何者かになると人生は豊かになるのか
功績を上げ賞賛されたい
認知されたい
成功者と呼ばれたい
SNSを見ていると他人と自分を比べて今の自分の立場を嫌でも知らされる。
かつて私も何者かになりたくてしょうがなく
大多数の人に認めてもらい誉められるには分かりやすい成功(お店を持ち人気店にする、コンテストで入賞するなど)がなければなら無いと信じ
朝から晩まで身を削り働き続けた。
飲食店の身を削るは文字通り身体を削る。
早朝6時から日付が変わる前に帰れれば万々歳
肉体労働で身体はいつも悲鳴をあげる。
今思うと何故そんなに時間がかかる仕込みや大変な方法で仕事をしていたのか謎で経験を経た今であれば
もっと効率良いやり方があったと分かる。
だが初めての現場だったので素直に何でも受け入れ
これがいわゆる業界のセオリーなんだなと思っていた。
そしてこの働き方は、費用をかけずに少ない労働賃金で人間の時間を使う形で成り立っていたと分かる。
低賃金に関してはまさに時代であったと言えるし、知っていてこの業界に入った。
下積みだからしょうがないとも思っていたので気にしていなかった。気にしていなかったと言うより
考えないようにしていたが正しい。
そうして労働時間が長く分かりやすく頑張ってる人間が
結果を出して何者かになれると信じていた私は
がむしゃらに働いていて、
その私の思想は10年続いた。
10年の間に違うお店へ転職してみたり
結婚をしてアルバイト。
飲食店でお金欲しさに時間を切り売り。
体力を使い切るようにいつも限界まで働き
老後資金への漠然な不安と、上手くいっている他人と比べ、目に見えない何かにいつも追われていく精神。
何故か自分が不幸な気がしていた。
一度立ち止まって考えてみた。
そもそも何者かになんて、ならなくても良くないか?
上記の生活で私が得られた物とは、働く上での体力と、あらよ!っという間にお菓子作れちゃうよ!の技術、ある程度の身体的な辛さは耐えられる、ということ以外にあっただろうか。(充分かもしれない。)
誰かにちやほやされたい
誉められたいなどの承認欲求を満たしたり
社会的地位を得る。
大事なのはそれらではなく
自分の生活、未来において何があれば幸せを感じられるのか。
もちろん承認欲求を満たすことが1番の幸せの人もいるかもしれない。それはそれで否定するつもりはない。
他人からの薄い認定を沢山得るよりも
あと70年、私は生きる予定なのだから
何者でもない自分と一緒にいたいと思って貰えるような人間性を作る事。
目の前にある関係性を大事にする。
そのほうがこの先の人生、心が豊かになるのでは。
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