだろうと感じているのではないでしょうか。

だとすれば、過去との整合性にこだわるのでなく、未完成な自分を発見し続け、良いと思える方向へ導くことがより重要なのではないでしょうか。

こうした考えは、一人で考えている時はすんなりと頭に入ってきますが、いざ対話の場面となると実践するのは至難の技です。不完全な自分を認めるのはかなり難しいです。それでも、より良い世界を作るためには欠かせない態度ですから、共に根気よく続けていきましょう!

本記事では、動的オーセンティシティという考え方について紹介しました。

この記事が皆さんのお役に立てばうれしいです。

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